「 GB DECCA LXT5341 ゲオルグ・ショルティ イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団 レスピーギ バレエ音楽「風変わりな店」 デュカス 交響詩「魔法使いの弟子」」を通販レコードとしてご案内します。
「風変わりな店」は浅田真央選手がフリーで使ってもいた。 ― 迫害から逃れ、戦火を避けながらの演奏活動から結束して築き上げた〝世界一の弦〟を堪能できるレコード。
故国の音楽への敬愛を失わなかったレスピーギが、ロッシーニの小品集「老いのいたずら」に基づいて作曲しました。
ストーリーは愛し合う一組の人形が別々の客に買われていくことになり、その危機を仲間の人形達が救うというファンタジー物語となっています。
人気絶頂24歳の時に、わずか13日間で書き上げたのが歌劇「セビリアの理髪師」(Il barbiere di Siviglia)。喜劇的オペラの天才と呼ばれヒット作を次々と作曲。パリ・オペラ座と10年契約を結んだロッシーニですが、新作「ウィリアム・テル」(Guillaume Tell)を作曲中に突然断筆宣言。37歳の早すぎる引退に世間は驚きました。
喜劇ばかりもてはやされ、人気の一方で限界を感じていたロッシーニ。時を同じくして、パリでは空前のグルメ・ブームが巻き起こっていました。街なかのあちらこちらにレストラン文化が花開き、中級階級の市民もレストランへ食事に出掛ける時代が到来したのです。
ロッシーニはフランス国王シャルル10世の即位に際、「フランス国王の第一作曲家」の称号と終身年金を得たことによりますます食に贅を尽くす日々を送る様になっていました。そこに1830年の7月革命が起こりフランス国王シャルル10世が退位する自体に、政変のあおりでロッシーニの年金契約が無効とされてしまいます。
そこでロッシーニは新政府を相手に終身年金を求める裁判を起こし、オペラの筆を折ると宣言しフランス政府に圧力をかけたのです。契約はあと5年残っている。グルメ・ブームを通じて、美味追求が芸術や学問と同質の文化的営みと理解されていた時流にもロッシーニは乗ってしまいます。
裁判が審議される間のつもりで料理の創作に情熱を注ぐようになり、考案したトリュフとフォアグラを使った様々な料理が評判となり(「ヴルーテ・ロッシーニ」「ロッシーニ風リゾット」「シタビラメのロッシーニ風」「ロッシーニ・バーガー」などと「ロッシーニ風」「ロッシーニスタイル」と名付けられることがある)、1836年、裁判に勝って終身年金を得たロッシーニは、すでに料理家としての情熱の方が作曲家としてのそれに勝っていました。
溢れんばかりの才能で苦労せずとも有名になった故、その地位に固執していなかったのでしょう。生業にはしなくても宗教音楽や室内音楽の作曲を行い、晩年には各界名士を招いて毎週美食の晩餐会を催し、「やれやれグリンピース」「ロマンチックなひき肉」「バター」など、料理や食材の題名の音楽まで作曲している。大変なセンスと稀代の作曲能力は衰えなかった。
近代イタリア復古主義の一翼を担った作曲家 レスピーギ
●ボローニャの音楽学校でヴァイオリンとヴィオラを学んだ後、1900年にペテルブルク歌劇場のヴァイオリン奏者となり、ここでリムスキー=コルサコフを知って、彼に管弦楽法と作曲を学んだ。1902年にはベルリンでブルッフに師事、1913年にローマに居を移し、聖チェチーリア音楽院教授に就任、のちに院長となった。レスピーギは生涯離れることのなかったローマに限りない愛情を感じ、交響詩の3部作、「ローマの噴水」(1917年)、「ローマの松」(1924年)、「ローマの祭り」(1929年)を作曲した、バレエ音楽「風変わりな店」(1918年)、3曲の「リュートのための古代舞曲とアリア」(1917〜32年)も名高い。
●イタリアから伝搬していった音楽文化の、ヨーロッパ全土からの影響を咀嚼して、現代的な音楽文化を成立させた。彼の音楽はイタリア人特有の流麗な旋律美と、巧緻な近代的管弦楽法によるイタリア的な色調が魅力となっている。
●このバレエ音楽「風変わりな店」はレスピーギが、バレエ・リュスを率いるセルゲイ・ディアギレフから作曲の依頼を受けた際に、イタリアのペーザロにあるロッシーニ音楽院に保管されていた、ロッシーニの未出版の小品集「老いの過ち」(Péchés de vieillesse)の中から素材を借りて作曲した1幕のバレエ音楽です。レスピーギは、のちにも同じ曲集による姉妹作、管弦楽組曲「ロッシーニアーナ」(Rossiniana)も作曲しています。
バレエ「風変わりな店」(La boutique fantasque)のストーリーは、海岸沿いの玩具店を訪れたアメリカ人の家族とロシア人の家族に店主が音楽に合わせて踊る人形を見せる。やがて1組の人形の1体が買い上げられるが、残った人形たちが夜中に動きだすというもの。次の8曲が連続して演奏されます。
