DE COLUMBIA STC91 136 ハンス・リヒター=ハーザー イシュトヴァン・ケルテス フィルハーモニア管弦楽団 モーツァルト ピアノ協奏曲17番&26番「戴冠式」

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「 DE COLUMBIA STC91 136 ハンス・リヒター=ハーザー イシュトヴァン・ケルテス フィルハーモニア管弦楽団 モーツァルト ピアノ協奏曲17番&26番「戴冠式」」を通販レコードとしてご案内します。

34-21919

《ピアノ名曲名盤
― モーツァルトのコンチェルト》

ドイツのピアニストの響き。

オーソドックスなドイツ音楽の伝統をもっとも正確に具現化していると言われるハンス・リヒター=ハーザーの数少ない録音の一つ。

ここに聴く一枚のLPレコードが聴かせてくれるモーツァルトの音楽は、2017年9月末に集っていただいたSPレコードを蓄音機で聴く鑑賞会でレオニード・クロイツァーのヨハン・ゼバスティアン・バッハ・4台ピアノのための協奏曲を聴いて感じられたことと共通しているところがある。ハンス・リヒター=ハーザーのピアノは、巧言令色でもなく、変に奇をてらうこともない。厳格なわけでも、物々しいわけでもない。鍵盤上のベンツ。ドレスデン音楽院出身。重厚・壮大、質実剛健、武骨、豪快、男臭さを絵に描いたような100パーセント、ドイツカラーのピアニスト。ライプツィヒ派と呼ばれるライプツィヒ音楽院出身者のピアニストは多いが、ライプツィヒからわずかの距離にあるドレスデン音楽院出身の有名なピアニストは少ない。LPレコード時代、イギリスEMIからベートーヴェンの『ピアノ・ソナタ第23番《悲愴》』やモーツァルトのソナタなど、かなりの数に及ぶリヒター=ハーザーのLPレコードが発売されていた。いずれもドイツ音楽の神髄のような名演だったが、時代の好みに合わないせいか、今では殆ど忘れられた存在になってしまった。現在入手できるリヒター=ハーザーの演奏盤もイシュトヴァン・ケルテスとの本盤やベートーヴェン『ピアノ協奏曲第4番』『ピアノ協奏曲第5番《皇帝》』、カルロ=マリア・ジュリーニ指揮のベートーヴェン『ピアノ協奏曲第3番』、カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との〈ブラームス・ピアノ協奏曲第2番〉ぐらいだ。壮年期のカラヤンとの〈ブラームス・ピアノ協奏曲第2番〉はオーケストラとピアノががっぷりと四ツに組んで協奏曲とも交響曲とも言えない協奏曲史上最も重厚で長大な音楽の一つだが、そのために並のピアニストと指揮者が演奏すると長ったらしいだけの音楽になってしまう。だが大指揮者とスケール豊かなピアニストが演奏すると、想像を絶する巨大な交響協奏曲となって鳴り響く。このリヒター=ハーザーとカラヤンのコンビによる堂々として壮大な演奏は、戦時下のエドウィン・フィッシャーとヴィルヘルム・フルトヴェングラーの壮絶極まる格闘と優劣つけがたい名演である。それはドイツ・ピアニズムの王道を歩むもので、リヒター=ハーザーのピアノの壮大さは、カラヤンとベルリン・フィルを圧倒している。冒頭のテーマの後に続くオーケストラ序奏が終わったあとにピアノが入ってくる時の、ズバンと子宮に届く爽快感を共有してもらいたい。これほどまでに、この曲のど真ん中に強烈な直球を投げる本盤を超えるものがあるだろうか。

