DE CBS CB76983 グレン・グールド エリーザベト・シュヴァルツコップ ベンソン=ギイ ダリアン ブレッスラー グラム ジュリアード弦楽四重奏団 THE GLENN GOULD SILVER JUBILEE ALBUM

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34-17975

商品番号 34-17975

通販レコード→独ダーク・ブラウン黒文字盤[レア]

じゃあ、フーガを書きたいの? ―  「今日はこの曲で」と差し出したリクエスト用紙。「グールドの演奏している曲じゃなくて作曲した曲をリクエストするなんて、またマニアックだね。これ、うちにないの知っててリクエストしてるだろ」あっさり断られるかと思ったら、流れていたレコードをCDに切り替えながら、「同じグールドなんだから、今日はゴールドベルク変奏曲で我慢して」「ないならそれで良いですよ。81年盤の録音で」「分かってるよ」ここはリクエストした曲が最高級のオーディオ機器で聴けるサービスをしている喫茶店。本店はレコードショップ。こちらは店長の趣味を実現させた喫茶店。髭がよく似合うスキンヘッドで、しかも強い声で突き刺すようなところもあるので、初めてレコードショップに足を踏み入れてみた中学生だったわたしは、スタッフに指示を出している姿に怖いものを感じて、優しそうなスタッフを探したものだ。でも、何度か店に通っていると、いつものスタッフが見当たらなくて、店長と対峙することになった。ギロリと足元から頭の先までを観察されて肝が縮んだが、意外と言葉は優しくて、一瞬でスキャンされたのか趣味も性格も、一番分かってくれている。仮にリクエストした曲がなかった場合、次来た時時にはディスプレイの目につくところに並べられていた。この店に足を運んでいた理由は、そのようなところだ。グレン・グールド作曲の《じゃあ、フーガが書きたいの?》は弦楽四重奏とソプラノ、コントラルト、テノール、バスの独唱を伴う実験精神の賜物。ピアノは登場しない、グールドは演奏していない。「言われたことは気にしない」「言われたことは守らない」「言われたことはいっさい忘れて」「理論もいっさい忘れて」バス歌手はある程度の勇気が要ることを示唆することからはじめる。「だってフーガを書くのなら」テナーは書き上げた後の用途にこだわる。「規則を忘れて書くしかない」「だからやってごらん、そう、われわれの歌えるフーガを書いてごらん」とコントラルトが、自分自身の対位法作法は申し分のなく正しいものであるにもかかわらず、大胆に反伝統的方法を擁護する。バス、テノール、コントラルト、ソプラノへと反復進行で、ほかの声部が「応答」するか同じ言葉のニュアンスを変えながら、それを繰り返すにつれて、フーガの技法が理解できるように展開される。「忘れるしかない」そういいながらも楽曲は厳格なフーガの規則をしっかり守って書かれている。一見理屈っぽいが感覚的なフーガの学習になっている。こういった矛盾こそがグールドらしい点ではある。モーツァルトが、ベートーヴェンが、そしてシューベルトが、ウィーンでバッハをはじめて聴いて、フーガの魅力に囚われた。グールドがフーガの虜になるのはよくわかる。グールドほどピアニストらしくないピアニストはいなかった。グールドが1963年にテレビの教育番組用に書き下ろしたものだが、グールドはこの作品を5分14秒のコマーシャルだ、と言った「教育用」と言えどもよく書けているものだと思う。曲中では弦楽四重奏によって、バッハやベートーヴェン、ワーグナーの引用が、原曲とは異なった表情で差し込まれる。この曲はフーガそのものをどれほど感じるかが大切だ。とだけ言いたげな、もうとてつもなくグールドそのものだ。死後40年近い今も絶大な人気を誇るピアニスト、グールドが「将来的にはピアノも廃業して作曲家になりたい」と語っていたことはファンの間では有名なことだろう。しかし、現在実際に我々が聴くことが出来るのはファゴット・ソナタと、弦楽四重奏曲、それからこの《じゃあ、フーガが書きたいの?》の3曲のみで、結局彼が作曲家として名を馳せることはなかった。むしろグールドの創作意欲は、人声を使った新しいジャンル「対位法的ラジオ・ドキュメンタリー」の探求へと転化していった。スカルラッティ、スクリャービン、締めはベートーヴェンの交響曲第6番《田園》の第1楽章だけと曲順だけ追っていくと脈絡を感じないのだが、通して聴き進めているとグールドの術中に捕らえられている。『シルヴァー・ジュビリー・アルバム』は記念盤といえば記念盤で、実際〝スペシャル〟ではあるのですが、本気なのだか冗談だったのかわからない、微妙で不思議なアルバムです。

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