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JP LONDON SLC1232 バックハウス・イッセルシュテット・ウィーンフィル BEETHOVEN EMPEROR
商品番号 34-23940
通販レコード→日本LONDON 最初期 FFSS 盤
バックハウスさん、暇な時に何をしているのか? ― とあるパーティーで気乗りしてなさそうな若い青年にご婦人が話しかけた。『ピアノを弾いています』と質問に答えたのは有名な話。SPレコード鑑賞会でヴィルヘルム・バックハウスとウィルヘルム・ケンプで『月光ソナタ』を聴き比べした(2012年7月22日開催、第291回)時に解説したのは随分と前ですが、まさにピアノ一筋の人で〝鍵盤の獅子王〟にふさわしいエピソードです。戦前から戦後にかけて長く音楽評論家として活動した野村光一は1921年9月から1923年3月まで私費で外遊し、ロンドンで多くの演奏家と接している。バックハウスを聞いた「嬰ハ短調演奏会」について、バックハウス歿後の1969年に回想を残している。
当時は威厳に充ちた晩年と違って、彼は風采も上がらず、またあまり気品も備わっていなかったようである。見たところ、戦争中の兵士か、さもなければ牢獄の囚人みたいな五分刈りのいがぐり頭をしていて、そのうえ、なんとなく意気上がらぬ顔には、いささか悄然とした雰囲気さえも漂っていた。それでも、ピアノの前に坐って、曲目劈頭の「月光」の、それもその第一楽章の最初の単音をぽつん、ぽつんと弾き出したとき、わたしはたちまち世にこんなに美しく澄明で、しかも確乎たる音を出すピアニストがあるのかと思ったほど驚いてしまったのである。パハマンの「柔和、繊細」な音の美しさと対比して、バックハウスの音は
明確そのもので、しかも毅然としていた。それでいて、よく音が抜けている余韻嫋々たる響の鐘を想わせるものがあった。しかも、鍵盤の最高音部から最低音部まで、同質の音色が快い諧調をつくって小気味よく整列するのであると評している。さらに、
彼はまるで曲の内容がどうなどというようなことはすこしも意に介しないらしく、まことに正確な拍子と速度で、なんの屈託もなく、ベートーヴェンだろうが、ショパンだろうが、リストだろうが、なんでも同じような態度で弾きのけていた。凡庸なピアニストだったならば、こんな調子ではちっとも面白くない、器械的な無味乾燥な音楽になってしまう。それが、バックハウスだと、洗練され切った完璧な技巧のためか、かえってさっぱりした、すがすがしい感興を催させるのである。殊に、魅力的だったのは、ピアニシモであって、それもカデンツァ風の細かい装飾音で一杯になっているパッセージのところへくると、軽妙、明快なタッチの連続が絶妙な弧線を描きながら空中に飛翔してゆくのだった。それが人々の魂を虜にしていった、といわずにいられない。少なくとも戦前から戦後の早い時期までは、〝鍵盤(上)の獅子王〟の渾名は讚辞として、バックハウスの批評においては必ず言及されるほどであった。この渾名の最も早い紹介として、1930年代のあらえびすや神保璟一郞の著作が挙げられる。1950年代の批評に多く見受けられる〝超然たるピアノの哲人〟はこれと対になる。〝一ぱいに水を湛へた大湖の靜けさ〟に比すべき落ち付きと深さという言葉も、この演奏家の超然性をよく表現している。音色が平凡で〝鍵盤の最高音部から最低音部まで、同質の音色が快い諧調をつくって〟整列するという、色彩がなく華美な効果はよく出し得ない、聴く者にまったく技巧を感じさせない爽快な演奏と、そこに漂う一種の静謐さ、澄明さを、戦前・戦時中の実演と録音との双方に接した評者らはこうした印象的な評言で言い当てたものと見受けられる。そして、技巧家としてのバックハウスの速い演奏が平明な落付きと謂うような磊落ささへ感じさせるのも作為を通り越した名人肌の面影がある為であろう。
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