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〝ヨハン・ゼバスティアン・バッハの息子たち〟 ― 作品番号で1000を超える楽曲を遺したヨハン・ゼバスティアン・バッハですが、その作品に勝るとも劣らない遺産ともいえるのが彼の息子たちといえます。ここにはその内の3人、長男のヴィルヘルム・フリーデマン、前古典派の代表的な作曲家とされ、兄弟の中でも最も活躍した次男のカール・フィリップ・エマヌエル、バロック時代の合奏協奏曲を押し進め、数多くの『協奏交響曲』を書いた末息子ヨハン・クリスティアンの作品を収録。いずれもバロックの集大成である〝大バッハ〟と、ハイドン、モーツァルトへ多大な影響を与え、古典派への橋渡しをした重要位置にあり、彼等なしでは西洋音楽史は語れないといって構わない。また、『多感様式』や『疾風怒涛』期の音楽として、劇的な展開を繰り広げる彼等の作品は今聴いても新鮮な印象を与えてくれます。作品番号で1000を超える楽曲を遺して〝大バッハ〟と呼ばれるまでなったのには、彼と同時代に〝マイニンゲンのバッハ〟と呼ばれたヨハン・ルートヴィヒ・バッハの楽譜を写譜して蔵書していたことも大いにあると想像される。ヨハン・ゼバスティアン・バッハの父ヨハン・アンブロジウス・バッハ(1645〜1695)も、祖父クリストフ・バッハ(1613〜1661)も、曾祖父ヨハネス・バッハ(生年不明〜1626)も職業音楽家だった。曾祖父の兄弟、祖父の兄弟も作曲家で、驚く無かれ、バッハと名乗る音楽家が300人いたと言われている。作曲家として名を残さなかった者でも、市の演奏家や教会楽長、オルガニストのいずれかとして公式な記録に名を残している。エアフルトでは「バッハ」といえば音楽家を意味したほどだった。〝大バッハ〟はトーマスカントルに上り詰め、27年間を過ごして数多くの作品を生み出しますが、22歳の時、従妹のマリア・バルバラと結婚。もうけた子供は7人いたが、生きながらえた子供は3人で、そのうち長男ヴィルヘルム・フリーデマンと次男カール・フィリップ・エマヌエルが音楽家となった。末子ヨハン・クリスチャンの母親は、若い後妻のアンナ・マクダレーナである。後添いとして36歳の男やもめのバッハが見初めたのが、ザクセン=ヴァイセンフェルス公の名のある宮廷楽団のトランペット奏者ヨハン・カスパル・ヴィルケの娘で、20歳になったばかりでした。バッハの人生において家族は明らかに希望の光であり、彼女は夫バッハの良き助け手であったばかりでなく子供たちの音楽教師、そしてチェンバリストでした。アンナ・マグダレーナは優れたソプラノ歌手としてもバッハに付き添い夫の指揮する演奏にたびたび参加しました。家庭では楽譜の筆写に協力 ― 彼女の筆跡は夫バッハの筆跡にきわめて似ているという事実は有名ですが、そのために後の研究者は判断を誤ることもしばしばでした。彼女とは13人の子供をもうけ、6人が成人した。49歳で未亡人となった彼女は再婚せず未成年の子供たちの世話をすることになります。ソプラノ歌手として生計も助け、夫の作品のアーカイヴ化、子供たち教育して、9人を育て上げ、6人が作曲家、演奏家になりました。アンナ・マグダレーナの三面六臂の働きで育った〝バッハの息子たち〟は〝大バッハ〟が手を染めることなかった〝交響曲〟というバロック音楽の時代にはなかった新ジャンルに傑作を残しています。本盤では、そのうちの4曲を聴きます。「ベルリンのバッハ」「ハンブルクのバッハ」といわれているカール・フィリップ・エマヌエルの《交響曲ハ長調》、「ミラノのバッハ」「ロンドンのバッハ」といわれているヨハン・クリスティアンの《交響曲変ロ長調、ニ長調》の2曲、そして、長男ヴィルヘルム・フリーデマンの時代を先取りしすぎた画期的な《交響曲ニ短調》です。あらましは次のページ。
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