「 ライナーのレスピーギ/「ローマの松」、「ローマの泉」 DE RCA LSC2436B STEREO」を通販レコードとしてご案内します。
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―7月9日―イタリアの作曲家、オットリーノ・レスピーギが生まれた日(1879年)。ヴァイオリン、ヴィオラ奏者として活躍しながらも、ニコライ・リムスキー=コルサコフに師事しオーケストレーションにおいて多大な影響を受ける。ローマ三部作と言われる交響詩をはじめ、古典への関心も高く「リュートのための古風な舞曲とアリア」も有名。

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DE RCA LSC2436B フリッツ・ライナー指揮 シカゴ交響楽団 レスピーギ/「ローマの松」,「ローマの泉」
- ヴィンテージ盤レコード→ドイツ/赤地に銀文字レーベル。1959年の録音です。優秀録音。
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アッピア街道を凱旋してくるローマ軍団が眼前に迫る大迫力は、この盤でしか聴くことのできない強烈な音体験。
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## 永遠の都を見守る松――レスピーギ《ローマの松》**1879年7月9日。**この日、イタリアが生んだ偉大な交響詩作家、オットリーノ・レスピーギ(Ottorino Respighi, 1879.7.9〜1936.4.18)が誕生しました。
レスピーギといえば《ローマ三部作》。なかでも《ローマの松》は、オーケストラという楽器そのものの魅力を極限まで引き出した20世紀屈指の名作です。
ローマという街には、遺跡だけではありません。
町を歩けば、至るところで傘を広げたような松の木が目に入ります。古代ローマ以来、松は**繁栄・永遠・力**の象徴として愛され続けてきました。
それは映画『ローマの休日』でも同じです。
オープニングで映し出されるローマの街並み。そして、「いいところね」とアン王女がアパートの屋上から街を眺める場面にも、静かに松が立っています。
### 「ローマという都市」
ローマの松は、何千年もの歴史を見届けてきた、この街そのものの記憶なのです。
レスピーギは、その一本一本に宿る時間を音楽へと変えました。
第1曲「ボルゲーゼ荘の松」では子どもたちが駆け回り、
第2曲「カタコンブの松」では、地下墓所から聖歌がゆっくりと立ち昇ります。
第3曲「ジャニコロの松」は満月の静寂を描き、最後には楽譜に「GRF」の指示が書かれています。これは蓄音機を意味し、本物のナイチンゲールの鳴き声をレコードで再生するという、当時としては驚くほど革新的な発想でした。
そして第4曲「アッピア街道の松」。
夜明けの霧の彼方から、古代ローマ軍団がゆっくり姿を現し、やがて巨大な軍勢となって眼前へ迫ってくる。
「すべての道はローマに通ず」と語られるアッピア街道は、まさに永遠の都の歴史そのものを象徴しています。
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### 「20世紀音楽への入口」
レスピーギが活躍した20世紀初頭は、音楽史が大きく揺れ動いた時代でした。
アルノルト・シェーンベルクは十二音技法へ進み、イーゴリ・ストラヴィンスキーは新古典主義を切り開いていく。
一方レスピーギは、それとは異なる道を歩みます。
ニコライ・リムスキー=コルサコフから学んだ色彩豊かな管弦楽法を基盤に、ルネサンスやバロック音楽を現代の響きへと蘇らせました。
イタリアでは長らくオペラが音楽文化の中心でしたが、レスピーギは純粋器楽音楽の復興を担った存在でもあります。
私が以前、《シベリウス交響曲第1番》を聴いていただいた際、「日本の音楽のように親しみを感じる」という感想をいただいたことがあります。その言葉はとても印象的でした。
考えてみれば、20世紀音楽は必ずしも難解な作品ばかりではありません。
色彩や情景、映画を見るような物語性を備えた作品は、ある意味ではベートーヴェンよりも現代の耳には親しみやすいクラシック音楽なのかもしれません。
《ローマの松》もまさにそうです。
映像はなくても、目の前に風景が現れます。
音だけで映画を見ているような体験ができる。
レスピーギは、交響詩という形式の中で「聴く映画」を実現していたのでしょう。
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### 「レスピーギという時代の作曲家」
もっとも、レスピーギが生きた時代は決して穏やかなものではありませんでした。
第一次世界大戦から第二次世界大戦へ向かう激動のヨーロッパ。
イタリアではベニート・ムッソリーニ率いるファシスト政権が文化を国家の威信として利用し始めます。
《ローマ三部作》が古代ローマの栄光を描く作品であったことから、政権はこれらを好意的に受け止めました。しかしレスピーギ自身は体制の宣伝者となることを望んだわけではなく、政治とは一定の距離を保ちながら創作を続けました。
1936年に亡くなったため、後にヨーロッパ全土を覆う第二次世界大戦やナチス・ドイツとの同盟体制が本格化する時代を目の当たりにすることはありませんでしたが、その創作の背景には、国家と芸術が複雑に交錯する時代の空気が確かに流れていました。
だからこそ、《ローマの松》は単なる観光音楽ではありません。
古代ローマへの憧憬、近代国家への不安、そして永遠に続く歴史への畏敬が、一つの壮麗な交響詩の中に封じ込められているのです。
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### 「名盤紹介」
