「 US RCA LRL1 7529 アルトゥール・ルービンシュタイン ピエール・フルニエ ヘンリク・シェリング シューマン ピアノ三重奏曲ニ短調」を通販レコードとしてご案内します。
悲しみに溢れたヴァイオリンの響きのなかに希望の光がみえ、深刻さよりも清冽な瑞々しさや希望が表現される。 ― 《ピアノ三重奏曲第1番ニ短調作品63》は、1847年9月、愛妻クララへの誕生日プレゼントとして作曲された。誕生日プレゼントとしては意味深な調性だが、既に神経障害の兆候があったシューマンが、鬱状態の中で書いた曲であると言われている。幼い頃から有名なピアノの神童だったクララは、ピアノ教師だった父ヴィークの弟子ロベルト・シューマンと恋に落ちた。二人はクララの父の反対に遭ったため、逃避行をし、クララの父を相手に訴訟まで起こして愛を勝ち取り、結婚に至った。その後、クララは尊敬されるピアニスト・作曲家として活発に活動し、夫の曲を演奏して、シューマンは作曲家として名を広めた。やがて若い作曲家ブラームスの才能に気づいたシューマンとクララは、ブラームスを世に紹介し、弟子のように、友人のように、親しく交流していた。そのうちに、ブラームスは14歳年上のクララに恋心を抱くようになる。だが、クララはブラームスに対し、尊敬と友情だけで接した。そんななか、普段から患っていた神経症と鬱病が悪化したシューマンが、池に飛び込んで、自殺を図る。自らも多くの作曲をしたクララは日記のなかでこの作品に対して次のように記しています。
この曲は、まだ期待される多くのものを持っている人によって作曲されたかのようで、きわめて力強く、若々しいエネルギーにみち、また同時に充実した書法をもっている。シューマンの精神障害を心配していたクララにすれば、彼が未だに音楽的には衰えていないことを確認できた安堵の気持ちが「まだ期待される多くのものを持っている人」という表現に如実に表れています。シューマンがピアノとヴァイオリン、そしてチェロという組み合わせからなる三重奏曲に取り組もうという気になったのはメンデルスゾーンの影響が大きいと言われています。両者はそれぞれに影響を与えあっていたのですが、1947年に入って体力の衰えが著しかったメンデルスゾーンの様子を見て、メンデルスゾーンのニ短調のピアノ三重奏曲に強い関心の寄せていたシューマンは、何とか彼の存命中に同じニ短調による三重奏曲を書き上げようとしたのでした。とりわけ、メンデルスゾーンの作品において3つの楽器が見事なバランスを保持して鳴り響くのを聞いて、自らも同じような三重奏曲を書こうと思い立ったのでした。ピアニストのアルトゥール・ルービンシュタイン、ヴァイオリニストのヘンリク・シェリング、チェリストのピエール・フルニエ ― 黄金の名手3人が揃った室内楽録音史上に残る名盤。名手トリオによる、とってもシューマンらしい演奏となっている。「精力と情熱を持って」(Mit Energie und Leidenschaft)と題された第1楽章は雄大な構成をもった音楽であり、クララは「これまで私が知っているもっとも素晴らしい音画の一つのように感じられる」と記しています。第2楽章はスケルツォに相当する音楽(Lebhaft, doch nicht zu rasch(生き生きと、しかし速すぎずに))なのですが、ベートーヴェンのスケルツォと較べればロマン派らしい幻想性を持っています。第3楽章は「悲しみに溢れた音楽であり、ゆるやかに、心からの感情をこめて」(SLangsam, mit inniger Empfindung)とあるとおり、シューマンらしい叙情性に溢れています。先立つ楽章とはガラリと雰囲気を変えた終楽章は、「火のように」(Mit Feuer)と題された激しさと力強さに溢れた音楽になっています。そして、フィナーレ(Nach und nach schneller)は大きな頂点を築いてニ長調で結ばれます。前に出てソロをつとめることが多いピアノとヴァイオリン、それを縁の下で支えることが多いチェロという楽器の特性が、影響を与えることは間違いないですが、巨匠ルービンシュタインが、名手シェリング、フルニエと組んで1972年と1974年にジュネーヴで録音したシューベルト、シューマン、ブラームスのピアノ三重奏曲のそれぞれに、ルービンシュタイン最晩年の滋味あふれるピアノが、清新なシェリングのヴァイオリン、甘やかなフルニエのチェロに寄り添い、ドイツ・ロマン派の最高峰のピアノ三重奏曲の手本を示さんと言わんばかりに極上の名演を成し遂げている。85歳から87歳にかけて取り組んだ演奏ですが、「枯山水」と一言で評されるぐらいに特に室内楽のルービンシュタインのセンスがすばらしい。音楽性を引っ張る、出るところは出る、他の楽器を引き立てるべきところは伴奏に徹するなどピアノの理想的な役割を果たしています。若い時「100万ドルトリオ」と呼ばれていた頃は、チェロのエマーヌエル・フォイアマンがいがみ合うルービンシュタインとヤッシャ・ハイフェッツの間に入って仲を取り持とうとしていましたが、ピアニストのスビャトスラフ・リヒテル、ヴァイオリニストのダヴィッド・オイストラフ、そしてチェリストのムスティスラフ・ロストポーヴィッチがヘルベルト・フォン・カラヤンカラヤンの指揮とで録音されたベートーヴェンのトリプル・コンチェルトにまつわるエピソードは有名です。これだけ「我」の強いメンバーを集めればどうなるかは容易に想像がつくのですが、現実はそう言う「想像」をこえた大喧嘩が繰り広げられたことはあまりにも有名です。そして、そう言う大喧嘩の中でただ一人ロストロポーヴィッチだけが何とか間を取り持とうとして大声を上げ続けたそうです。「100万ドルトリオ」はフォイアマンの夭逝によって解散となってしまい、グレゴール・ピアティゴルスキーをむかえいれて再結成していますが、同じくハイフェッツとルービンシュタインの間ではバトルが繰り広げられるのですが、その時も間にはいるのはピアティゴルスキーだったそうです。そして三度目の正直。クララとロベルト、ブラームスの奇妙な三角関係に亀裂が入らなかったのは、そして、クラシック音楽の歴史上、最も有名なラブストーリーと成した、のは歳の差が絶妙に作用したようなものなのか。
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