「 クライバーンのチャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番 DE RCA LSC2252 STEREO」を通販レコードとしてご案内します。
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2月27日
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アメリカのピアニスト、ヴァン・クライバーンが没した日(2013年)。ヴァン・クライバーンといえば第1回目のチャイコフスキー国際コンクール(旧ソ連で開催)の覇者。当時は冷戦のさなかということもあって、アメリカへの凱旋はほとんど英雄として扱われるほどだったとか。その優勝を機に自身の名を冠した国際ピアノコンクールが創設され、2009年には辻井伸行が優勝したことでも知られる。
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DE RCA LSC2252 – Van Cliburn, Kiril Kondrahin, Symphony of The Air – Tchaikovsky – Piano Concerto No.1

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世界中で最も売れたアルバム ― コンクール優勝の熱気が残る、最上位に位置する誰もが認める歴史的名演。
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1958年、カーネギーホールでの優秀録音。クライバーンがソビエト(当時)が威信をかけて主催した第1回チャイコフスキー国際コンクールに優勝した直後に録音されたもの。
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- 世界中で最も売れたアルバムといえば、マイケル・ジャクソンの「スリラー」、シングルではエルトンジョンの「キャンドル・イン・ザ・ウィンド 97」。クラシックのレコードで、最も売れたアルバムが本盤です。米ソ冷戦を背景に、アメリカ人ピアニストがソビエト(当時)が威信をかけて主催したコンクールで優勝したというので国家事業規模で宣伝もされたし、プレス枚数も多かった。それでも4年ぶりの紹介になるのは、未だに市場で人気。
- 誰もが認める歴史的名演、それは1958年5月29日の深夜から30日の早朝にかけての録音と、マニアックに伝えられているところにも感じられる。
- 同年4月に開催された第1回チャイコフスキー国際コンクールで圧倒的人気で優勝したクライバーン。地元ソ連勢やその他の強豪を抑えて見事に優勝を果たしアメリカへの凱旋帰国、一夜にして冷戦の最中、ソ連を打ち負かしたアメリカの英雄となった。
- アメリカに帰国して録音した超ベストセラーのレコードです。凱旋コンサートのために、クライバーンのたっての希望で、コンクールでも指揮したキリル・コンドラシンが招聘され、このレコードが実現した。オーケストラは急ごしらえの、この時だけの録音用オーケストラで、名義上RCAビクター交響楽団と表記されている。
- コンクール優勝の熱気が残る、勢いを感じる優れた演奏で、ピアノ協奏曲のなかでも、1、2を争う大人気曲だけに名盤はあまた存在するが、最上位に位置すると言ってもいいと思う。
- このレコードの魅力は伴奏に有る。コンドラシン指揮のRCA交響楽団が異彩を放っていて LSC2398 の《道化師》を髣髴させる。実に快活で積極果敢な演奏を行っており、その表現はあっけらかんとしすぎている感すらあるのですが一方でクライバーンのソロを力強く支え鼓舞している面もあるように思えます。
- その意味では、これはコンクール優勝後の華々しい凱旋録音です。RCA BIBLE の評価は 10-/NR/FAIR と控えめ評価ですが、プロデューサーはジョン・プファイファーとジョン・クロフォードと云う二人のジョンコンビ。
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- 演奏:ヴァン・クライバーン(ピアノ)、キリル・コンドラシン指揮、RCAビクター交響楽団
- 録音:1958年ニューヨーク、カーネギー・ホールでのセッション録音。
- プロデューサー&エンジニア:ジョン・プファイファー, ジョン・クロフォード
- 説明不要の超有名盤の英国DECCAプレス盤。米国盤LSC-2252とともに当時最も売れたレコードのひとつではないでしょうか。いまだこの曲のベスト演奏に挙げられることも多い一枚です。