この作品をレコードで味わうなら、私は迷わずフリッツ・ライナー指揮、シカゴ交響楽団によるRCAリヴィング・ステレオ盤を第一に推薦します。
ライナーは、このオーケストラが誇る超一流のアンサンブル能力を寸分の狂いもなく統率し、木管の繊細な煌めきから金管の圧倒的な咆哮までを鮮やかに描き分けます。とりわけ終曲「アッピア街道の松」で、遠くから軍団が近づき、ついには聴き手の眼前を埋め尽くすように響き渡るクライマックスは、RCAリヴィング・ステレオの優秀な録音と相まって、この作品の魅力を余すところなく伝えてくれます。
初めて《ローマの松》を聴く人にも、長年親しんできた愛好家にも、この一枚は変わらず「ファーストチョイス」と呼ぶにふさわしい名盤です。ここには、レスピーギが思い描いた「永遠の都」の光と影、その壮大な息吹が、今なお鮮やかに刻み込まれています。

- 20世紀オーケストラ演奏芸術の一つの極点を築き上げた巨匠フリッツ・ライナー(Fritz Reiner, 1888年12月19日〜1963年11月15日)は、エルネスト・アンセルメ(1883〜1969)、オットー・クレンペラー(1885〜1973)、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886〜1954)、エーリヒ・クライバー(1890〜1956)、シャルル・ミュンシュ(1891〜1968)らと同世代にあたる名指揮者のなかで、19世紀の名残りであるロマンティックな陶酔よりも、20世紀の主潮である音楽の客観的再現に奉仕した音楽家です。ブダペスト音楽院でバルトークらに作曲、ピアノ、打楽器を学び、1909年にブダペストで指揮デビュー。第一次世界大戦以前から、ブダペスト歌劇場(1911〜1914)、ザクセン宮廷歌劇場(ドレスデン国立オペラ)(1914〜1921)を経て、1922年に渡米しシンシナティ交響楽団(1922〜1931)、ピッツバーグ交響楽団(1938〜1948)の音楽監督を歴任。その後メトロポリタン歌劇場の指揮者(1949〜1953)を経て、1953年9月にシカゴ交響楽団の音楽監督に就任し、危機に瀕していたこのオーケストラを再建、黄金時代を築き上げました。その後、1962年まで音楽監督。1962/1963年のシーズンは「ミュージカル・アドヴァイザー」を務める。ライナー着任時のシカゴ響には、すでにアドルフ・ハーセス(トランペット)、アーノルド・ジェイコブス(チューバ)、フィリップ・ファーカス(ホルン)、バート・ガスキンス(ピッコロ)、クラーク・ブロディ(クラリネット)、レナード・シャロー(ファゴット)といった管楽器の名手が揃っており、ライナーはボルティモアからオーボエのレイ・スティルを引き抜いて管を固め、またメトロポリタン歌劇場時代から信頼を置いていたチェロのヤーノシュ・シュタルケル、コンサートマスターにはヴィクター・アイタイという同郷の名手を入団させて、「ライナー体制」を築き上げています。このライナーとシカゴ響は、ヘルベルト・フォン・カラヤン&ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ジョージ・セル&クリーヴランド管弦楽団、ユージン・オーマンディ&フィラデルフィア管弦楽団などと並び、20世紀オーケストラ演奏芸術の極点を築きあげたのです。

- フリッツ・ライナー(Fritz Reiner 1888.12.19〜1963.11.15)は、ブダペスト生まれ。生地のリスト音楽アカデミーで学び、卒業後ブダペスト・フォルクスオーパーの楽団員となった。ここで声楽コーチを兼任した彼は1909年にビゼーの歌劇「カルメン」を指揮してデビュー。翌年ライバッハ(現リュブリャーナ)の歌劇場に移り、翌1911年ブダペストに戻りフォルクスオーパーの指揮者となり、1914年にはワーグナーの舞台神聖祝典劇「パルジファル」のハンガリー初演を行う。1914年からはドレスデン国立歌劇場の指揮者として活躍。ヨーロッパ各地に客演した。1922年米国に渡ってシンシナティ交響楽団の常任指揮者となり、この楽団の水準を高めたが、厳しいトレーニングと妥協を許さない方針への反発から1931年に辞任。同年カーティス音楽院の教授に就任。1936年にオットー・クレンペラーの後任としてピッツバーグ交響楽団の音楽監督となり、このオーケストラをアメリカ屈指の水準に高めた。1948年からはメトロポリタン歌劇場の指揮者を務め、1953年にラファエル・クーベリックの後任としてシカゴ交響楽団の音楽監督に迎えられた。ここでも彼の厳格なトレーニングと妥協しない頑固さは様々な対立を産み出したが、確かにこの時代にシカゴ響は世界最高水準の実力を持つ黄金時代を迎えたのである。同時にヨーロッパでも活躍。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とも密接な関係を保った。先ずバルトークが代表的な名演奏。弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽。管弦楽のための協奏曲はオーケストラの力量も相まって古典的な名盤(1955,1958年)。ドレスデン国立歌劇場時代以来最も得意としたリヒャルト・シュトラウスは交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」(1954,1962年)、「英雄の生涯」(1954年)、「ドン・ファン」(1954,1960年)などがある。ベートーヴェンの交響曲は第2番のみ録音しなかったが、厳格で直截な力のある表現が快い。他のムソルグスキー「展覧会の絵」(1957年)、ドヴォルザークの交響曲「新世界より」(1957年)、レスピーギ「ローマの松、ローマの噴水」(1959年)などがあった。オーケストラの小品にも引き締まった演奏が多い。オペラ録音はメトロポリタン歌劇場時代の「カルメン」のみなのが長く歌劇場で活躍したライナーだけに惜しい。同曲も独特の厳密な音楽作りがユニークである。晩年にウィーン・フィルと録音したアルバムはいずれも円熟した芸風。シカゴ響の緻密さとは違った柔軟さがあった。ブラームス「ハンガリー舞曲」&ドヴォルザーク「スラブ舞曲」(1960年)、ヴェルディ「レクイエム」(1960年)、リヒャルト・シュトラウス「死と変容」&「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」(1956年)などがある。

