「 GB PHILIPS ABL3123 ブルーノ・ワルター ニューヨーク・フィルハーモニック ハイドン 奇蹟 交響曲102番」を通販レコードとしてご案内します。
ヨーロッパのオーケストラの演奏だと錯覚しそうな仕上がり ― ブルーノ・ワルターは、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の楽員によく極端な対象を要求した。例えばモーツァルトの交響曲のピアニッシモのところで、オーケストラがまだ弾きはじめないうちに中断して、『皆さん、もう大きすぎます』と言うことがあった。またオペラ『フィガロの結婚』の序曲の練習では、やはりオーケストラが弾き始める前に中断して、『皆さん、もうテンポが遅すぎますよ』というのであった。ワルターは絶えず「先ず、ただきっちり弾け!」ということを要求していたわけだが、こうしたことはワルターの個性というより同世代の指揮者の特徴である。ワルターの演奏は情緒的とされながら、音の出し方は似ている。ただしワルターはアルトゥーロ・トスカニーニのようにオーケストラに対して威圧的な態度をとることがなく、穏和とか柔和というイメージがついているが、当の本人は「私の関心は、響きの明晰性よりもっと高度の明晰性、即ち音楽的な意味の明晰性にある」とか「正確さに専念することで技術は得られるが、技術に専念しても正確さは得られない」と述べているように、音楽的な「明晰性」と「正確さ」を得るためであればアポロンにでもディオニュソスにでもなれる人だった。ワルターはアメリカのオーケストラに多大な影響を及ぼした最重要人物の一人である。彼はグラマラスなサウンドのアメリカのオーケストラを使って、ヨーロッパのオーケストラの熟成された深みのある響きを自分なりのやり方で練り上げた。ワルターの演奏スタイルの変遷を簡潔な言葉で表すと、戦前の典雅、戦後の雄渾、晩年の枯淡ということになると思う。1930年代の名録音はワルターが60歳前後のときのものであり、コロンビア交響楽団と一連の録音を行ったときは80歳になっていた。にもかかわらず、彼は20年間で成熟をし続け、枯れることなく円熟に円熟を重ねることができた。天才は凡人の想像を超えるものとはいえ、それにしても音楽家としての器がよほど大きくなければ、そして芯の部分が柔軟でなければ、こういう円熟の仕方は出来ない。どれも魅力があるが、ニューヨーク・フィルハーモニック交響楽団とのモノラル録音では固まりとなってぶつかってくるような音は出さず、その出す音色は綺麗に磨き抜かれていることを強く感じる。本盤の録音時はニューヨーク・フィルの音楽監督退任後で既にディミトリ・ミトロプーロス時代になっていたが、元手兵を自在に駆使した〝現代的なハイドン〟は佳き時代を思わせる。「第96番・奇蹟」はウィーン・フィルとの1937年録音、フランス国立放送管弦楽団との1955年ライヴ音源があり「第102番」はワルター唯一の録音である。有名なコロンビア交響楽団との「V字」、「軍隊」の録音に隠れがちだが、この2曲もワルターのハイドン録音では重要なものだ。古典主義的ともいえる厳格で端正な音楽づくりを基本としながらも、所々にロマン主義的な自由な解釈をも聴かせる。ここに聴かれるワルター一流の晴朗なリリシズムは未だに凌ぐものがありません。
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