「 フルトヴェングラーのモーツァルト/「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」ほか DE DGG LPM 18 960 Hi-Fi モノラル」を通販レコードとしてご案内します。
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ドイツの指揮者、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーが生まれた日(1886年)。20世紀の巨匠として名高い彼の演奏はベルリン・フィルの指揮者を務めていた当時はもちろん、その死後も多くのファンを虜にしてきた。フルトヴェングラーの場合は残された豊富な録音によって、その厳格さと表現力の豊かさを併せ持った演奏を聴くことができる。
DE DGG LPM 18 960 ヴィルヘルム・フルトヴェングラー ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 モーツァルト アイネ・クライネ・ナハトムジーク 「フィガロの結婚」序曲 「後宮からの誘拐」序曲 リヒャルト・シュトラウス ドン・ファン ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら
ジャケットは1964年11月印刷です。
- Record Karte
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- モーツァルト/
- 歌劇「フィガロの結婚」序曲
- 歌劇「後宮からの誘拐」序曲
- セレナード第13番「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」
- リヒャルト・シュトラウス/
- 交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」
- 交響詩「ドン・ファン」
- ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(指揮)
- ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
- 1933年、1936年12月28日、1937年6月ベルリン、ポリドール・スタジオ
- 1943年11月13〜16日ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー(ライヴ)
- 1947年9月16日ベルリン・ダーレム、ベルリン高等音楽院講堂(ライヴ)
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小品らしい明るさと、対照的な夜のような陰影を取り入れながら、より繊細な表情が素晴らしい。
- ― モーツァルトのセレナード第13番《アイネ・クライネ・ナハトムジーク》(Eine kleine Nachtmusik)は、SPレコード録音のブルーノ・ワルター盤を超えるものは少ないが、1974年のカール・ベーム指揮のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団盤は「ああ、ウィーン・フィル!」という美しい演奏に間違いない。しかし、同じ指揮者とは思えないズシリと腹にこたえる演奏がある。1956年のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』は、一聴して分かる重量級の響き。これがこの当時のベルリン・フィルのすごさか。ヴィルヘルム・フルトヴェングラーが死んで2年後。この演奏に彼の影を見ることもできる。モーツァルトらしいかどうか、それはモーツァルトの音楽に求めているものが聞き手それぞれだからなのだけれども、この演奏は鳥肌もの。しかしこの曲を作ったのは、モーツァルトの人生が大きく揺れ動いたとき。彼の心と体をずっと呪縛していた父レオポルドが死んだ2ヶ月後。このときを境にモーツァルトは一気に転落する。自らそう望んだかのように。だからこそこの曲の演奏は、限りない美しさを表面に湛えながら、どこかデモーニッシュでどこか薄暗い思いを抱いている演奏があってもいいが、なかなかそんな複雑な演奏には出会えない。
- フルトヴェングラーのモーツァルトは録音が少ないが、『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』は、戦前のベルリン・フィルと戦後のウィーン・フィルとの録音で楽しめる。ワルターの録音も1936年12月だから、ウィーン・フィルを専属していた英EMIにドイツ・グラモフォンがベルリン・フィルで競合したのかもしれないが、あらためてワルター盤を聴き比べてみると、基本テンポがよく似ていることが、とくにウィーン・フィルとの録音でわかる。モーツァルトを演奏するウィーン・フィルのプライドは相当なものだと想像できる。両雄でさえも、自分のやりたいことをウィーン・フィルに完全に求めることはできなかったのではないだろうか。そこで、自分のやりたいことを押しつけずに、協力する姿勢でウィーン・フィルの素晴らしさを生かすために、取り組んだであろう。ベルリン・フィルの演奏は強弱がはっきりとしている。当時からベルリン・フィルの演奏は、とても繊細な弱音の表現が上手で、より作品自身の要求に応えた演奏だ。例えば、フォルテにしても色々な表情と音量があり、その力強い表現に至る過程が、微妙なテンポの変化と組み合わさった結果、より自然な流れを獲得している。「小夜想曲」という日本名から連想されるような、小品らしい明るさと、対照的な夜のような陰影を演奏に取り入れながら、より繊細に楽譜が求める表情が素晴らしいベルリン・フィルの演奏は、フルトヴェングラーの全録音を見渡しても、完成度は、かなり高い。音質も実に潤沢、透明である。弦楽だけ、しかも編成もいくぶん小さめなのであろう、当時のマイクロフォンにも無理なく収まっている。
