「 ドラティのコダーイ/「ガランタ」舞曲ほか オリジナル盤 GB DECCA SXL6712 ステレオ」を通販レコードとしてご案内します。
つつましく普遍的な民衆の音楽
3月6日は、ハンガリーの作曲家、コダーイ・ゾルターンが没した日(1967年)。人生のほとんどをハンガリーで過ごしたと言われるコダーイは、同じくハンガリーの作曲家、バルトークと共に民謡の採譜を行うなど、民族音楽の研究に60年もの歳月を費やす。同時に、その研究は教育の分野でも生かされ「歌」を重要視する独自の教育法は「コダーイ・システム」とも呼ばれる。代表作にはオペラ《ハーリー・ヤノシュ》、《無伴奏チェロ・ソナタ》など。民謡を素材にしつつ変化に富んだ深みのある響きで彩られたコダーイの音楽は、多くの人に直接コミュニケートする力をもっている。
極みのヴィンテージ名盤GB DECCA SXL6712 アンタル・ドラティ フィルハーモニア・フンガリカ コダーイ 管弦楽曲集
- バルトークと並ぶ現代ハンガリーの生んだ第三者。民謡を素材にしつつ変化に富んだ深みのある響きで彩られたコダーイの音楽は、多くの人に直接コミュニケートする力をもっている。学士号を修士している彼は当初は蓄音器、戦後テープレコーダーが発明されると、それを持って国内外各地の言葉を録音して回った。世界で最初のモバイルレコーディングマニア。彼の作風は、素朴で明るく親しみやすく、色彩的な管弦楽の使用が特色となっている。代表作は、組曲「ハーリ・ヤーノシュ」、「ガランタ舞曲」、「ハンガリー詩篇」。

- コダーイ・ゾルターン(Kodály Zoltán, 1882年12月16日〜1967年3月6日)の両親ともハンガリー人で、ほぼ全生涯をハンガリーで送った作曲家であり、ハンガリー人の芸術家として最も尊敬され、よく知られたうちのひとりであった。作品は多岐・長期にわたるが、中でも際だって合唱曲が多く、また他の同時期の作曲家と比べて、児童混声の合唱曲が多いのが特徴である。管弦楽曲の大部分は1930年代に作曲されている。
- アマチュア音楽家だった父親のもとで育ち、子供時代は聖歌隊で活動をして作曲もした。現代語を学ぶためにブダペスト大学に入学したのは17歳の時、同時にハンガリー王立音楽院(現在のリスト・フェレンツ音楽大学)でドイツ人のハンス・ケスラーと親交を持つ。ドイツ人のケスラーは、ヨハネス・ブラームスの音楽を信奉する保守的な作曲家であり、マックス・レーガーの従兄であった。ゾルターンの父親はヴァイオリン、母親はピアノを弾く熱心なアマチュア音楽家で、子供の頃からヴァイオリンの学習を始め、聖歌隊で歌い、また曲を書いたこともあったが、系統的な音楽教育を受けることはほとんどなかった。そこで、ケスラーに作曲を学んだ。
- 哲学と言語学において博士号を授かると、コダーイはパリへ行き、シャルル=マリー・ヴィドールに師事。そこでクロード・ドビュッシーの音楽に出会い、その影響を受ける。こうした生い立ちと出会いの経験が、1925年の児童向け合唱 「ごらん、ジプシーがチーズを食べている」の作曲をきっかけに、コダーイに音楽教育における問題について大きな興味を持たせることになる。
- 彼は最初、後期ロマン派の作曲家たちが好んで用いたハンガリー・ジプシー風の音楽による作曲を試みたが、マジャール民族の音楽遺産である五音音階のオリジナルのハンガリー民謡に着目し、1905年頃からバルトーク・ベラとともに国内を回って採譜に着手し、民謡の研究に打ち込んだ。彼の後半生は、この厖大なハンガリー民謡の収集と、その研究成果の上にたった新しい国民音楽樹立のための作曲、並びに音楽教育の3つの分野に捧げられた。民謡について真剣に取り組んだ初期の研究者として、コダーイは民俗音楽学の分野における重要人物のひとりとなる。
- コダーイとバルトークは互いに刺激しあいながらフィールドワークを進めていきます。その情熱の背景には、数世紀に渡り他国に抑圧されてきたハンガリー特有の歴史を考えないわけにはいきません。世界を回って、お姫様を救い出すロールプレイングゲームの王道で、酔っ払った男性たちの喋る定番が、「この国は昔はものすごく大きかったんだぞ!」という話です。今から1000年前、ハンガリーは広大な王国でした。しかし、トルコやハプスブルグ家、ロシアなど、隣国に支配もしくは抑圧された状態を強いられ、領土もちりぢりに分割されてしまいます。その結果、様々な国の文化が入り混じることになり、「ハンガリー独自の文化」が薄れていきました。コダーイとバルトークには、民俗音楽への強い興味の裏に「我々の文化を取り戻し継承しなくては」という熱い思いがあったようです。それは自分達のアイデンティティの確認でもあったのでしょう。