「序曲」▶(世界的にも有名な人形店ののどかな情景が描かれています。しかし、そのお店は魔法の人形達がいる「magic toyshop」なのです。
「タランテラ」▶人形店に二人のイギリス人女性とアメリカ人の家族がやってきて賑わい始めます。人形達は自分こそが買われようとパフォーマンスを披露していきます。
「マズルカ」▶トランプがデザインされた人形はマズルカを披露します。
「コサックダンス」▶ロシア人の家族が来店すると全ての人形は彼らを歓迎します。そしてコサック人形はロシアの伝統的な踊りを披露します。
「カン・カン」▶店主は彼のお店でもっとも洗練された一組のカン・カンダンサーの人形を披露します。華やかなドレスを身にまとった彼らは素晴らしい踊りを客に披露します。
「ゆっくりなワルツ」▶その素晴らしい踊りに感心したアメリカ人の家族は男性の人形を、ロシア人の家族は女性の人形を買うことにします。支払いは済まされ二人は別々の箱に入れら翌日には引き渡されることになります。
「ノクターン」▶帳がおりると店の人形達は踊り始めます。そして、彼らは愛し合う二人が引き離されないようにお店から逃がします。
「ギャロップ」▶翌日訪れたお客は人形が消えたことに腹をたてるのですが、コサック人形が銃剣で彼らを追い払います。やがて、幸せそうに踊る二人のダンサーをお客達は驚きの目で見守る中で幕はおります。
親しみやすいユーモラスな旋律にあふれた交響詩「魔法使いの弟子」は、ゲーテのコミカルな詩の世界を見事に描いた名曲です。
パリに生まれたデュカスは16歳でパリ音楽院に入学。若手音楽家の登竜門「ローマ賞」に応募しましたが結果は2等。1等を取れなかったことに失望したデュカスは音楽院をやめてしまいます。彼は誇り高き完璧主義者だったのです。
その後デュカスは兵役に就き、音楽とは無縁の生活を始めますが彼にとっては苦手なものばかり。過酷な訓練に音をあげていました。そうした中、音楽に理解のある軍楽隊の隊長との出会いがきっかけとなり、何と兵役中に2か月間オペラの上演を手伝う、という異例の任務を命じられたのです。オペラは大成功。デュカスは除隊し再び音楽の道を歩み始めます。今度は作曲のみならず音楽評論家の活動も始めました。
他人の作品を批評する立場になったデュカスは、自分の音楽に対する完璧主義を一層強固なものにしていったと言われています。そうした中で出会ったのがゲーテの詩「魔法使いの弟子」でした。ドラマ性やユーモアに溢れたこの詩は、デュカスにとって完璧な詩であり彼の創作意欲を刺激したと言われています。
寡黙な作曲家ではなく、旺盛な作曲ぶりでしたが、音楽評論家で名を成した手前、自己評価も厳しく、デュカスは70以上の未発表の作品を全て破棄し生涯に僅か十数曲しか発表しませんでしたが、そんな彼が自信を持って世に残した完璧な作品、それが「魔法使いの弟子」(1897年)です。
魔法使いの老師が弟子に留守を任せたところから物語は始まります。覚えた魔法を使ってみたくなった弟子は、古いホウキに水くみをさせようと魔法の呪文を唱えます。ホウキは動き出して水くみを始め、水槽の水かさは増えていきます。やがて弟子は、止める呪文を忘れたことに気づきますが、ホウキの水くみは止まりません。遂に弟子は、ホウキにおのを振り下ろし真っ二つに割ってしまいます。やれやれと弟子が安心したのもつかの間、今度は、割れたホウキが2本になって水くみを始めました。もう部屋の中は水びたし。あわや弟子が溺れそうになったところに老師が帰宅し呪文を唱えると、水はピタリと止まるのです。
どれほど素晴らしい音楽的才能に恵まれていても、忍耐に欠けている人は録音には不向き。ところが、どれほど困難な状況であっても、やり遂げてしまう気骨がショルティにはあった。
とにかく、あの人は骨のある人で、自分の芸術に対しても真摯な態度を貫いており、効果だの立身出世しか眼中に無い芸術家ではありません。今日のような状況では、それだけですでに立派なものです!―フルトヴェングラー
とにかく、あの人は骨のある人で、自分の芸術に対しても真摯な態度を貫いており、効果だの立身出世しか眼中に無い芸術家ではありません。今日のような状況では、それだけですでに立派なものです!―フルトヴェングラー
理想主義者にして実用主義の一面もある。
理想主義者にして実用主義の一面もある。
- Record Karte
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- 1957年3月テルアビブ Tifferet Cinema, Rishon le Zion セッション録音
- ジョン・カルーショー、プロデュース
- 英デッカのステレオ録音最初期の優秀録音・名盤です。
CDはアマゾンで
from 100年後でも聴いて楽しいアナログ名盤レコード https://ift.tt/Zt3CDpa
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