- 蓄音機愛好家にとっては 『新世界交響曲』にはレオポルド・ストコフスキーとトスカニーニの2大決定版があるが、時代を引き継いだ、ステレオLPレコードの新世界を幕開けしたのが本盤といえる。虚飾を排したストレートなダイナミズムは感動的だ。シカゴ交響楽団と言えば、サー・ゲオルク・ショルティの時代におけるスーパー軍団ぶりが記憶に新しいところだ。ただ、ショルティがかかるスーパー軍団を一から作り上げたというわけでなく、シカゴ響に既にそのような素地が出来上がっていたと言うべきであろう。そして、その素地を作っていたのは、紛れもなくフリッツ・ライナーであると考えられる。もっとも、ショルティ時代よりも演奏全体に艶やかさがあると言えるところであり、音楽性という意味では先輩ライナーの方に一日の長があると言えるだろう。演奏自体は必ずしも深みのあるものではなく、その意味ではスコアに記された音符の表層を取り繕っただけの演奏に聴こえるのは、カール・ベームやヘルベルト・フォン・カラヤンら同時代の演奏と比べているからだろう。しかしライナー=シカゴ響といえば金管楽器や木管楽器の力量も卓越したものがあり、異様に凝縮したオーケストラのアンサンブルの鉄壁さは言うに及ばず。全ての楽器が完璧なバランスで結晶化して鳴り響き、感動的なクライマックスを築いていました。ライナーが残した唯一の『新世界交響曲』は、聴き慣れた作品からも新たな魅力を引き出し、音楽的な純度を際立たせるライナーの手腕が発揮された名演。ドヴォルザークの音楽に特有のローカルな雰囲気を感じさせず、絶対音楽としての美しさを極めた演奏で、特にイングリッシュ・ホルンの名ソロが聴ける第2楽章の静かな美しさは、惚れ惚れするほど見事。アルトゥーロ・トスカニーニとレパートリーも多く重なりブラームスの交響曲4番などを聴くとライナーがより厳格だったのでは、と思わせるくらい厳しい表情を見せています。シカゴのオーケストラ・ホールは、ボストン・シンフォニー・ホールよりも録音に向いていたようで、このホールで収録された1950年代・1960年代のライナー=シカゴ響の録音はいずれも高いクオリティに仕上がっており、オーケストラのトゥッティの響きと各パートのバランスの明晰さが両立した名録音が多いです。1958年ステレオ時代の到来と共に、アメリカRCAはライナー指揮シカゴ響と専属契約を結び、数々の名演奏を録音しました。〝Living Stereo〟は最も自然でありスリリングな録音で、現在でも他の録音に全く劣らないものです。1954年は、まだステレオは実験段階だったと思うが、当時の先進企業米国RCAは、いち早くステレオ技術を取り入れ、見事な録音を行っていたのである。其の代表作が、偉大なRCAステレオ録音第一号盤、LSC1806の「ツァラトゥストラはかく語りき」だったのではなかろうか。その成功を十分に取り入れて1959年に録音したのが本盤。製作陣はRCAの一軍、リチャード・ムーア&ルイス・レイトン。個々のパートまではっきり分離するステレオは、生の音とはやや趣を異にするとはいえ、やはりすごい。スタジオ録音とはとても思えない熱気を孕んでいる。一発取りをしたとしか思えない怒濤の極みです。アンサンブルを引き締めながら、強靭な造形が生む緊張感の素晴らしさがハッキリと感じ取れます。
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録音史に残る名録音 ― LIVING STEREO
- 1950年代半ばから1960年代初頭、ステレオ技術にこそレコードの将来性を感じたアメリカRCAは積極的に2チャンネルおよび3チャンネル録音を推進。ライナー、ミュンシュ、モントゥー、ルービンシュタイン、ハイフェッツ、フィードラーなどの名演奏家たちの決定的な解釈が、ずば抜けた鮮度と立体感を誇る音質によって次々と録音されました。
- 1958年になってウエスタン・エレクトリック社によりステレオLPレコードの技術が開発され、同じ年、RCAはついに念願のステレオLPレコードを発売、『ハイファイ・ステレオ』の黄金時代の幕開けを告げたのです。
- RCAのチーフ・エンジニア、ルイス・レイトンを中心に試行錯誤を経て考え抜かれたセッティングにより、ノイマンU-47やM-49/50などのマイクロフォンとRT-21(2トラック)やAmpex社製300-3(3トラック)といったテープ・デッキで収録されたサウンドは、半世紀近く経た現在でも、バランス、透明感、空間性など、あらゆる点で超優秀録音として高く評価されています。

