LPが発売されたときに多くの音楽ファンを驚嘆させたセルのヘンデル。 ― 《水上の音楽》はハミルトン・ハーティが編纂した版にジョージ・セル自身が手を加えており、作品にいっそうの輝きを増しているのが特徴です。全体にセルの眼光がオーケストラの隅々にまで光っているようなキリリと引き締まった演奏で、ブラスの光沢のある音色がひときわ冴え渡っています。歌劇《忠実な羊飼い》からの《メヌエット》はイギリスの名指揮者トーマス・ビーチャムの編曲による演奏。ヘンデルのようなバロック音楽を、大オーケストラを指揮して演奏するというのは、もはや随分と過去の時代のもののように思うが、普段の演奏とはかけ離れた厳格な演奏を聴かされると、現代の古楽器奏法や古楽器演奏などというものが、実に小賢しく感じる。吹奏楽の国でもあるイギリスは優秀な管楽器奏者が多い。《水上の音楽》は名前の通り、イギリス国王ジョージ1世の船遊びのために、そして《王宮の花火の音楽》は祝典の花火大会のために作曲された音楽です。イギリスも巻き込んだ国際戦争となった、オーストリア継承戦争が、1748年に、アーヘン講和条約締結をもって終結。それを祝ってロンドンで開かれた花火大会のために作曲されました。野外で軍楽隊が演奏するために書かれた序曲は、オーボエ24、ホルン9、トランペット9、ファゴット12、コントラファゴット1、ティンパニ3対という驚異的な編成。しかも、管楽器はソリスティックに活躍します。セルの試みは、全体に明るく、開放的な雰囲気が溢れている。祝賀の花火の音にも負けないだろう。セルの最大の業績はオハイオ州の地方都市クリーブランドのオーケストラを、大都会のニューヨーク、ボストン、シカゴ、ロサンゼルスの各オーケストラに比肩する、いや場合によっては凌駕する全米屈指の名門オーケストラに育て上げただけではないでしょう。その演奏スタイルは独裁者と揶揄されたセルの芸風を反映して、驚くべき透明さや精緻とバランスを持って演奏することであったという。セルはまたオーケストラのある特定のセクションが目立つことを嫌い、アンサンブル全体がスムーズかつ同質に統合されることを徹底したとも云う。こうしたセルの演奏から、まず伝わってくるのは、あたりを払うような威厳であり、作品の本質を奥底まで見つめようとする鋭い視線が窺える。かつて ― 今でも雛形になっている感が払えませんが、「セルが指揮した音楽は冷たい」とか、「セルが指揮したクリーヴランド管の演奏は室内楽のようだ」とか、若干揶揄する意味合いを含めて言われたものです。思うにこれはセルの耳が驚異的に良いことに起因する現象であり、オーケストラ・トレーナーとして手腕を発揮するハンガリー出身の大指揮者には少なくなく、その辺り、西側の指揮者は真似できない何かが有ります。相互して、そうしたセルに ― 時には反感を持ちながらも、なにくそと、ついていったクリーヴランド管の驚異的なアンサンブルによるものだと思っています。他のオーケストラの演奏と比べて、きっちり揃っていたので、冷たくも聞こえ、室内楽のようにも聴こえたのだと思っています。つまり複数の人で演奏したフレーズの音程、リズム、ニュアンスなどがきっちり揃っていると、まるで一人で演奏しているように聴こえる弦楽四重奏ということです。セルの全盛時代であり、手兵のクリーヴランド管弦楽団とは、「セルの楽器」とも称されるような精緻な演奏が信条であった。本盤でのバックは絶頂期のクリーヴランド管でなく、ロンドン交響楽団。豊穣にして豪壮華麗なオーケストラの響きをベースとした温もりのある名演と言った趣きがする。音色の美しさも特筆すべきもので、オーケストラ全体がまるでひとつの楽器のように聴こえます。オーケストラ・トレーナーとして手腕を発揮した代表的な指揮者だけに、一期一会であれギッシリ詰まって密度が高い証左か。とにかく、セルの棒にかかると、どこのオーケストラだろうと実に格調高く、またスケールの大きなものとなる。こういう演奏に接すると、セルは、特にクリーブランド管以外のオーケストラを指揮する場合には、冷徹な完全主義者という定評を覆すような、柔軟にして温かい演奏も繰り広げていたことがよくわかる。さらに、旋律の歌わせ方などは、セルがハンガリー出身であることも思い出させてくれます。英DECCA社の招聘にセルが応じてロンドン滞在時にロンドン響と収録した思いがけない名盤で、冷徹な完全主義者という定評を覆すような、柔軟にして温かい演奏も繰り広げていたことがよくわかる。厳格なセルから、さらなる追加録音を引き出せなかったのは些か残念。
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