音楽は世界共通の言語です。国も、性別も職業も、宗教も歌ったり、楽しんだりすることに関わらない。様々な国の音楽を聴いて、その国に想いを馳せ、その曲自体を楽しむことは、まことに正しいし、音楽の持つ偉大な力のひとつだと思います。音楽を聴いて幸せな気持ちになったり、癒されたりする。何より、生きる喜びを人とシェアできるのが音楽の素晴らしさです。しかし、言葉には様々な種類の言語があり、知らない言語との会話は理解できない。同じ九州内に生活していても、まともな会話にならないことも有るでしょう。それなのに、一方で音楽が「世界共通語」であるという誤った認識が従来よりある。音楽を楽しむだけなら、それで充分なのですが音楽をプレイする立場がそれでは困る。『ルーツは誰ですか』と、2016年9月、長崎・佐世保で活動しているフルート奏者に問うた。ところが彼女の取り巻きが憤りを込めて「彼女の音楽は何かに似ているというものではない」と得意気に答えた。広瀬すず、中条あやみ、天海祐希らで感動実話を映画化した『チア ダン』で、「これがジャズ、これがヒップホップ」と表現してみせるワンシーンがあるが、〝マズルカ〟のリズムを覚えて、〝ポロネーズ〟はどういう踊りかを知ることがショパンの正しい演奏の理解になると勧められるのは今では良く有ること。チャイコフスキーのロシアの風土は〝トレパーク〟が大事だ。ベートーヴェンの旋律はウィーンの民謡を借りている。モーツァルトの〝きらきら星変奏曲〟はフランスの遊び歌だし、初めてモーツァルトを聴いたトルコ人は、こんな子供だましが音楽なのか、といって笑ったそうだ。同じ西洋の音楽であっても、ベートーヴェンばかり聴いていて初めてバッハを聴いたときは全く違う音楽のような印象を受ける。同じ作曲家であっても初めて聴く曲には、なんだかよく分からないという印象を持つ。何度も聴いている内に、その曲の良さや悪さが理解できるようになる。
近代ハンガリー・ヴァイオリン流派の明確な確立は、ブダペストにおいて、イェネー・フバイの教育によって生まれました。フバイは同じハンガリー人のヨーゼフ・ヨアヒム(1831~1907)の弟子でしたが、フランツ・リストとデュオを組み長期間各地を演奏旅行をした。師弟関係にあった同じハンガリー系ユダヤ人ヴァイオリニストの2人、フバイとヨアヒムの違いを探してみると、まず、ブラームス派とリスト派に二極化された当時の音楽界の構図が見えてきます。
音楽を演奏するのに大切な〝メロディー〟〝ハーモニー〟〝リズム〟を本当に会得しようと思うには民族や文化、宗教の理解が必要です。それぞれの国の音楽を演奏して、その国の音楽を知った気になってしまうのは、まことにおこがましく、恥ずかしく、恐ろしいことです。ヨーロッパ音楽の伝統の何たるかをしっかり把握していないものは、聴いていて虚しいばかりです。それはジャズでも同様です。ジャズには技法と作法があると黒田卓也さんが説いている。ジャズの歴史はクラシック音楽ほどではありませんが、歴史を知っているか知っていないかがミュージシャンには大切だ。インタープレイの相手が、どこの時代が好きなのかという言葉(言語)がわからないと会話ができない。ジャズ・ミュージシャン同士で重要視されている『NOW’S THE TIME』に関心がないと、アドリブもまともに出来ないでしょう。
それを置き去りにしてしまっている「楽器を弾ける」演奏家が郎党を組んでいるのは、どうしたもんじゃろの。One Step on a Mine, It’s All Over ― 彼らは自分たちが育った街を自慢できるだろうか、胸はって自分の会社を誇れるだろうか。またそれとは別に「音楽的に弾く」と言う意味をとり違えている人を見ました。これは下手をすると一生引きずってしまうでしょうね。ちょっとかわいそう。日本人は器用な民族なので、真似をして良いのです。そして先達に敬意を忘れずに、ルーツを誇りましょう。ジャズのライヴでアドリブが、ただのメンバー紹介で、全くアドリブの様式に成っていない演奏は気持ち悪いが、最後で何十秒も長々と音を引っ張っているのも閉口してしまう。それは自分だけのエクスタシーに酔っているだけで、聴き手を疎かにしている演奏だ。音楽を聴いてもらうというのは、どちらが主体なのか、自分たちの満足を満たすのはリハーサルのうちに済ませて欲しいと思う。お金をもらって聴いてもらっていることを忘れてはいけない。特に、プロとして聴衆の方々に、瞬間芸術であるこの「音楽」を提供する場合には、もっと謙虚に、もっと慎重であるべきだと思います。必ずしも、その国、言葉のエキスパートであるべき、と考えるのは適切だとは思いません。ただ、日本人である以上、一流のプレーヤー足り得るためには、器用に逃げないで自分の血の中にない部分については学び取る必要があるのです。どんなに個性的な演奏も、結局は独善的なもので専門家的に聴けば説得力はありません。