- フリッツ・ライナー=シカゴ交響楽団のアメリカRCAレーベルへの録音は、1954年3月6日、シカゴ響の本拠地オーケストラ・ホールにおけるリヒャルト・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」のセッションで始まりました。この録音は、その2日後に録音された同じリヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」と並び、オーケストラ・ホールのステージ上に設置された、わずか2本のマイクロフォンで収録された2トラック録音にも関わらず、オーケストラ配置の定位感が鮮明に捉えられており、録音史に残る名録音とされています。ステレオ初期のカタログではセミ・プロ仕様の2トラック、19センチのオープンリール・テープは数が限られていましたが、その中でもミュンシュ=ボストン交響楽団のRCAレーベルへの録音は比較的多く存在していました。これ以後、1963年4月22日に収録された、ヴァン・クライバーンとのベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番まで、約10年の間に、モーツァルトからリーバーマンにいたる幅広いレパートリーが、ほとんどの場合開発されたばかりのこのステレオ録音技術によって収録されました。ヤッシャ・ハイフェッツ、アルトゥール・ルービンシュタイン、エミール・ギレリス、バイロン・ジャニスなど、綺羅星の如きソリストたちとの共演になる協奏曲も残されています。何れもちょうど円熟期を迎えていたライナー芸術の真骨頂を示すもので、細部まで鋭い目配りが行き届いた音楽的に純度の高い表現と引き締まった響きは今でも全く鮮度を失っていません。これらの録音「リビング・ステレオ」としてリリースされ、オーケストラの骨太な響きや繊細さ、各パートのバランス、ホールの空間性、響きの純度や透明感が信じがたい精度で達成された名録音の宝庫となっています。
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プロダクト・ディテール(ヴィンテージ盤)
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オーケストラシカゴ交響楽団
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指揮者フリッツ・ライナー
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作曲家オットリーノ・レスピーギ
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曲目
- 「ローマの松」
- 「ローマの泉」
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レーベルRCA
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レコード番号LSC2436B
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録音年月日1959年10月24日
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録音場所シカゴ、オーケストラ・ホール
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録音プロデューサーRichard Mohr
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録音エンジニアLewis Layton.
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録音種別STEREO
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製盤国DE(ドイツ)盤
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レーベル世代赤地に銀文字レーベル
ショップ・インフォメーション(このヴィンテージ盤はショップサイトの扱いがあります。)
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品番382051
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盤コンディション良好です(MINT~NEAR MINT)
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ジャケットコンディション良好です(おもて面右上にシール貼付とはがれ跡あり)
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価格11,000円(税込)
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商品リンク
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ショップ名輸入クラシックLP専門店 ベーレンプラッテ
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ショップ所在地〒157-0066 東京都世田谷区成城8-4-21 成城クローチェ11号室
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ショップアナウンスべーレンプラッテからお客様へ
当店のレコードは、店主金子やスタッフたちが、おもにヨーロッパに直接出向き、実際の目と耳で厳選した、コンディション優秀な名盤ばかりです。国内で入手したものや、オークション品、委託商品はございませんので、安心してお求めになれます。
from 100年後でも聴いて楽しいアナログ名盤レコード https://ift.tt/xnRzfWO
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