森と湖の国フィンランドの美しさとその祖国に対するシベリウスの誇りが心の奥まで伝わってくる。

Jean Sibelius 1865.12.8-1957.9.20、フィンランド

フィンランドを代表する作曲家、シベリウスが没した日(1957年9月20日)。彼の音楽はフィンランドが当時置かれていた政治状況や、歴史や叙事詩といった文化的側面など、フィンランドという国にまつわるあらゆる要素を、ごく自然に音楽に取り入れたことが、最大の功績とも言える。その多くは交響詩《フィンランディア》に代表される管弦楽曲や歌曲などにモチーフとして、あるいは精神的なものとして反映されている。

謎の沈黙、交響曲第8番は作曲されたのか ― 「交響曲第8番は括弧つきでの話だが何度も“完成”した。燃やしたことも1度ある」 ― シベリウス

ヘルシンキ大学で法律を学んだ後、ヘルシンキ音楽院でヴァイオリンと作曲を学んだ。ベルリンとウィーンに遊学し、ウィーンでブラームスに認められた。1892年帰国後、ヘルシンキ音楽院の教授に迎えられ、その後『カレリア』組曲(1892年),『4つの伝説曲』(1895年),『交響曲第1番』(1899年),交響詩『フィンランディア』(1899年)など、フィンランドの国民性を象徴した名作を発表して、国民的大作曲家の名声を確立した。1897年には国会の決議によって年金が与えられ、政府及び国民の温かい支援の中で創作活動を続け、1925年までにあらゆる分野にわたって優れた作品を発表した。ヴァイオリン協奏曲、ピアノ曲、歌曲に優れた作品があるが、いずれも規模の大きな7曲の交響曲は、とくに音楽史に重要な位置を占めている。

フィンランディア

《フィンランディア》初演 ― 1900年7月2日

小国が大国の支配から脱しようとした時、音楽が“心の武器”として大きな役割を果たしたという話を一つ。時は20世紀直前、場所はフィンランドのヘルシンキ、作品は若き愛国者ジャン・シベリウスの交響詩《フィンランディア》だ。
19世紀末、帝政ロシアの支配下にあったフィンランド ― フィンランドは1809年頃から第1次世界大戦終了近くまでロシアに支配されていて、特にニコライ2世の統治下(1894年〜1917年)で強い支配下にあった。 ― だが、1900年にパリで開かれた万国博に自国のパビリオンを設けて参加した。そして7月2日、ヘルシンキで開いた記念コンサートの1曲に、シベリウスが1899年11月ヘルシンキの劇場で上演された愛国歴史劇《歴史的風景(いにしえからの歩み)》のための音楽の終曲が選ばれた。改作の手が加えられて、初めて《フィンランディア》と題されて演奏されたこの作品は、その愛国的な音楽故に「あまりにも愛国心を煽る」という理由で、ほどなくロシア皇帝によって演奏禁止を命じられたが、〝独立と自由の象徴〟となった音楽の力は偉大だった。1938年、この曲の中間部の抒情的な旋律に歌詞が付けられた合唱曲《フィンランディア賛歌》は、今もフィンランドの第2の国歌として歌われている。

フィンランディア賛歌

Oi, Suomi, katso, sinun päiväs’ koittaa,
Yön uhka karkoitettu on jo pois,
Ja aamun kiuru kirkkaudessa soittaa,
Kuin itse taivahan kansi sois’.
Yön vallat aamun valkeus jo voittaa,
Sun päiväs’ koittaa, oi synnyinmaa.

おお、スオミ(フィンランド国民の自称)
汝の夜は明け行く
闇夜の脅威は消え去り
輝ける朝にヒバリは歌う
それはまさに天空の歌
夜の力は朝の光にかき消され
汝は夜明けを迎える 祖国よ

Oi, nouse, Suomi, nosta korkealle,
Pääs’ seppelöimä suurten muistojen.
Oi, nouse, Suomi, näytit maailmalle,
Sa että karkoitit orjuuden,
Ja ettet taipunut sa sorron alle,
On aamus’ alkanut, synnyinmaa.

おお立ち上がれスオミ 高く掲げよ
偉大なる記憶に満ちた汝の頭を
おお立ち上がれスオミ 汝は世に示した
隷属のくびきを断ち切り
抑圧に屈しなかった汝の姿を
汝の夜は明けた 祖国よ

北欧の巨匠

シベリウスは1865年フィンランドのヘルシンキの郊外の町に医者の息子として生まれた。幼い頃からヴァイオリンを学びヴァイオリニストを目指したこともあったが、1885年にヘルシンキ大学に進んだ。しかし、音楽への道を諦めきれず、音楽院に転籍し、その後1889年からベルリン、ウィーンへ留学し、ブルックナーにも師事した。20歳ごろから作曲活動を始めたが、特に留学から帰国した1892年頃から本格的に活動を開始する。

1897年にはフィンランド政府から生涯年金も与えられることとなり、国際的な名声を確立したのである。彼が死んだ時フィンランド政府は彼を国葬し、彼の肖像は、ユーロ導入までのフィンランド100マルッカ紙幣に使用された。

DE CBS 61286 ユージン・オーマンディ シベリウス・フィンランディア/レンミンカイネン/エン・サガ

ゴージャスなオーケストラ・サウンドによってシベリウスの音楽から華麗な味わいを引き出し、アメリカでのシベリウス作品紹介に40年以上に渡って力を尽くしたオーマンディは、シベリウス本人とも交流のあった名指揮者。『フィンランディア』は、通常版1種と合唱版2種の3種類の録音があります。オーマンディの演奏を偶然ラジオで聴いたシベリウスが、その演奏の素晴らしさに感服し、電報を送ったという逸話が有名。

DE CBS 61286 ユージン・オーマンディ シベリウス・フィン…
DE CBS 61286 ユージン・オーマンディ シベリウス・フィン…

フィンランド人の苦悩、奮起、そして栄光が見事に表現されており、森と湖の国フィンランドの美しさとその祖国に対するシベリウスの誇りが心の奥まで伝わってくるようです。