「 カラヤンのチャイコフスキー/交響曲第6番「悲愴」 DE DGG 138 921 SLPM STEREO」を通販レコードとしてご案内します。
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―10月28日―チャイコフスキー 最後の交響曲、第6番「悲愴」がサンクトペテルブルクで初演された日(1896年)。演奏は作曲家自身の指揮によって行われたが、悲しいことに、チャイコフスキーはその後すぐに世を去ることとなった。作品の出来栄えには本人もとても満足していたようで、自身の最後の交響曲となった。

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DE DGG 138 921 ヘルベルト・フォン・カラヤン ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 チャイコフスキー/交響曲第6番「悲愴」
- ヴィンテージ盤レコード→DE(ドイツ)/チューリップレーベル。1964年の優秀録音。
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傑作交響曲。目標は「基準となるようなレコード作り」。
- ― 死の直前に完成したチャイコフスキーの辞世の句ともいうべき『悲愴』は、標題が示すとおり人間の抱く内面の苦悩、絶望や悲嘆といった感情を強烈なまでに表出した傑作交響曲です。そうした広く親しまれた名曲を最高の演奏でレコード化することに情熱を傾け続けたカラヤンの姿勢は、このアルバムにも端的に示されています。とにかくダイナミックスの幅が広く鮮やかで迫力満点。牧歌的な部分から迫力ある部分まで表現の幅が広く、リズムも引き締まっています。演奏はオーケストラに合奏の完璧な正確さを要求し、音を徹底的に磨き上げることによって聴衆に陶酔感をもたらせ、さらにはダイナミズムと洗練さを同時に追求するスタイルで出来栄えも隙が無い。50歳代の後半を迎えた壮年期のカラヤンとベルリン・フィルハーモニーの覇気溢れる瑞々しい演奏で収録した一枚。当時は初期のステレオですが、なかなか臨場感があり、カラヤンも颯爽としたときのもので、 前任者フルトヴェングラーの時代の余韻の残るオーケストラと、推進力あふれるカラヤンの指揮が見事にマッチした演奏です。そのカラヤンの演奏スタイルは、聴かせ上手な解釈を代表する。ある対談の中でカラヤンは、『自分が指示を出さない時にオーケストラが群れをなす鳥のように天空を羽ばたく瞬間がある』と言っています。このレコードでも命令に従う集団以上の自発性がベルリン・フィルにはあり、指揮者もある程度それを楽しんでいる。ただ、カラヤンの理想の振り幅の中にあるから、カラヤンの音楽になっている。
- このレコードのセッションは、録音日を見ると一日だけ後日に追加録音している。この直前にコンサートで演奏していることを知ると、カラヤンが追加した理由を想像するのが面白い。その演奏会の録音を聞いてみたくもなる。カリスマ的芸術性と器用な職人気質を併せ持ったカラヤンは、一回性の熱情と、それに相反する録音芸術としての綿密な音楽設計を両立できた指揮者でした。ある録音でホルン奏者の音の上ずりに気がついたエンジニアが、録り直しを確認したらカラヤンは、その自然さを良しとした話が象徴している。60年代はちょうどドイツ・グラモフォンの音質が飛躍向上した時期にあたり、迫力と精細さが見違えるものとなった。フルトヴェングラー亡き後、上昇気流に満ちたカラヤンとベルリン・フィルは、実際の演奏と併行してレコード制作の意義として完成度を「この一枚』という思いで見せつけたかったのかもしれない。完成度としては1975年盤がある。すでにカラヤンの手中になったベルリン・フィルと、思い通りに録音できるベルリン・フィルハーモニーで冷徹なくらいに鋭く透明な演奏であり、録音面でもマルチマイクを存分にいかした録音だ。無駄な時間を費やさずに膨大なレコードを発売し続けた目標は「基準となるようなレコード作り」。カラヤンにとってチャイコフスキーは得意なレパートリー。
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生きたサウンドを満喫するなら絶対これ。
- 戦後ナチ党員であったとして演奏を禁じられていたヘルベルト・フォン・カラヤンの為に、1945年、イギリスEMI社のプロデューサーだった、ウォルター・レッグは自ら創立したフィルハーモニア管弦楽団を提供し、レコード録音で大きな成功を収めた。それから10年、ウィーンやベルリンでの演奏が出来ずにレコードだけで音楽を創りあげるだけの年月をカラヤンはおくる。ようやくウィーン国立歌劇場の責任者の席は得るが、指揮することはことごとくヴィルヘルム・フルトヴェングラーの妨害にあった。しかし1954年にドイツ音楽界に君臨していたそのフルトヴェングラーの急逝にともない、翌55年にカラヤンは、ついにヨーロッパ楽壇の頂点ともいえるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者の地位に登りつめた。ここでレッグとカラヤンの関係は終止符を打つが、この約10年間に残したレッグ&カラヤン&フィルハーモニアのレコードの数々は、正に基準となるようなレコードであったと断言出来る。演奏はオーケストラに合奏の完璧な正確さを要求し、音を徹底的に磨き上げることによって聴衆に陶酔感をもたらせ、さらにはダイナミズムと洗練さを同時に追求するスタイルで、完全主義者だったレッグとうまが合ったのは当然といえば当然で、出来栄えも隙が無い。決して手抜きをしないのがカラヤンの信条であったという。レッグからノウハウを吸収したと自覚があったカラヤンは、自分だけで信条を貫き始める。カラヤンの野望は、永遠にカラヤンの演奏が基準として聴かれ続けていくために全てのレパートリーをレコードにすることだった。カラヤンのレパートリーの守備範囲は広く、ベートーヴェン、ブルックナーに限られた指揮者だったら、やがて表面化するオーケストラとの関係破綻を回避できただろう。
- ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のチャイコフスキー演奏は、オーケストラの創成期にさかのぼります。作曲家チャイコフスキーは最初のふたりの首席指揮者、ハンス・フォン・ビューローとアルトゥール・ニキシュを知っており、その演奏を評価していました。続くヴィルヘルム・フルトヴェングラー、ヘルベルト・フォン・カラヤンも、優れた演奏を残しています。カラヤンとチャイコフスキーは相性が合う。カラヤンは、1929年1月に20歳でプロの指揮者としてデビューした時に、交響曲第5番を指揮しています。初めての《悲愴》は、その4年後に、ウルムで振りました。その演奏会の後、彼は両親に「終演後、聴衆は10秒間打ちのめされたようにただ座っていました。そして直後にサッカー場のようなブラボーが起こったのです」と興奮した様子がわかる。ベルリン・フィルとの最初のチャイコフスキーは、1939年の《悲愴》の録音で、これは彼がベルリン・フィルにデビューした1年後のことでした。数ヶ月違いで録音したフルトヴェングラーがレコーディングに一ヶ月もかかる手こずっていたことに対して、カラヤンはただ一回の演奏でレコードを仕上げてしまった。それが悔しかったようだ。フルトヴェングラーは『音楽と言葉』の第6章『音楽と生命力』で、『レコード向きの演奏がコンサートホールに持ち込まれるようになった結果、音楽にヴィタミンが欠如するようになってしまった』と持論を展開している。しかし、今読むと陳腐で、カラヤンにレコーディングの才能を見てしまった、ドイツ楽壇に君臨する自分が持ち得ない技術を30歳も若い新人が持っていることへの、やっかみだなと気付かされて読んでいると人間味を感じてフルトヴェングラーが可愛く思えてしまう。
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- Record Karte
- 1964年2月ベルリン、イエス・キリスト教会で録音。
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CDはアマゾンで
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