「 GB RCA SB2081 フリッツ・ライナー シカゴ交響楽団 リーザ・デラ・カーザ マーラー 交響曲4番」を通販レコードとしてご案内します。
リヒャルト・シュトラウスが得意なリーザ・デラ・カーザも最高の歌唱を披露している、オーケストラの技量臭をいささかも感じさせない健康的なマーラー ― 長女マリア・アンナがジフテリアで亡くなり、マーラー自身も心臓病と診断された1907年12月、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場から招かれる。マーラーは、当時の楽壇の頂点に登り詰めたトップ指揮者だった。音楽性以上に徹底した完全主義、緩急自在なテンポ変化、激しい身振りと小節線に囚われない草書的な指揮法は、カリカチュア化されるほどの強い衝撃を当時の人々に与えている。マーラーは自身と同じユダヤ系の音楽家であるブルーノ・ワルター、オットー・クレンペラーらに大きな影響を与えている。特にワルターはマーラーに心酔し、音楽面だけでなく友人としてもマーラーを積極的に補佐した。クレンペラーはマーラーの推薦により指揮者としてのキャリアを開始でき、そのことについて後年までマーラーに感謝していた。
マーラーは真っ暗闇でも、その存在で周囲を明るく照らした
マーラーは大変に活動的な、明るい天性を持っていました。自分の責務を果たさない人間に対してのみ、激怒せざるを得ませんでした。加えて、
朗らかでエネルギッシュであったマーラーは、無名の人間には極めて寛大であり助けを惜しまなかったが、思い上がった人間には冷淡だったマーラーはその一徹な性格から周囲の反発を買うことも多かった。リハーサルで我慢できなくなったときに床を足で踏み鳴らす、音程の悪い団員やアインザッツが揃わない時、当人に向かって指揮棒を突き出す、など楽団員からはマーラーの高圧的な態度が嫌われた。暴君の要請だと、新型コロナウイルス感染拡大を防止するために判断されたことに対することでも、今も変わらないものですが、ある日、ヴァイオリン奏者の一人が「マーラーがなぜあんなに怒っているのか全く理解できない。ハンス・リヒターもひどいものだがね」と言ったところ、別の者が「そうだね。だけどリヒターはユダヤ人ではない。マーラーには仕返ししてやるぜ」と言った。当時のウィーンの音楽ジャーナリズムからも反ユダヤ主義にもとづく不当な攻撃を受けていた。これら不健康な風潮から逃れてマーラーがヨーロッパを脱出したのは『大地の歌』を仕上げた後。マーラーは演奏する曲に対して譜面に手を入れることが多く、理由は演奏会場の空間的・音響的特長にこだわり、明瞭さを求め各演奏会場の特性に合わせて自作の楽譜を煩雑に書き換えていた。指揮について
全ての音の長さが正確に出せるなら、そのテンポは正しい
音が前後互いに重なり、フレーズが理解できなくなるとしたら、そのテンポは速過ぎる
識別できる極限のところがプレストの正しいテンポである。それを超えたらもはや無意味である
聴衆がアダージョについてこられない時は、テンポを速くするのではなく、逆に遅くせよなどのマーラーの言葉が残されている。オーケストラ演奏の録音は技術が未発達の時代であり残っていないが、交響曲4番、5番や歌曲を自ら弾いたピアノロールを残している。ロリン・マゼールとニューヨーク・フィルハーモニックがNHK音楽祭に招かれた際に、奥行きが浅く、横幅に余計に広いステージに戸惑い、ひな壇を用意してマゼールの要求する響きにすべく対処されたことがある。スタジオでのレコーディングは、マーラーの音楽をコンサートホールの特殊な音響条件のもたらすさまざまな危険から大幅に開放した。
from 100年後でも聴いて楽しいアナログ名盤レコード https://ift.tt/xTbo1Wr
via IFTTT