- ミラノ・コルティナ冬季五輪で史上最多24個のメダルを獲得した日本選手団が24日、成田空港着の航空機で帰国した。フィギュアスケートペアで史上初の金メダルを獲得した三浦璃来選手、木原龍一選手のりくりゅうペア、女子シングルで銀メダル獲得の坂本花織選手や、銅メダルの中井亜美選手らフィギュアスケートの代表選手を帰国直後からメディアは入れ代わり立ち代わり、インタビュー攻め。祝福の言葉もインタビューメモに印刷されているのではないかと思います。笑顔で質問に応答している姿に影も感じられてきた、2026年2月27日金曜日の報道を見ていて思い重なるのがヴァン・クライバーン。1934年7月12日、ルイジアナ州シュリーブポート生まれ。本名はハーヴィー・ラヴァン・クライバーン・ジュニアで、ヴァン・クライバーンは通り名。彼の母は、フランツ・リストの高弟だったアルトゥール・フリートハイムの弟子で、クライバーンは3歳でピアノを始めると、17歳まではその母から教育を受けました。9歳でオーケストラデビューするなど、若くして頭角を現します。そして1951年、17歳でニューヨークのジュリアード音楽院に入学し、ロジーナ・レヴィンに師事。ロマンティックな演奏が好かれるロシアでは、弟子のクライバーンの演奏が評価されるのではとレヴィンは思い、彼に第1回チャイコフスキー国際コンクールの出場を勧めたのだそう。1958年、時は共産主義と資本主義が対立する冷戦真っ只中。それが外交や経済だけでなく、宇宙開発や芸術分野の競争にまで影響をおよぼしていました。ソ連は1957年に人工衛星「スプートニク」の打ち上げで科学技術の優位を示したばかり。続いて芸術文化面でアピールをしようと立ち上げたのが、チャイコフスキー国際コンクールでした。そのピアノ部門で、地元聴衆の人気、そして審査員の賞賛をほしいままにしたのが、23歳だったアメリカ人青年、クライバーンです。ファイナルでは演奏に熱狂したモスクワの聴衆が8分間にわたり拍手を送り、審査員のリヒテルがクライバーンに満点をつけて絶賛したと逸話に事欠かない。なかでも、コンクール関係者が、アメリカ人を優勝させてよいかと当時の第一書記フルシチョフに尋ねたところ、「そいつが最高なのか? それなら優勝させろ」と言ったというエピソードが極め付き。当時の政治的な背景を考えれば、これはとても大きな出来事でした。優勝後の彼は、アイゼンハワー大統領からホワイトハウスに招かれて演奏したり、メディアから引っ張りだことなったり、とにかく人気でした。キリル・コンドラシンの指揮で録音したチャイコフスキーの「ピアノ協奏曲第1番」はクラシック音楽のレコードとしては世界初のミリオンセラー、1958年にはグラミー賞を受賞しています。同じ頃やはりコンドラシンと録音したラフマニノフの「ピアノ協奏曲第3番」は、美しいタッチと爽やかなロマンティシズムが生きた名演です。
- LIVE April 18, 1958
- 彼は並み居るソ連の優秀なピアニスト達全てをなぎ倒して優勝をかっさらった「チャンピオン」なのですから、いかなる理由があっても「失敗」は許されなかったのです。クライバーンは一躍アメリカの英雄となり、帰国した際にはニューヨークで盛大なパレードが行なわれました。クライバーンの、1958年4月ブロードウェイにおけるパレード。ニューヨークでこれほど讃えられた人物は、チャールズ・リンドバーグ以来だった。アメリカにおいてクラシックの音楽家でこのような栄誉が与えられた人物は、後にも先にもクライバーン一人だといいます。クライバーンの出演料は高騰、それでも世界中から呼ばれてツアーを行い、多くの録音をリリースしました。クライバーンの時代到来とばかりに、前途に洋々たる未来は開けていると思えていた。一方で、ハードなスケジュールでチャイコフスキーとラフマニノフのピアノ協奏曲ばかりを繰り返し弾かされるなか、批評家の手厳しい評が散見されるようになります。この4月のライヴ録音を聴いて、あなたは何を思いましたか。そこから浮かび上がってくるのは、必死の形相で、それこそ切羽詰まった焦燥感のようなものにあおり立てられながら演奏しているクライバーン姿です。ですから、その音楽からは自由で伸びやかな喜びみたいなものはどこからも伝わってきません。
- しかしながら、マスコミから煽り立てるように活躍を期待され、その結果として、その才能を若くして食いつぶされてしまった。その期待の中で、結果としては蓄え込んだ才能を食いつぶすだけの結果にしかならなかったとしても、その短い期間に残された録音は悪くはありません。やがて「狂騒」も一段落した後にフリッツ・ライナー&シカゴ交響楽団のバックアップで録音した演奏は、ラフマニノフの2番等を筆頭に、実に細やかなニュアンスに富んだ演奏になっています。オーケストラがピアノソロの伴奏に徹してくれるのではなくて、時には、さらには往々にして襲いかかってくるように書かれている協奏曲というのは、パワーにあふれた若さの中でこそ、その魅力が存分に発揮されるという事実です。繊細に、歌うべき場所には若き青年と等しく、ナイーブだったのだなとも心痛みます。一通りRCAレコード好みの絢爛な協奏曲の一連のあとの、ブラームスやショパンのピアノ・ソロ曲集こそ、クラシック音楽に興味を持ち始めた若き音楽ファンに聴いてほしい。「狂騒」を乗り切った時代のクライバーンのようなピニストにはもっとも相応しい録音だったのかもしれません。