例えばハンス・リヒター=ハーザーの演奏は地味ではあるけれど、細部に至るまで原典を研究しつくした音楽的な表現です。一般には、ヴィルヘルム・ケンプやヴィルヘルム・バックハウスの陰に隠れてしまっている存在かもしれませんが、どちらかと言うと彼こそがオーソドックスな伝統を具現できる極めつけの名手だ。二人の名匠と比べてもヒケをとらないどころか、中古オリジナル盤市場では人気盤にあげられることで評判のほどが分かる。その確かなアーティキュレーションに知性を感じる。ドイツのピアニストならではと言いたくなるような堅固な構築力、深い陰翳を宿した夢幻性、曖昧に濁さない明確な直截性が、彼のピアノの中では調和している。いわば気骨があり、風格も色気もある、身なりのよい大人の語り口。そこから熱い歌心がこぼれてくる。だからその余韻も単に爽快なだけでは終わらない。当然、自己陶酔ではない。作品にフィットした「これしかない響き」の素晴らしさといったら、ヘルベルト・フォン・カラヤンと組んだブラームスのピアノ独奏曲第2番も良い。華やかさの中に固い芯があり、アクセントの付け方が独特。そのピアニズムはカラヤン色に染まらない。

英EMIの偉大なレコード・プロデューサー、ウォルター・レッグとカラヤン&フィルハーモニア管弦楽団のレコードの数々は、その後のクラシック音楽のレコードの作り方、販売戦略の手段として正に基準となるような仕事であった。カラヤンは最初の《悲愴交響曲》の録音の時から既に大オーケストラの繊細な単音からダイナミックなハーモニーまでを、いかに効率良くレコードで聞かせることができた。その天性の才能あってヴィルヘルム・フルトヴェングラーに頭を抑えられてコンサート活動が思うように出来ないカラヤンをレッグはレコード製作に誘った。そのお互いの利害が一致した関係に終止符を打った後の録音。1954年にドイツ音楽界に君臨していたフルトヴェングラーの急逝にともない、翌55年にカラヤンは、ついにヨーロッパ楽壇の頂点ともいえるベルリン・フィルの首席指揮者の地位に登りつめた。そうなるとカラヤンはさらなる飛躍を狙った。もはや機運はカラヤンに向いていた。ウィーン・フィルがすでに英DECCAと専属契約していたし、ベルリン・フィルを抑えたドイツ・グラモフォンもカラヤンに接触していた。そして何よりも結婚だ。26歳年下のファッション・モデル、エリエッテ夫人と結婚した。もうレッグの手を借りなくても独り立ちできる。時は満ちていた。一方、レッグは契約更新をしないでいるカラヤンをギリギリまで待った。はっきりした時にはフィルハーモニア管弦楽団にはオットー・クレンペラーを迎え入れている。既に内通は通っていたのだろう、親離れするカラヤンを慮って席を開けてくれていたのだ。順風満帆のカラヤンは、単身渡米してカーネギー・ホールでニューヨーク・フィルとのライヴ(1958年11月15日、ウェーベルン:弦楽合奏のための5つの楽章 作品5、モーツァルト:交響曲第41番ハ長調 K.551「ジュピター」、リヒャルト・シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」作品40。同22日、ベートーヴェン:交響曲第1番ハ長調 作品21、ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調 作品125 )を残して戻ると、英EMI時代の置き土産にベルリン・フィルを使ってハンス・リヒター=ハーザーと1958年11月30日ベルリン、グリューネヴァルト教会でのセッションステレオ録音を遺した。