- フランス六人組が社交界の話題の中心になる時代。『家具の音楽』が物議を醸したエリック・サティを
音楽の本来とるべき道とは、偉大で深刻な音楽よりも、楽しくて軽快な音楽であり、ベートーヴェンからドビュッシーに至る19世紀の音楽は道を誤った。芸術至上主義の傾向は嘲笑されなければならない。
と詩人のジャン・コクトーが絶賛し、虚飾を取り去った簡潔な音楽が理想とされました。ロシアでは革命が起き、セルゲイ・プロコフィエフはアメリカやパリで生活していた。イゴール・ストラヴィンスキーがバレエ音楽を中心に書いていたのに対し、プロコフィエフはオペラを中心としていました。 - 1870年代まで、音楽の伝達方法としては、口承か楽譜かのどちらかでした。主に楽譜自体が作品として重要視されたのがクラシック音楽であり、それ以外の、主に口承で伝えられる音楽が民俗音楽とされます。アメリカの発明家トーマス・エジソンは1877年、「フォノグラフ」蓄音機を発明します。「フォノトグラフ」を参考にしたエミール・ベルリナーの円盤式より音質が良く、駆動や再生、増幅機構に電気を一切使わない蝋管式蓄音機が便利で、これをきっかけとして、正確な民謡が記録録音として残る機会を得て、やがて「ポピュラー音楽」が「クラシック音楽」から分化して発展していくことになるのです。現存する最古の人間の声の録音は1860年4月9日に行われた。パリの科学出版社の編集者であり活字組工であったフランス人、エドゥアール=レオン・スコット・ド・マルタンヴィルが装置で18正規のフランス民謡「月の光に(Au Clair de la Lune)」を歌う人物の声を録音したものである。
- ハンガリーにおいて民俗音楽の収集が始められたのは1782年に新聞『マジャール・ヒルモンド Magyar Hírmondó』誌上において古い歌を収集・投稿するように呼びかけられたとされている。しかし、この時代の収集では実地調査は行われず、身近な人々が歌っている歌を書きとめたり、地方に住んでいる知人に歌を書き送るよう頼んだりしていた程度であった。実際に現地に赴き、民俗音楽に触れて収集するということは、蝋管式蓄音機(フォノトグラフ)が発明され、民俗音楽研究に大きな影響を与えた。ハンガリーにおいて本格的に民謡を収集した民俗学者のヴィカール・ベーラ Béla Vikár(1859-1945)は発明されたばかりの蓄音機を使い、民謡や民話の収集を行った。ヴィカールは言語学者であったため、民謡においては歌詞に着眼していた。ヴィカールの後を追って民俗音楽研究の道を歩んだバルトークとコダーイも、蓄音機を背負って各地に赴いたが、バルトークは1918年に収集活動を終えてしまった。それに対し、コダーイは第1次世界大戦後も収集を行い、バルトークがハンガリー人のみでなく、当時のハンガリー領に住むスロヴァキア人やルーマニア人などの民族的系統の異なる人々も対象としていたのに対し、コダーイはハンガリー人のみを対象としていた。
- 20世紀初頭から無線通信放送の研究がみるみる進み、1920年、アメリカのピッツバーグのKDKA局にて、商業ラジオ放送が正式スタートします。1922年にはイギリスのBBC局も開局しています。アメリカではラジオ局が急増し、1924年には約1400ものラジオ局が誕生していました。ラジオの登場で、電気を使わずラッパ型の蓄音機に吹き込む「アコースティック録音」から、マイクロフォンを使った電気録音によるレコードの開発を開始する動きになります。そして1925年、ビクター社が電気録音盤を初めて発売しました。〝ラジオ〟と〝レコード〟という2つのメディアは、ラジオ放送の宣伝効果によってレコードが売れるという相乗効果が発生し、第2次世界大戦を迎えると音楽文化を支える重要なメディアとなったのでした。
-
抑えきれぬ情熱。ドラティにしては珍しく踏み込みが強く激しくもある。オーケストラも滾っている。
- ― ハンガリー生まれ、コダーイ・ゾルタンやバルトーク・ベラに師事し、作曲家としても活躍した大指揮者アンタル・ドラティ。本盤で師匠の意向忠実に再現。曲は《ガランタ舞曲》、《マロシュセーク舞曲》、《管弦楽のための協奏曲》、《劇場序曲》。ハンガリー音楽には元々東洋的民族音楽的雰囲気により親しみ易いものが多いだけに、じっくり楽しむには全体素晴らしい盤だ。