- ヴィルヘルム・フルトヴェングラーは自身の著書「音と言葉」のなかで、ベートーヴェンの音楽についてこのように語っています。
ベートーヴェンは古典形式の作曲家ですが、恐るべき内容の緊迫が形式的な構造の厳しさを要求しています。その生命にあふれた内心の経過が、もし演奏家によって、その演奏の度ごとに新しく体験され、情感によって感動されなかったならば、そこに杓子定規的な『演奏ずれ』のした印象が出てきて『弾き疲れ』のしたものみたいになります。形式そのものが最も重要であるかのような印象を与え、ベートーヴェンはただの「古典の作曲家」になってしまいます。
- その思いを伝えようとしている。伝え方がフルトヴェングラーは演奏会場の聴衆であり、ラジオ放送の向こうにある聴き手や、レコードを通して聴かせることを念頭に置いたヘルベルト・フォン・カラヤンとの違いでしょう。その音楽を探求するためには、ナチスドイツから自身の音楽を実体化させるに必要な楽団を守ることに全力を取られた。そういう遠回りの中でベートーヴェンだけが残った。やはりフルトヴェングラーに最も適しているのはベートーヴェンの音楽だと思います。カラヤンとは異世界感のシロモノで、抗わずに全身全霊を込めて暖かい弦楽器が歌心一杯に歌い上げた演奏で感動的である。
- フルトヴェングラーの音楽を讃えて、「音楽の二元論についての非常に明確な観念が彼にはあった。感情的な関与を抑制しなくても、構造をあきらかにしてみせることができた。彼の演奏は、明晰とはなにか硬直したことであるはずだと思っている人がきくと、はじめは明晰に造形されていないように感じる。推移の達人であるフルトヴェングラーは逆に、弦の主題をそれとわからぬぐらい遅らせて強調するとか、すべてが展開を経験したのだから、再現部は提示部とまったく変えて形造るというような、だれもしないことをする。彼の演奏には全体の関連から断ち切られた部分はなく、すべてが有機的に感じられる。」とダニエル・バレンボイムの言葉を確信しました。これが没後半世紀を経て今尚、エンスーなファンが存在する所以でしょう。
- 戦前の『フィガロの結婚』と『後宮からの逃走』序曲などを聴くと、オペラの幕開けにふさわしい音楽が生きいきと奏でられており、とても魅力的だ。リヒャルト・シュトラウスはフルトヴェングラーが得意にした交響詩2曲を片面に一曲ずつでモーツァルトと組み合わせている。戦前のモーツァルト録音すべてと、彼の音楽を敬愛したリヒャルト・シュトラウスの作品も一緒に収めたDGG LPM-18 960は、素晴らしい選曲である。録音嫌いだった時期に、フルトヴェングラーが「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」を2回もスタジオ録音したのはなぜだろうか。第1楽章の楽器の音量バランスとリズム感の良さ、第2楽章の暖かさと陰影のある表現が印象的で、全曲を通して、曲の構成に合わせた絶妙なテンポのコントロールが素晴らしい。明るくて健康的で、どちらもアンサンブルがしっかりとした丁寧な演奏である。短い曲なのにベルリン・フィルの録音日数がたくさんかかったのは、何度も演奏してきた名曲といえども妥協しないで丁寧に愛情を込めて演奏をしたのが伝わってくる。少し長目に伸ばされた最後の響きの豊かな和音を聞き終えると、素晴らしい音楽を聴いた満足感に浸ることができる。戦前録音の白眉の一つだと思う。
- リヒャルト・シュトラウスの交響詩2曲はライヴ録音。交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」は第2次世界大戦末期の録音。この年、ナチス・ドイツの戦況はしだいに厳しさを増してくる。1月にスターリングラードのナチス・ドイツ軍は降伏し、5月には北アフリカで敗北を喫する。合わせて34万人の枢軸軍が捕虜となった。7月にアメリカ、イギリス軍はシチリアに侵攻。イタリアのムッソリーニが失脚するとパドリオ政権が成立し10月にはドイツに宣戦布告する。もはやナチスは拡大する戦争への勝利を確信できず、政治的な収拾策ももないままであった。1943年のフルトヴェングラーの指揮活動は、1月2日のウィーン国立歌劇場におけるワーグナーの楽劇《トリスタンとイゾルデ》で始まった。6月、ナチスは戦意高揚のためにバイロイトにおける《マイスタージンガー》の公演を決定する。そして「勝利への確信表明と貢献」と銘うたれた公式行事となり、フルトヴェングラーは7月15日から24日まで4回指揮した。その間の6月26日、フルトヴェングラーはエリーザベト・アッカーマンと結婚した。フルトヴェングラー夫人は戦争未亡人で、夫人の4人の子供をフルトヴェングラーはわが子のように可愛がった。そして結婚の翌年に長男アンドレーアスが生まれている。新しい家庭はフルトヴェングラーにとって何よりもの心のよりどころであった。しかし国土は疲弊しきっており、国民の憔悴は著しく、ドイツはますます安閑としてはおれない危機的状況を迎えつつあった。
