GB RCA SER4528-31 ラインスドルフ モーツァルト・ドンジョバンニ
商品番号 34-10923
通販レコード→英ダーク・レッド 銀文字 LIVING STEREO DECCA PRESS ED1相当盤
〝リーダーの形が変わってきている〟〜ノイエ・ザハリッヒカイトの旗手による整然たるモーツァルト。 ― 世界で初めて楽譜の指示通りに全楽章のリピートを実施した「ジュピター」に代表される、史上初のモーツァルトの交響曲全曲録音を成し遂げたエーリヒ・ラインスドルフ。彼はアメリカでボストン交響楽団との活躍が長かったせいかアメリカの指揮者のようなイメージがあるが、実はウィーンの生まれで、モーツァルトをはじめとするウィーン古典派は最も得意とするレパートリーだった。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とは名歌手を率いてオペラ「ドン・ジョヴァンニ」「フィガロの結婚」の名盤を残しているし、ラインスドルフのオーケストラ・ビルダーとしての巧みな手腕が100%発揮された切れ味鋭い名演。この《ドン・ジョヴァンニ》全曲はボストンに行く前にオペラ制作の職人芸の意気込みを見せつけたラインスドルフの代表作。丁寧で堅牢なカッチリした枠組みの、テクスチュアの見通しのいい、それでいて人肌の温もりを感じさせるような、腰の落ち着いた安定感のある演奏です。英デッカのジェームス・ブラウンをエンジニアに据えたり、プロデューサーに一連のイシュトヴァーン・ケルテスのウィーンもの録音を担当したレイ・ミンシャルを採用、音響効果の素晴らしいウィーンのゾフィエンザールでの録音セッション等々英デッカと米RCAの偉大な融合と呼べるべき成果。アクを感じさせない凛々しいモーツァルトを、精緻でかつ鮮やかに彫琢してみせたものでした。閑話休題。2016年4月の熊本地震で被災して修復工事が進む熊本城・大天守の外観工事が終わり、地震から3年半ぶりに〝日本三名城〟といわれる勇壮な姿が甦った。地震後は石垣が崩れるなどして城内に立ち入れなかったが、令和元年10月5日には天守閣の前まで近寄れる特別公開ルートで城内見学が部分開業された。熊本城の石垣はそのほとんどを加藤清正が造ったものです。清正は日本一の石垣名人と言われているほど、石垣造りの実力が高く、清正は名古屋城天守台石垣を、二代目の忠広の時代には江戸城・大坂城の天守台の石垣を造っています。熊本城は、いわば日本一高い技術で造られた石垣を直接見られる貴重な場所だともいえます。加えて、熊本城が400年以上の風雪や自然災害に耐えてきたのは、清正の優れた築城技術だけが理由ではない。飯田丸五階櫓は江戸時代より存在していたが、明治初期の西南戦争の折に旧日本陸軍により撤去され、砲台が置かれていた。そのため、復元されたのは平成17年とつい最近のことである。不幸なことにそれから10年も経たないうちに震災の被害を受けてしまったのだ。石垣の大部分が崩落したが、奇跡的に角の石垣は崩れなかったため建物自体は崩壊を免れた。この石垣は「奇跡の1本石垣」と呼ばれている。天守閣は、明治10年の西南戦争の直前に、大小の天守両方が焼失したが、1960年に熊本国体を契機として一般市民の寄付金により鉄骨鉄筋コンクリート造で外観が復元され、復元建造物となった。大天守の瓦はかなりの部分が剥がれ落ち、落城の様相だ。空撮された天守閣の写真を見て、鯱がないと判った時の熊本市民の動揺は大きかった。熊本地震で落下し破損した熊本城天守閣の鯱は、ひび割れが発見されていたこともあって、2007年の築城400年に合わせて宇城市の鬼瓦職人、藤本勝巳さん(故人)が製作したものでした。地震の揺れからのみでなく、落下する瓦によっても土台の石垣は崩落している。さて、熊本城の石垣は1889年(明治22年)の明治熊本地震でも崩れている。89年地震は7月28日に発生し、震源は熊本市西部の金峰山付近で、推定マグニチュードは6.3。この地震による石垣の被害・修復箇所と、3年半前の熊本地震の被害箇所が約8割重複していることが分かっている。熊本市の熊本城調査研究センターが宮内庁に保管されていた旧陸軍による「震災ニ関スル諸報告」を分析して判明した。→コンディション、詳細を確認する
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