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我らのジークフリート ― 史上最初の『ニーベルングの指環』全曲をサー・ゲオルク・ショルティ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団で制作した英DECCAのプロデューサー、ジョン・カルショウの著した「ニーベルングの指環~プロデューサーの手記」には、ジークフリートを歌う歌手の選択・決定の苦労話があります。録音当初カルショウたちは、ブリュンヒルデにキルステン・フラグスタートを想定していたのと同じで、完成した全曲盤でこの役を歌っているヴォルフガング・ヴィントガッセンではない、別の歌手にこそ〝我らのジークフリート〟の役を託したものの、理想的な声を持つこの〝我らのジークフリート〟が、セッション当日になってもこの役をマスターできておらず、素晴らしい声と裏腹に表現力の欠如したもので、これではと断腸の思いで、慌ててヴィントガッセンに出演を要請せざるを得なくなった顛末が、読者もまるでその場に居会わされているような、迫真の表現で綴られています。この著作の中で、カルショウは率直に録音当初、その実績にもかかわらず、ヴィントガッセンをジークフリートに選ばなかった理由を記していますが、 そこで記された理由以上に、彼らの世代が共感できるヘルデン・テノール観があって、ヴィントガッセンの歌唱ではこの役柄への憧れは満たされないものだったようです。結果的には、この『指環』で以って、ヴィントガッセンこそが理想的なヘルデル・テノールにレベルアップされましたから、録音スタジオでのヴィントガッセンがどれほど素晴らしくその任を全うしたかを讃えるカルショウの腕前に感服するばかりです。同じヘルデン・テノールの持ち役であるジークムントやトリスタンと比べても、楽劇「ジークフリート」では、ほとんど出ずっぱりで、3幕幕切れには、それまで歌わないで4時間寝ているだけのブリュンヒルデが目覚めてフレッシュな喜びを歌い上げる輝かしいドラマティック・ソプラノと二重唱を延々30分以上、互角に歌いかわさなければならないという、歌手の体力を無視した超人的な期待をワーグナーが望んだ、世界を救済する究極の英雄なのですから生半可では済まされない。クリスマスの早朝にコジマ・ワーグナーの誕生日を祝って、寝室前でオーケストラが演奏した『ジークフリート牧歌』が上演に5日をかけるオペラの壮大な世界を創りあげた原動力となった音楽。「ワルキューレの騎行」「ウォータンの告別と、魔の炎の音楽」「ブリュンヒルデの自己犠牲」とブリュンヒルデを歌うソプラノが注目を浴びるように活躍して、オペラの壮大な世界のスポークスマンを担う働きですが、この戦乙女の夫となるジークフリートの看板となる名アリアはあったかしら。世界を救済する無垢な心を持つ主人公としては、パルジファルがいますが、彼は最終的に無知を知り大人の男になって終わる。ニーベルングの指環の諸役では、敵役のハーゲンやフンディングは、遙かに格好良く、聴き栄えのする場面を多く持っていて、昔からこれらの役を歌う歌手に事欠くことはありません。レコード録音されるようになって、ジークフリートを歌った歌手たちを、思い出すまま上げていくと、ラウリッツ・メルヒオール、マックス・ロレンツ、セット・スヴァンホルム、ベルント・アルデンホッフ、ルートヴィッヒ・ズートハウス、そしてヴォルフガング・ヴィントガッセン、ジェス・トーマス、ヘルゲ・ブリリオート、マンフレート・ユング、ルネ・コロ、ジークフリート・イェルザレム、ライナー・コルベルクとSP、LP、CD、それぞれの時代のヘルデン・テノールの第一人者の名前が連なります。この世界を救済する究極の英雄は、人間でなければ神でもない、怪力で恐れを知らない、無垢の少年といえば言葉は綺麗ですが、知恵もなくゲーテの「野ばら」の少年と共通する無慈悲ぶり。強靭な声を求める上に、感情移入や性格表現が難しいから演技力で報われるほどにはカバーされない。とくれば、さて、誰が理想のジークフリートだったのか?→コンディション、詳細を確認する
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