〝final〟は予定されていた。 ― スカラ座でお別れ演奏会を行い、英国によってフィルハーモニア管弦楽団に客演した1952年がアルトゥーロ・トスカニーニの欧州での最後の指揮となる。高齢からくる記憶の問題など、トスカニーニも困難に直面していたこともあってか、人生の幕引きはこの頃からカウントダウンするように段取りされていたようにミスティックなくらいに運命的だ。ラスト・シーズンは1954年1月17日と24日にヴェルディの歌劇「仮面舞踏会」からスタートします。指揮者生活最後のオペラ指揮と決めてのリハーサルに熱を入れたようです。元来、トスカニーニはパルマ音楽院では作曲科の学生であった。ところが学生のときワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」を観覧し作曲家になることを断念、そのままチェロ科に移ってしまった。トスカニーニは極度の近視であり、譜面台に置いた楽譜が見えなかったため本番もリハーサルも暗譜で指揮するのが常であった。その暗譜能力は驚異的であり、合奏曲約250曲の全パート、オペラ約100曲の譜面と歌詞、更に多くの小品を完璧に覚えていたという。オーケストラをリハーサルで徹底的に鍛え、妥協を許さない専制的な指揮者であった。こうした態度はオーケストラのみならずオペラ歌手にまで及ぶのは常からだったが、その自慢の記憶力に不安を覚えるようになっていたから、より尚熱の籠るリハーサルになったのだろう。1954年4月4日、カーネギー・ホールでNBC響と最終演奏会を行い、68年間に及ぶ指揮者人生を終える。その日、不安的中。得意のオール・ワーグナー・プログラム・コンサート。その時に演奏していた曲目は「タンホイザー」序曲とバッカナーレで記憶障害により指揮を一時止めてしまった。そしてこの演奏会の直後にトスカニーニの引退が発表された。「我が指揮棒を不本意ながら置き、なおかつ我がオーケストラに別れを告げねばならぬ悲しい時が来てしまった」。引退は演奏会の前に計画されていたものであり、アクシデントは全米にラジオ生中継されており、録音作業としては6月に2度指揮している。夏にイタリア北部の町パルマに帰国。半年滞在して、米国に戻り、自宅で息子ヴァルテルらと共に発売可能な録音の選定を行って、本盤は許可されて発売された。大戦中の録音で興味深い、曲の最後でアメリカ国家が盛大に鳴らされるように改編されているカンタータ「諸国民の讃歌」、歌劇「ナブッコ」~「行け、我が思いよ、黄金の翼にのって」から、ヴェルディ最後の作品となった「テ・デウム」の最晩年のライヴにいたる名演で、ヴェルディ指揮者としてのトスカニーニのさまざまな側面を堪能できるアルバム。ズンチャッチャと弾むリズムにのって歌い継がれるメロディ・ラインのカンタービレな美しさ。ヴェルディの音楽が持つ魅力の真髄を明らかにするトスカニーニの熱気にあふれた指揮である。老齢ということも重なり、次第に心身ともに疲弊していったのは間違いないことですが、3月14日のオール・イタリアン・プログラムで演奏した、ヴェルディの「聖歌四篇」からの《テ・デウム》は、大戦中の録音と比べても、トスカニーニ健在!という印象を受けます。しかし、トスカニーニには時間をかけて十分に取り組まなければならない私的問題が重要だった。令和元年8月25日、熊本市西区にある五福まちづくり交流センターで開いた蓄音機鑑賞会で話した。孫娘ソフィアのことだ。→コンディション、詳細を確認する
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