- 11月13日から4日間開かれた演奏会のプログラムのメインはブルックナーの交響曲第6番に加えて、ピエール・フルニエとの共演によるシューマンのチェロ協奏曲。このシーズンの10月、ウィーンで突如としてこの作品を演奏した。ブルックナーとしては短か目とはいえ演奏時間も1時間近くかかる壮大なものです。そのあとふたたびベルリンで演奏したのだが、先にもあとにもフルトヴェングラーがブルックナーの《第6交響曲》を指揮したという記録はいずれの文献からも見出せない。多くの市民が聴きに集ったのであろう、ドイツ・オーストリアの結びつきを強くしたいと願をかけていただろう演奏会だ。オーストリアの作曲家、ブルックナーの交響曲第6番は初期の交響曲なみに「演奏されない曲」ですが、人生の明るい面や平安な朗らかさに目を向けた作品として独自の魅力を持った作品となっています。「ブルックナー休止」はほとんどなく、リズミカルな感じもあり重苦しい感じもあまりしません。「ブルックナー的ではない」と言われることのある入門向き。『水戸黄門』のテーマ曲のような、人生苦もありゃ楽もある。あとからきたのに追い越され、くじけりゃ誰かが 先にゆく。だから、自分の道を ふみしめて歩いてゆくんだ しっかりと。涙の後には虹も出るさ。フランスからチェロの貴公子、フルニエを迎えてのシューマン。フルニエのこの日の演奏はレコードで日ごろ馴れ親しんでいる彼の音楽とはちがった、一種独特の世界を示したものとして注目される。フルニエは速弾きの妙を示し、オーケストラは独奏者に何らのストレスを与えることなく確実なサポートを心掛ける。フルトヴェングラーはフルニエの才能をよく見抜いており、きわめて感銘の深いものにしている。演奏会は「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」で軽妙な印象をあとに残す。マーラーの交響曲としばしば比較され、低く見られやすいリヒャルト・シュトラウスの交響詩だが、フルトヴェングラーの手になると、ベートーヴェンの交響曲のスケルツォ楽章にも匹敵するような「充実した諧謔性」をもつ、大変立派な音楽であることがよく分かる。ライヴゆえの感動で、スタジオ録音では収まりきらなかったろう、音楽のオーラに圧倒される。なお、この演奏会場であるベルリンのフィルハーモニーは、世界最高の音響と謳われる名ホールだったが、この演奏会の約1週間後の1943年11月22日に空襲され、応急に修復されたものの、その約2ヶ月後の1944年1月30日に再度の空襲で完全に破壊されてしまった。
- 戦後、非ナチ化裁定を受けたフルトヴェングラーはベルリンに復帰したが、1949年まではベルリン・フィルハーモニーを指揮する回数は非常に少なかった。むしろウィーン・フィルハーモニーやベルリン以外の客演先のオーケストラを数多く指揮した。この年は折しも、メンデルスゾーン没後100周年。1947年8月のザルツブルクとルツェルンの二つの音楽祭公演は、フルトヴェングラーにとって大きな意味をもつものであった。それはユダヤ人ヴァイオリニストのユーディ・メニューインと共演をしたことである。メニューインはフルトヴェングラーに一度もあったことはなかったが、以前からよき理解者であった。メニューインはその自伝でこのように語っている。
- 当時フルトヴェングラーは、遠くから尊敬される指揮者であった。わたしは1947年まで彼と共演したことはなかったが、彼については評判やレコードから十分な知識をもっていたので、彼の指揮による演奏がきっと異常な経験であろうと推測していた。そのようなものであることはやがて明らかとなった。ブルーノ・ワルターとは異なりながらもフルトヴェングラーは、わたしが個人的に崇拝する大指揮者たちのなかでは、その最も崇高なドイツの伝統の解釈者としてワルターと肩を並べる人物であった。とはいえわたしはまだ彼には会っていなかったのであり、そのころ解放されたヨーロッパへ早期の訪問をしたのち、わたしはニューヨークへ帰ると、そこでわたしは勝利の戦場からもどったばかりの証人として、ドイツ文化がヒトラーとともに信用を落とすことになるのかどうかをしきりに知りたがっている記者団との会見に臨んだのである。戦争の傷跡を開いたままにしておいても将来性がないと考え、もしたまたまそれが真実であれば、よいニュースを報告するのがわたしの義務であると思ったので、わたしはパリの判断を伝えた。つまりフランスの音楽家たちがわたしに語ったところでは、ドイツにとどまった彼らの同業者のなかでフルトヴェングラーだけが、真に心からの歓迎をあたえられる唯一の人物であるが、それはたんに、あるいは主として彼の比類のない才能のためばかりでなく、占領下のフランスへ宣伝訪問をするベルリン・フィルハーモニーに同行するのを彼が拒んだためであるとのことだった、とわたしはいったのである。
- 9月4日から16日にはベルリン・フィルハーモニーへ客演しヒンデミットの《ウェーバーの主題による交響的変容》、《ドン・ファン》、ブラームスの《交響曲第2番》を指揮する。メニューインとの共演は、9月28日、29日のベルリン・フィルハーモニーと、10月2日のベルリン国立歌劇場管弦楽団と行われた。どちらもベートーヴェンの《ヴァイオリン協奏曲》が演奏され、ベルリン・フィルハーモニーとの共演は、当夜のメンデルスゾーンの《真夏の夜の夢序曲》と一緒に録音されている。