自己陶酔ではない、「これしかない響き」の素晴らしさといったら、地味ではあるけれど、細部に至るまで原典を研究しつくした音楽的な大人の語り口です。

ハンス・リヒター=ハーザー(Hans Richter-Haaser)は、かつてヨーロッパでもアメリカでも称賛されたドイツのピアニストであるが、戦争に翻弄され遺された音源が限られている。彼がドレスデンに生まれたのは1912年1月6日。13歳でドレスデン・アカデミーに入学し、ピアノだけでなくヴァイオリン、打楽器、指揮法も学んだ。1928年にデビューし、18歳でベヒシュタイン賞を受賞。各地でリサイタルを行うが、ドイツの防空兵として応召したことでピアノを弾くことができなくなり、キャリアが中断される。戦後はデトモルト交響楽団の音楽監督を務めるかたわら、北西ドイツ音楽アカデミーでピアノ、伴奏法を教えていた。そして1953年、転機が訪れる。病気になったソリストの代役でバルトークのピアノ協奏曲第2番を演奏し(指揮はパウル・ファン・ケンペン)注目を浴びたのだ。1959年には「皇帝」のソリストとしてセンセーショナルな成功を収め、満を持してアメリカ・デビュー。直後の1960年に、《皇帝》をイシュトヴァン・ケルテス指揮フィルハーモニア管弦楽団で録音している。1970年にベートーヴェン生誕200年記念を迎えるにあたり、聴衆の強い要望でピアノ・ソナタとピアノ協奏曲全曲を弾いたくらいにドイツのベートーヴェン弾きとして定評があった。この時の《皇帝》はヘルベルト・ケーゲル指揮ライプツィヒ放送交響楽団の録音がある。1980年12月13日死去。自分のもつすべての想いを込めた言葉でこそ、最高の演奏足りえますが、その場を楽しむだけに技術を磨くのもいいでしょう。それが現代的なことかもしれない。でも、その完璧なテクニックと音程、発音とリズム、構成と表現力を披露しつつ、その場面に応じた正しい表現をすることのほうが、言葉や距離や時間の壁を越えて、人は心を打たれるのです。ほんの少しの時間を過去のレコードを聞くことに割くのは難しくないでしょう。

ベルリン・フィルにおけるブラームスの演奏の伝統は、1887年にブラームスの友人だったハンス・フォン・ビューローがベルリン・フィルの芸術監督に就任したときにさかのぼります。ヘルベルト・フォン・カラヤンがしばしば好んで語ったように、ブラームスの音楽の解釈について、ブラームスとビューローの考えは常に一致したわけではありませんでした。ビューローが正確なテンポに価値を置いたのに対し、ブラームスはより緩急のある感情表現を好んだからです。後に芸術監督となるフルトヴェングラーはブラームスの考えに共感し、優れた解釈で名をなしました。豊かでほの暗いオーケストラの響きと、テンポへの自由な扱いといった演奏スタイルは、カラヤンも受け継ぐことになります。交響曲第1番は、カラヤンがもっとも多く指揮したブラームスの交響曲。キャリアの初期における重要なデビューコンサート ― 1934年アーヘン、1938年アムステルダム、1946年ウィーン ― で、この作品を指揮しています。1955年2月には、ベルリン・フィルの初のアメリカ・ツアーにおける最初のワシントン公演でこの交響曲を指揮しました。交響曲第3番は、カラヤンは大抵の場合チクルスの一環としてのみ振りましたが、それとは対照的に交響曲第2番と第5番を彼は深く愛好し、数々の忘れがたい演奏を披露しています。1938年4月8日、カラヤンがベルリン・フィルのデビュー公演に選んだのも第4番でした。大方カラヤンの1番はレガート過剰で切れ味にかけ重々しすぎる気もするが、この演奏はノリがよく金管や打楽器のリズムがアクセントとして良く効いていて「無駄のない合理的な動きの統一的集合体」が一番良く現れている。ヘルベルト・フォン・カラヤン(オーストリア 1908〜1989)は、その魅力的な容貌と優雅な身のこなしでたちまちにして聴衆の人気をとらえ、単にこの点から言ってもその人気におよぶ人はいない。しかも彼の解釈は何人にも、そのよさが容易に理解できるものであった。芸術的に高度のものでありながら、一種の大衆性を備えていたのである。元来レパートリーの広い人で、ドイツ系の指揮者といえば大指揮者といえども、ドイツ音楽にかぎられるが、カラヤンは何をやってもよく、その点驚嘆に値する。
  • Record Karte
    • 演奏:ハンス・リヒター=ハーザー(ピアノ)、イシュトヴァン・ケルテス指揮、フィルハーモニア管弦楽団
    • オーソドックスなドイツ音楽の伝統をもっとも正確に具現化していると言われるハンス・リヒター=ハーザーの数少ない録音の一つ。ドイツ・プレス初期盤です。ステレオ盤オリジナルの英国盤SAX2426は入手困難・高額盤となっています。
    • 曲目
      1. モーツァルト:ピアノ協奏曲17番
      2. モーツァルト:ピアノ協奏曲26番「戴冠式」

CDはアマゾンで

Piano Concerti 17 & 26
Richter-Haaser
Capitol
1991-07-01



Karajan Conducts Brahms: Piano Concerto 2
Brahms / Richter-Haaser / Karajan / Berlin Phil
Emd Classics Imports–Allegro
2000-10-17



Early Years
Richter Haaser
Philips/Special Imports (Ger)
1996-01-22



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