【オリジナル盤】ケルテスのモーツァルト/交響曲第33&39番 GB DECCA SXL6056 STEREO

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ドイツの作家、E.T.A.ホフマンが生まれた日(1776)年。今日、私たちは彼を、小説『牡猫ムルの人生観Lebensansichten des Katers Murr』や『悪魔の霊液Die Elixiere des Teufels』のほか、数々の物語の作者として、文学の古典を書き残した人物として知っている。当時のロマン派作家の多くが田舎の田園風景を称揚したのに対し、都会生活の中で起こる〝ファンタスティック〟を好み。自動人形やドッペルゲンガーといった不気味なモチーフを用い、現実と幻想とが入り混じる特異な文学世界を作り出した。ロシアではアレクサンドル・プーシキン、フョードル・ドストエフスキーなどがホフマンの物語を愛好し、その影響はエドガー・アラン・ポーにも及んでいる。ドイツではリヒャルト・ヴァーグナーがホフマンから霊感を得ており、楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』歌劇『タンホイザー』は『ゼラピオン同人集』のなかのパリを舞台にした小説群に多くを負っているほか、歌劇『さまよえるオランダ人』もホフマン作品の暗鬱で神秘的な人物像から影響を受けている。本業は弁護士で、高名な弁護士として素晴らしいキャリアを積んだが、幼い頃から音楽、視覚芸術、文学などの芸術への強い親近感を示していた。文才だけにとどまらず、幼少期よりピアノや作曲も学びモーツァルトに傾倒、1804年にクレメンス・ブレンターノの台本に基づく歌劇『陽気な音楽家たち』の楽譜を出版した際、彼はファーストネームの3番目のイニシャルを敬愛するモーツァルトのミドルネームであるアマデウスの「A」に置き換え、エルンスト・テオドール・アマデウス・ホフマンErnst Theodor Amadeus Hoffmannと名乗るようになった。しかし、彼は生涯を通じて公式文書にエルンスト・テオドール・ヴィルヘルム・ホフマンErnst Theodor Wilhelm Hoffmannを記している。ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーのバレエ『くるみ割り人形』の原作者としても知られ、レオ・ドリーブの『コッペリア』やジャック・オッフェンバックのオペラ『ホフマン物語』、推理小説風の作品「スキュデリ嬢」をオペラ化したパウル・ヒンデミットの『カルディヤック』などがホフマン作品を基にした楽曲として知られている。作品「クライスレリアーナ」は、後にロベルト・シューマンが作曲した同名のピアノ曲のもとになっているとも言われる。この作品は『花嫁選び』のタイトルでフェルッチョ・ブゾーニがオペラ化し、夏目漱石の『吾輩は猫である』には主人公の猫がこの作品に触れて、ドイツにも同じ境遇の猫がいると知って感慨にふけるシーンがある。近年では、ロシアで彼を主人公にしたアニメが制作されたほど(2019年日本公開)。いくつかの音楽作品も残す。

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GB SXL6056 イシュトヴァン・ケルテス ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 モーツァルト 交響曲第33&39番