- ドラティが67歳の時、『ハイドン交響曲全集』完成の偉業を成し遂げた翌年、同じくフィルハーモニア・フンンガリカを指揮して、コダーイを集中的に録音した。そのハイドン同様に、オーケストラ・ビルダーそしてトレイナーとしての実力抜群のドラティは流石聴き応えある演奏運びをしております。加えて、このフィルハーモニア・フンガリカのメンバーは1956年ハンガリー動乱の時に亡命したリスト音楽院出身者が中心であり、その彼らが西ドイツ、北ラインの小町マールで設立したオーケストラ。
- 音色の洗練も技巧的な特色もとりたててないが、民謡的な曲は特にその歌い回しに熱気があり元自国の作曲家作品だけにある「自信」を持っての曲運びを行われています。それに躍動感は軽快でありながら、溜めのある歌心あり、ジプシーサウンド(ロマ)風味が、濃厚に色づけされている。そして、木管の歌いまわしの特徴で味わいにコクがくわわる。民俗的な音楽、特に舞曲を演奏する上で、それが生来のものとして血肉になっている地元民には独特の語法が身についているという説には、ウィンナ・ワルツやフラメンコを引き合いに持ちだすまでもない、やはり真実が含まれるのだろう。
-
- アンタル・ドラティ(1906~88)はフランツ・リスト音楽院でコダーイに師事した。彼が「コダーイの思い出」に書いているようにこの音楽院で38歳のコダーイは14歳のドラティをクラスの担当として4年の間教えた。多感な時期での畏敬と友情は生涯続いた。
- ハンガリーの20世紀の作曲家、コダーイ・ゾルタンは、1882年生〜1967年没。「ガランタ」とはコダーイが幼少時代を過ごした地名で、同じく地名の「マロシュセーク」ともども同地の民俗舞曲を素材にしている。バルトークとは、リスト音楽院(旧ハンガリー王立音楽院)での教職などで同じ道を歩んでいた盟友同士であるだけでなく民話、民謡をバルトークとともに収集、ほとんど全ての曲でモチーフとして扱ってます。然しながら、たとえばラヴェルとドビュッシー、ボロディンとリムスキー=コルサコフ、ベルクとウェーベルンなどに見られる対等的な関係にはなっておらず、作曲家としての評価や作品のポピュラリティは、少なくとも日本においては相当に開きがある。有名なバルトーク作品と同タイトルの「管弦楽のための協奏曲」は先のバルトークの作品とは全く作風は異なったバロック時代の合奏協奏曲をハンガリー風味で現代化した音楽。オーケストレーションはすばらしいし印象的な旋律も多い。コダーイには、バルトークとはまた違った別の魅力や業績がある。「ハンガリー民俗音楽」と「ヨーロッパ芸術音楽」の旋律・和声・構成の面で新と旧、東と西、民俗音楽と芸術音楽などを統合しようとしたことがコダーイの芸術である。民謡旋律やリズムなどの民俗的要素を抽象化したバルトークよりも、より生に近い形で取り入れたコダーイのほうが、「本場ものの強み」の傾向が強くなるのだろう。
- ドラティはシカゴ交響楽団、ミネアポリス交響楽団でマーキュリー、フンガロトンに録音をしている曲もあるが、デトロイト交響楽団とのコダーイ録音はない。
- 1973年9月〜12月マールの聖ボニファティウス教会でのセッション、プロデューサー:ジェイムズ・マリンソン、エンジニア:コリン・ムアフットが手掛けたステレオ録音。SXL6712,6713,6714と番号が続いているが、3枚組ボックスで最初に発売されたセットの分売。
プロダクト・ディテール(オリジナル盤)
-
レーベルDECCA
-
レコード番号SXL6712
-
作曲家コダーイ・ゾルターン
-
楽曲
- Side-A
- 「ガランタ」舞曲
- 「マロシュセーク」舞曲
- Side-B
- 管弦楽のための協奏曲
- 「劇場の序曲」
- Side-A
-
オーケストラフィルハーモニア・フンガリカ
-
指揮者アンタル・ドラティ
-
録音年月1973年9月〜12月
-
録音場所マール、聖ボニファティウス教会
-
録音プロデューサージェイムズ・マリンソン
-
録音エンジニアコリン・ムアフット
-
録音種別STEREO
-
発売年1972
-
製盤国GB(イギリス)盤
-
レーベル世代ED4(スモール・オリジナル盤)
from 100年後でも聴いて楽しいアナログ名盤レコード https://ift.tt/Zz8BMUA
via IFTTT


