GB DECCA LXT5164 ジュリアス・カッチェン ピエリーノ・ガンバ ロンドン交響楽団 チャイコフスキー ピアノ協奏曲1番 リスト ハンガリー幻想曲

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「君はテクニックがありすぎるね」 ―  パスカル・ロジェが17歳の時、演奏を初めてジュリアス・カッチェンに聴いてもらうと、ピアノから離れなさい。1日10時間もピアノの前で練習していたら、他のものに対する好奇心を失ってしまう。音楽はピアノの前で考えるだけでなく、人生を知ることでもあり、他人の心情に思いを馳せることでもあるのだからとアドヴァイスされた。「ものを考えたり、本を読んだり、美術館で絵画を見たり、芸術、文学、哲学 … 色々なものを受け入れて視野を広げることも大事ですよ。」ということだ。その言葉にはカッチェンの信条が在るが儘出ている。演奏活動で多忙だったせいか弟子はほとんどとらなかったカッチェンの唯一の弟子と言われているのがロジェで、およそ2年間カッチェンの元で学んでいる。カッチェンは、10歳の時にラジオ番組に出演してシューマンを弾き、その放送の出来を聴いていたユージン・オーマンディに1年後に招かれて、アカデミー・オブ・ミュージック(Philadelphia Academy of Music)でフィラデルフィア管弦楽団と演奏。その1ヶ月後、ニューヨークのカーネギーホールで、ジョン・バルビローリの指揮でモーツァルトのピアノ協奏曲第20番を弾いてデビュー、ニューヨーク・タイムズはカッチェンの演奏について11歳の少年にこれ以上望むことはできないだろう。と賞賛した。子供の頃のカッチェンは優れた水泳選手であり卓球選手でもあった。ピアノの練習をしていないときは庭で野球をするのが大好きだった。14歳までは自宅で祖父母から音楽を学んでいたが、カッチェンの父は、まず正規の教育をきちんを受けるべきで、ピアノが優先されてはいけないという考えを持っていたため、カッチェンは音楽学校には行かず、一般高校からベンシルベニアのハヴァフォード大学に進学した。その後、カッチェンは大学で哲学とフランス語学を学びながら、カレッジ時代での師事したピアノの教師はデイヴィッド・サパートンだけだった。1946年にカレッジの4年課程を3年間で終え哲学の学位をとり、首席で卒業。この優秀な学業成績によってフランス政府から奨学金を得て、1946年にパリへ留学。演奏会が注目を集めると、その後はパリを本拠に活躍した。ピアニストとしての活動をほぼ休止し、一般大学で学生生活を送ったことついてカッチェン自身は、知的好奇心を育ててくれたことで、レパートリーとしてより精神的な面でチャレンジングな作品への関心を持つようになったと言っている。それにカッチェンのタッチは力強く、音量も大きいし、指回りも抜群に良い。「個々にそれぞれ異なる性格、音楽性、肉体的条件を尊重し、洞察し、その自然な成長を待つ」という、テオドール・レシェティツキーの流派のメトードに根ざした、難曲のコンチェルトを一晩に数曲演奏するほどのスタミナが培われていたのだ。米国でも定期的に演奏活動を行ったが、彼はパリに永住した。その理由として「米国では音楽学生同士は建設的な関係にあって友人同士でさえある。お互いのコンサートに行っては誉めあう。パリでは、コンサートへ行くのは同僚ピアニストの失敗や欠点を探しにいくためだ」とインタビューで話していた。お互いを認め合って横並びに前進するより、ライヴァルのしくじりを見つけることは得られることがあるし、それは私も面白い。

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