- そして1978年、父とマネージャーのソル・ヒューリックが相次いで亡くなったことのショックにより、クライバーンは第一線での演奏活動からほぼ引退状態となってしまいます。まだ40歳代前半、ピアニストの年齢としては、これから音楽が成熟してくる時期のことでした。1987年、レーガン大統領とソ連のゴルバチョフ書記長のためにホワイトハウスで演奏するという機会に復帰しますが、以後の活動は、ごく限られたものとなってしまいました。フォートワースの大邸宅に暮らし、高齢の母の面倒を見つつ、時折、政府関係の行事や文化的イベントで役割を果たしていくという生活。しかしその物腰おだやかで愛情にあふれた人柄は、多くの人から愛されました。2011年のチャイコフスキー国際コンクールの際、ゲストとして会場を訪れていたクライバーンがアナウンスされるとモスクワの聴衆があたたかく盛大なリアクションで歓迎。半世紀もの時が経っても、彼の存在は伝説として語り継がれているのでしょう。2012年8月、クライバーンは骨の癌を患っていることを公表。翌2013年の2月27日、78歳で永眠したのでした。
プロダクト・ディテール(ヴィンテージ盤)
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レーベルRCA
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レコード番号LSC2252
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作曲家ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
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楽曲ピアノ協奏曲第1番
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演奏者ヴァン・クライバーン
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オーケストラRCAビクター交響楽団
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指揮者キリル・コンドラシン
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録音年月1958
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録音場所ニューヨーク、カーネギー・ホール
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録音プロデューサージョン・プファイファー
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録音エンジニアジョン・クロフォード
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録音種別STEREO
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製盤国DE(ドイツ)盤
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レーベル世代レッド・レーベル
ショップ・インフォメーション(このヴィンテージ盤はショップサイトの扱いがあります。)
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商品番号380366
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盤コンディション良好です(MINT~NEAR MINT)
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ジャケットコンディション良好です(わずかな傷みあり)
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価格8,800円(税込)
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商品リンク
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ショップ名輸入クラシックLP専門店 ベーレンプラッテ
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ショップ所在地〒157-0066 東京都世田谷区成城8-4-21 成城クローチェ11号室
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ショップアナウンスべーレンプラッテからお客様へ
当店のレコードは、店主金子やスタッフたちが、おもにヨーロッパに直接出向き、実際の目と耳で厳選した、コンディション優秀な名盤ばかりです。国内で入手したものや、オークション品、委託商品はございませんので、安心してお求めになれます。
CDと参考本はアマゾンで購入できます。
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Harmonia Mundi Fr.2001-10-09
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