GB ED1(ラージ、溝あり)(1E/1E)、オリジナル盤。1963年、ウィーン・ゾフィーエンザールでの優秀録音。

  • Record Karte
    • モーツァルト/交響曲第33&39番
    • イシュトヴァン・ケルテス(指揮)
    • ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
  • 音楽家としてのホフマンは70数曲を残しており、成功した歌劇『ウンディーネ』以外の作品も後世に再演、再評価されている。両親の死別後、母方の家系であるデルファー家で育ったホフマンは、初め叔父のオットー・ヴィルヘルム・デルファーからピアノを手ほどきされた。作曲技法の基本的な知識は ― 主に通奏低音(和声学)と対位法から成っていた作曲の技術をケーニヒスベルクの大聖堂のオルガニスト、クリスティアン・ヴィルヘルム・ポドビエルスキから伝授された。ベルリンでは、1798年から1800年にかけてヨハン・フリードリヒ・ライヒャルトのもとで作曲の腕を磨いた。ここでホフマンは、初の音楽喜劇『仮面』も作曲した。器楽作品に、モーツァルトの後期のスタイルに結びつけて作曲した『ピアノ・ソナタ ヘ短調』、ホフマンの作曲スタイルの典型的な特徴を数多く備えている『ハープ五重奏曲ハ短調』などがあり、対照的な2つのモティーフが対位法的に交互されながらの和声的な寄り道の卓越した展開。ハープのロマンティックな調性の可能性に対するホフマンのセンスをはっきりと示している。『グランド・ピアノ三重奏曲 ホ長調』はホフマンの室内楽曲の頂点に位置づけられる。ホフマンの友人ヒッツィヒが『ハープ五重奏曲』をライプツィヒの出版社に送ったが、編集長のアンブロジウス・キューネルは、曲の難しさにセールスに結びつかないと感じた。ホフマンは自分の作曲に誇りを抱いていたが、家族で演奏できるような、よりシンプルでキャッチーな音楽を求めていた出版社のニーズには合わないことも感じていた。様々な出版社に提出した、この三重奏曲も出版されずに、長い間忘れ去られていた。弁護士としてワルシャワに参事官として赴任もした本業は別として、1816年8月にベルリン王立劇場で上演されたオペラ『ウンディーネ』など、いくつかの重要な成功を収めたものの、作曲家としてのホフマンの評価は、その生涯を通じてなかなか得られなかった。しかし、音楽に関する有能な作家として、ホフマンは音楽批評の発展に永続的な影響を与えた。例えば、ベートーヴェンの器楽曲(『交響曲第5番』と『ピアノ三重奏曲 Op.70』)に関する彼の評論は、音楽学文献における画期的な業績のひとつである。例えば、小説の体裁でモーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』の評論ともなっている「ドン・ジュアン」は、この作品の解釈として当時画期的であり、その後の作品理解に大きな影響を与えた。歌曲「ソプラノ、テノールとピアノのための6つのイタリア」は、『牡猫ムルの人生観』の中で言及されている。
  • ストラヴィンスキーを先取りしている響きがするモーツァルト。 ― 休暇中に行方不明になったケルテス。彼の人気は当時カラヤンを凌ぐ勢いだった。ジュピターが録音されなかったことは残念だ。

