「 DE DGG 2740 118 カール・ベーム ウィーン・フィル ヤノヴィッツ ファスベンダー グリスト プライ モーツァルト コジ・ファン・トゥッテ」を通販レコードとしてご案内します。
舞台の生命と活力をそのまま音楽の演奏の中にもたらしている。 ― 3種あるカール・ベームのモーツァルトの歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」の録音中、最後の録音が一番良い。堂々と恰幅が大きく、美しい。ライヴならではの自由度の高さもあり、時折見られる緊張感の欠如やリズムの硬直を払拭して余りある魅力に満ちている。1974年のザルツブルク音楽祭のライヴ録音は、ライヴ録音らしく舞台上の音、足音やら客席の雑音も混じっていますが、演奏もやや力が抜けた印象で、演出やウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のおかげもあってこういう演奏が出来上がった。歌手陣が様式をはみ出したり、アンサンブルを壊さない様に注意を払い、ベームはオーケストラや歌手の自発性を尊重しつつ全体を大きくまとめている。ペーター・シュライアーのフェルランドとヘルマン・プライのグリエルモは最高だ。ローランド・パネライのドン・アルフォンソも老獪さが感じられ、悪くない。女声陣ではレリ・グリストのデスピーナが流石である。アンサンブル・オペラと呼ばれてきたこのオペラで一番面白く、活き活きと描かれているのは悪巧みを知っているデスピーナで、歌も面白いアリアがあり、姉妹の性格もよく承知しているのでデスピーナこそ、この物語の主役と考えるなら女声版レポレロと見做される存在です。グンドゥラ・ヤノヴィッツとブリギッテ・ファスベンダーの姉妹役も水準以上である。こうした独唱者のアンサンブルの妙は、歌手陣達がかなり自由に表現を行っていて登場人物のキャラクターの魅力も出ているところにある。ナポリ国王の命令で戦場に行くことになった青年士官フェルランドとグリエルモは、老哲学者ドン・アルフォンソの「女は必ず心変わりする」との主張に対して、「自分たちの恋人に限ってそんなことはない」と言い争う。そこでお互いの恋人を入れ替えて、女達を試そうと目論む。港に船が着き、兵士たちが出発する。航海の無事を祈るフィオルディリージとドラベッラの姉妹のもとに、変装したフェルランドとグリエルモが現れ、フェルナンドはフィオルディリージに求婚し、グリエルモはドラベッラに求婚する。姉妹の女中デスピーナは、「男はほかにもいるでしょう」と姉妹を炊きつける。モーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」第1幕第7番 ― スザンナ、バジリオ、アルマヴィーヴァ伯爵の三重唱で、テーブルかけを持ち上げると隠れていたケルビーノが出てきて、伯爵が「こりゃ何たることじゃ!」とびっくり、はたしてスザンナは「ああ、どうしましょう。神のおぼしめしに任せましょう」と腹をくくると、すかさずバジリオが「女はみんなこうしたもの(Così fan tutte)。とりたてて珍しいことではござらぬ」と言い捨てる。「コジ・ファン・トゥッテ」は、このバジリオの言葉を題名にした喜劇です。このような一見ナンセンスとも言える題名と喜劇のせいで、19世紀には大分低俗な歌劇と見られていたそうです。でも、モーツァルトのオペラ作品全てが素晴らしい古典作品となっていますが、これはダ・ポンテの台本にモーツァルトが作曲した三部作だけに、前作からの引用も容易であったと推測しています。その「コジ・ファン・トゥッテ」の中に「ドン・ ジョヴァンニ」を見出し、更に「ドン・ジョヴァンニ」の中に「フィガロの結婚」を見出した訳ですから、モーツァルトのオペラの原点は「コジ・ファン・トゥッテ」にあるというのが私の持論で、「コジ・ファン・トゥッテ」こそモーツァルトのオペラ作品の最高峰であると確信しています。登場人物の数が少なく、しかもそれが一対ずつの組に分けられているために、それぞれが特徴あるアンサンブルとなっており、このオペラ独特の美しさは、このアンサンブルによるものだと思います。
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