GB EMI SLS806 オットー・クレンペラー フィルハーモニー管弦楽団 エリーザベト・シュヴァルツコップ ヒルデ・レッセル=マイダン マーラー 交響曲2番「復活」

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「 GB EMI SLS806 オットー・クレンペラー フィルハーモニー管弦楽団 エリーザベト・シュヴァルツコップ ヒルデ・レッセル=マイダン マーラー 交響曲2番「復活」」を通販レコードとしてご案内します。

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相手の宗教に触れることは災いのもとになると、欧米では言われている。音楽には作曲者の宗教観も知らずには聴けない。

今の時代における演奏とは一線を画したマーラーで重厚で落ち着きがあり、リズムも含めて揺らぎのまったくない演奏、というのが晩年を迎えてのオットー・クレンペラーが、英EMIにレコーディングした数々を総称する表現ですが、事この《復活》は様子が違う。

マーラーの交響曲は《千人の交響曲》では言葉でストレートに訴えかけ、その反動に《夜の歌》があるように振り幅が大きい。その中で《復活》は均衡が取れている音楽だ。
オットー・クレンペラーは、50歳代半ばで脳腫瘍を患い、言語障害や体の麻痺といった後遺症に苦しみ、その移動中に骨盤の複雑骨折。さらに後頭部からステージ下に転落して頭部を強打し今度は背骨を骨折する。ベートーヴェンの交響曲全集を録音していた1958年9月には、クレンペラーは寝室で寝タバコのまま寝込んでしまい、火がベッドに延焼。それを消そうとし水と間違えて樟脳をばらまいてしまい全身に大やけど。これでもかという災いから、そのつど復活してきた何とも凄まじい指揮者です。
クレンペラーは終戦になったとき、瓦礫と化したドイツやフランス、ヨーロッパ中を回って、このマーラーの《復活》だけを演奏し続けました。クレンペラーは1951年にオランダ音楽祭の快速な『復活』などで成功を収めた後、北米でも指揮活動をおこないますが、その際、モントリオール空港で転倒のため大怪我をして長期入院を余儀なくされ、さらに当時の法律によって1954年までヨーロッパに戻ることができなくなってしまいます。
その怪我によりクレンペラーは椅子に座って指揮をするようになり、結果として、1954年からは以前のような快速アプローチは影を潜め、その芸風は冷静なコントロールの効いたバランスの良いスタイルに変化しています。そのため、軽さがなくなったことから力強さや緊張感のいっそうの向上が認められ、緻密なリズム処理や造形的な打ち出しの強さも比類が無いという、まさに精神面・体力面でベストと思われる状態に達することになります。
また、若い頃、これをピアノ用に編曲して、まだ生きていたマーラーに見せに行ってマーラーを非常に感心させたというから《復活》は自家薬籠し尽くしていたといえます。
マーラーに私淑したクレンペラーにとって、彼の作品は重要なレパートリーとなったが、すべての交響曲を演奏することはなく、煩雑な演出や主観的な感情表現を拒否した冷徹で厳しい解釈が特徴となっており、濃厚で劇的なマーラー演奏を求める向きからはあまり好まれない傾向にある。
「立ち上がる、そう、あなたは立ち上がるだろう」と歌う、この曲がマーラーの交響曲としてよりも宗教曲を思わせるのは、自分自身何度も絶望の中から立ち上がってきたクレンペラーだからこそで、そういう点では、二度と現代には存在しえない演奏だろう。
今、熊本地震で疲弊している心体には本盤は程よく染み渡る、音楽を聴くことの喜びを改めて認識させてくれた。

  • オットー・クレンペラー指揮、フィルハーモニー管弦楽団
  • エリーザベト・シュヴァルツコップ、ヒルデ・レッセル=マイダン

  • Record Karte
    • 1961年11月、1962年3月ロンドン、キングズウェイ・ホールでのクリストファー・パーカーによる優秀録音
    • 名演、名盤、解説書付属。

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