  • ― ハンガリーのブダペストに生まれリスト音楽院でゾルターン・コダーイ等に学んだイシュトヴァン・ケルテス(1929~1973年)。1955年からブダペスト国立歌劇場の指揮者となりましたが、1956年ハンガリー動乱で西側に亡命。1960年にアウクスブルク国立歌劇場の音楽総監督に就任し、1963年から亡くなるまでケルン国立歌劇場の音楽総監督を務めました。コンサート指揮者としては1965から68年までロンドン交響楽団の首席指揮者を務め、同時に英デッカにドヴォルザークの交響曲全集を始めとして数多くの録音を行いました。その時 DECCA に残した一連のドヴォルザーク作品は有名。その他ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団等とも録音を残す。そしてウィーン・フィルへの客演や録音も軌道に乗り、その将来は期待され、いよいよ巨匠への飛躍の時期だった1973年4月、イスラエル・フィルに客演した際、テル・アビブの海岸で遊泳中に高波にさらわれ溺死しました。まだ43歳でした。ウィーン・フィルのブラームス・交響曲全曲の録音の合間の休暇中の出来事だった。ケルテスの死を無駄にしないと、ウィーン・フィルは指揮者無しで録音が完了していなかった部分を演奏して追悼としたことはレコード録音史の語り草。
  • ケルテスのモーツァルト・交響曲の録音は少なく、DECCA・SXLシリーズの初期録音は当盤のみ。ほかは25番、29番、35番、36番、40番を事故死の前年に録音している。せめて、第41番「ジュピター」は聞きたかった。カルーショーの旗振りでカラヤン指揮ウィーン・フィルが実現し、モーツァルトの40,41番だけで中断した穴を埋めるようにケルテスが後期6大交響曲を録音。表紙デザインに演奏家の姿がないのは、セットにした時に違和感がないようにか。ドヴォルザーク:交響曲9番「新世界」(SXL 2289)の名演と同じウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とのモーツァルト、演奏は言うまでもなく録音・プレスと三拍子揃った名盤。かつ優秀録音、初版は ED1。
  • E.T.A.ホフマンが「冥府の深みへと導く音楽」と評した第39番、とりわけ人気の高い第40番、そして18世紀の器楽音楽の真髄と言える第41番《ジュピター》と、モーツァルトは自分のあらゆる作曲技法を注ぎ込み古典派交響曲の最高傑作を書き上げました。
  • 数少ないモーツァルトだが、他のモーツァルトの演奏を毎日のように聴いていてもケルテスの録音を聞くとおやっと思わされる。このレコードで聞ける第39番は鳥肌モノ。変ホ長調という調性は管楽器が良く鳴る調性であるからかフルートの音色が美しい。一方、弦楽器の開放弦とは、あまり関係がないので全体として暖かくてふんわりとした響きになります。澄んだ音色、熱く弾き込んでいっても一糸乱れぬ細かい音符、ほんとうに見事です。ウィーン・フィルの弦楽器群の素晴らしさを堪能できるレコードです。
  • ニキッシュに始まり、ライナー、フリッチャイ、オーマンディ、セル、ショルティと続くハンガリー指揮者界の栄誉を受け継ぐ期待のホープであったケルテス。ザ・ビートルズやビーチボーイズが音楽界のトップだった時代。ケルテスもまたバレンボイムや、ジャクリーヌと同じ感性の世代だったのではないだろうか。もし、彼が、これからという時期に他界しなかったら、アバドや小澤世代のケルテスの存在は20世紀末の指揮者の勢力地図を大きく塗り替えていたろうと誰もが思っています。1961年録音のウィーン・フィルとの《新世界より》が大評判を呼び、その続編として第8番がロンドン交響楽団と録音されました。以降、1967年に発売された再度の《新世界より》を含め、1968年の序曲集までも録音したドヴォルザークの交響曲、管弦楽曲の全集。
  • ストラヴィンスキーを予見させるような新鮮なモーツァルト、ウィーン・フィルとのシューベルトはとにかくも、ブラームスのセレナードまで含めた交響曲全集へと、DECCAレーベルの入れ込みようは並々ならず。ウィーン・フィルをカラヤンの指揮で録音するための契約が上手くいかなかった場合の保険にしては、カラヤンを煽っている感じ。カラヤンより21歳年下の若さは旺盛にDECCAの要望を熟していく。
  • ステレオ録音黎明期(れいめいき)1958年から、FFSS ( Full Frequency Stereo Sound )と呼ばれる先進技術を武器にアナログ盤時代の高音質録音の代名詞的存在として君臨しつづけた英国 DECCA レーベル。レコードのステレオ録音は、英国 DECCA が先頭を走っていた。1958年より始まったステレオ・レコードのカッティングは、世界初のハーフ・スピードカッティング。 この技術は1968年ノイマン SX-68 を導入するまで続けられた。英 DECCA は、1941年頃に開発した高音質録音 ffrr の技術を用いて、1945年には高音質 SPレコードを、1949年には高音質 LPレコードを発表した。その高音質の素晴らしさはあっという間に、オーディオ・マニアや音楽愛好家を虜にしてしまった。その後、1950年頃から、欧米ではテープによるステレオ録音熱が高まり、英 DECCA は LP・EP にて一本溝のステレオレコードを制作、発売するプロジェクトをエンジニア、アーサー・ハディーが1952年頃から立ち上げ、1953年にはロイ・ウォーレスがディスク・カッターを使った同社初のステレオ実験録音をマントヴァーニ楽団のレコーディングで試み、1954年にはテープによるステレオの実用化試験録音を開始。この時にスタジオにセッティングされたのが、エルネスト・アンセルメ指揮、スイス・ロマンド管弦楽団の演奏によるリムスキー=コルサコフの交響曲第2番「アンタール」。その第1楽章のリハーサルにてステレオの試験録音を行う。アンセルメがそのプレイバックを聞き、「文句なし。まるで自分が指揮台に立っているようだ。」の一声で、5月13日の実用化試験録音の開始が決定する。この日から行われた同ホールでの録音セッションは、最低でも LP 3枚分の録音が同月28日まで続いた。そしてついに1958年7月に、同社初のステレオレコードを発売。その際に、高音質ステレオ録音レコードのネーミングとして ffss( Full Frequency Stereophonic Sound )が使われた。以来、数多くの優秀なステレオ録音のレコードを発売し、「ステレオはロンドン」というイメージを決定づけた。
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プロダクト・ディテール(オリジナル盤)

  1. オーケストラ
    ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
  2. 指揮者
    イシュトヴァン・ケルテス
  3. 作曲家
    ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
  4. 曲目
    交響曲第33番、第39番
  5. 録音年
    1963
  6. 録音場所
    ウィーン・ゾフィーエンザール
  7. 録音レーベル
    DECCA
  8. レコード番号
    SXL6056
  9. 録音種別
    STEREO
  10. 製盤国
    GB(イギリス)盤
  11. レーベル世代
    ED1(ラージ、溝あり)(1E/1E)
CDの購入はアマゾンからできます。

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