US COLUMBIA D4S615 ブルーノ・ワルター コロムビア交響楽団 ブラームス 交響曲全集&ハイドン変奏曲&悲劇的序曲&大学祝典序曲(2eyes)

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「 US COLUMBIA D4S615 ブルーノ・ワルター コロムビア交響楽団 ブラームス 交響曲全集&ハイドン変奏曲&悲劇的序曲&大学祝典序曲(2eyes)」を通販レコードとしてご案内します。

34-21537

商品番号 34-21537

通販レコード→米2EYESグレー白文字盤 “360 SOUND”STEREO

枯淡の境地、ブラームス晩年の哀愁を表現しきった名演奏 ― ブラームスといえばウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の響きを念頭に作曲していたのではないかしらとさえ思ってしまう。リヒャルト・シュトラウスが『ブラームスの交響曲第4番の主題は、ありゃ、主題といえるのかね? 違うね!』とウィーン・フィルの楽員に断固として言ったことがある。そして、『何もかも一緒くたにするような作曲家は、メニューも作曲できるに違いない』と言ったのは的を得ている。ブラームスはハンス・クナッパーツブッシュ以上に腰が重い人で、聴衆の拍手にさえなかなか応えようとしなかった。彼は自分の作品をムジークフェライン・ザールで聞き終わるとさっと姿を消してしまうのであった。そのためか、晩年には尊敬を受けながらも「もう時代遅れの人」という評価が一般的だったそうです。「時代遅れ」と言われることに開き直りのように、この第4交響曲で最終楽章に用いられた「パッサカリア」という形式はヨハン・ゼバスティアン・バッハのころでさえ「時代遅れ」であった形式です。最高のメロディーメーカーだったドヴォルザークがゴミ箱に捨てた旋律でブラームスは一曲書ける、と言われたぐらいに主題づくりに一番苦労したブラームスが、この第4交響曲では主題を労作すること自体を放棄している。それをリヒャルト・シュトラウスは嫌いだと言っているのです。ブルーノ・ワルターとオットー・クレンペラーのレパートリーはモーツァルトとマーラーの音楽が大きな柱の一つになっている。周知の通り、ともにユダヤ人であるワルターとクレンペラーはマーラーの直弟子にあたり、師マーラーの音楽を戦前から熱心に取りあげていた。ワルターの演奏は情緒的とされながら、音の出し方は似ている。ワルターは、ウィーン・フィルの楽員によく極端な対象を要求した。例えば、モーツァルトの交響曲のピアニッシモのところで、オーケストラがまだ弾きはじめないうちに中断して、『皆さん、もう大きすぎます』と言うことがあった。またモーツァルトの歌劇『フィガロの結婚』の序曲の練習では、やはりオーケストラが弾き始める前に中断して、『皆さん、もうテンポが遅すぎますよ』というのであった。こうしたことはワルターの個性というより、同世代の指揮者の特徴である。この第4交響曲でも、フレーズの変わり目でのリタルダンドも極端でなくなめらかに変化するのでカット割りで繋いだ映画のような唐突さを感じない。ワルターのブラームスはいずれも絶品で、滋味あふれる深遠な世界は多くのファンをひきつけてやみません。ブラームスが作曲に長い時間をかけた第1交響曲でも、ワルターの確かな構成力と、慈愛に満ちた表現を聴くことができます。その他の協奏曲、管弦楽作品、ドイツ・レクイエムも代表的名演として後世に聴き継がれる名演奏です。コロムビア交響楽団の性能は、お世辞にも高いものではありませんでした。しかし、ワルターによるスタジオ録音のために編成された特殊な楽団でしたから、ワルターの作ろうとする音楽を何としても形にするのだというひたむきな姿勢がひしひしと感じられ、指揮者とオーケストラが一つになったかのような演奏が展開されています。録音も極めて秀逸で、とても50年以上前のものとは思えない瑞々しさ。ブラームスの音楽に、愛情を持って寄り添うワルターの姿が彷彿とさせられました。ワルターがコロムビア響と残したステレオ録音によるブラームスの全録音は、同曲の永遠のスタンダードとしての位置は今後もゆるがないでしょう。

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