プロダクト・ディテール(ヴィンテージ盤)
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オーケストラベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
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指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
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作曲家
- ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
- リヒャルト・シュトラウス
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曲目
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- 「フィガロの結婚」序曲
- 「後宮からの誘拐」序曲
- 「ドン・ファン」
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- 「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」
- 「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」
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録音年月日
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- 1933
- 1933
- 1947年9月16日(ライヴ)
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- 1943年11月13〜16日(ライヴ)
- 1936年12月28日、1937年6月
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録音場所
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- ベルリン、ポリドール・スタジオ
- ベルリン、ポリドール・スタジオ
- ベルリン、ダーレム、ベルリン高等音楽院講堂
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- ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー
- ベルリン、ポリドール・スタジオ
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録音レーベルDeutsche Grammophon
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レコード番号LPM 18 960
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録音種別MONO
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製盤国DE(ドイツ)盤
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レーベル世代チューリップレーベル(ALLE)
CDの購入はアマゾンからできます。
ショップ・インフォメーション(このヴィンテージ盤はショップサイトの扱いがあります。)
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商品番号3743106
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盤コンディション良好です(MINT~NEAR MINT)
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ジャケットコンディション良好です(四辺に僅かな傷みあり), ジャケットは1964年11月印刷です。
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価格13,200円(税込)
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商品リンク
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ショップ名輸入クラシックLP専門店 ベーレンプラッテ
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ショップ所在地〒157-0066 東京都世田谷区成城8-4-21 成城クローチェ11号室
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ショップアナウンスべーレンプラッテからお客様へ
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