「 【赤ステレオ、独最初期盤】フリッチャイ、アンダのバルトーク/ピアノ協奏曲第2、3番 DE DGG 138 111 SLPM STEREO」を通販レコードとしてご案内します。
自然の中の音楽を蓄音機に留めたバルトーク
1月19日は、『六番目の小夜子』(1992年)でデビュー。郷愁を誘う情景描写に定評がある恩田陸(本名は熊谷 奈苗、青森県青森市生まれ、仙台市出身)の小説「蜜蜂と遠雷」が直木賞に選出された日(2017年)。同作はピアノコンクールの様子を4人のピアニスト、 ― 復活をかける元天才少女・栄伝亜夜、不屈の努力家・高島明石、信念の貴公子・マサル・カルロス・レヴィ・アナトール、そして、今は亡き〝ピアノの神〟が遺した異端児・風間塵 ― にフォーカスし、才能と運命に翻弄させられる彼らの人間模様が描かれる。小説執筆のために著者は12年間(計4回)浜松国際ピアノコンクールに通いつめ取材したそう。
極みのヴィンテージ名盤DE DGG 138 111 アンダ・ゲーザ、フェレンツ・フリッチャイ指揮ベルリン放送交響楽団 バルトーク・ピアノ協奏曲第2番、3番
- 不世出の天才バルトークが難解な現代音楽と思われていた時代に、その美しさを引き出し、人気曲へと引き上げた歴史的名盤。フェレンツ・フリッチャイ(指揮者、表紙写真の中央奥)とゲーザ・アンダ(ピアニスト、表紙写真の右手前)の作品に対する共感と強い共有。ピアノを強く激しく打ちつけることで自分の証を刻むよりも、手の平で掬って愛おしむように愛撫することで、音楽への愛情が込み上げてくる。1959年の優秀録音です。赤ステレオ、オリジナル盤(チューリップレーベル(ALLE))、ジャケットは1961年11月印刷です。

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有機的演奏の極。血の通った演奏。
- ― ベーラ・バルトークのピアノ協奏曲全集の解釈で一家言を成したアンダ・ゲーザ(Anda Geza)は、ハンガリー出身の名ピアニスト。来日時のパンフレットやチラシに載った「ゲザ・アンダ」で日本では知られている。
- ハンガリーはマジャールというアジア系騎馬民族を祖先にもっています。ヨーロッパには珍しい黒髪黒瞳短躯黄肌という体型からも伺えます。モンゴル系の流れを汲み名前にもその文化的影響が色濃く残りました。混血が進み金髪碧眼白肌化しても、その名残が今に伝わっています。欧米諸国のなかではハンガリーだけが、姓・名の順で名前を表記することを文化として大切にしたいと、アンダ・ゲザと表記されることも増えたが、わたしはゲザ・アンダで慣れ親しんできた。そして、日本人の姓・名の順も名前が先でいいと考えています。
- さて、アンダはヴィルトゥオーゾ・ピアニストではあったが、同郷のジョルジュ・シフラのように剛腕で作品を征服するような弾き方は好まず、確実で安定感のある演奏スタイルを良しとした。
- 同郷のフェレンツ・フリッチャイの指揮による祖国の大作曲家バルトークのピアノ協奏曲集。アンダ、フリッチャイはバルトークという不世出の天才 ― 音楽史上でも20世紀最高の作曲家を敬意を表して演奏している。両者がっぷり四つに組み取り合って、初めから終わりまで緊張感を持続した手に汗握る演奏以上に望むものはない。作曲したバルトークが一番偉大なのだろうが、血の通った演奏で再現してくれてこそ伝わる、曲の持つ素晴らしさだろう。
- アンダの素晴らしさは有機的演奏の極。バルトークがヒューマンな作曲家であると身近になる。バルトークが難解な現代音楽と思われていた時代に、その美しさを引き出し、人気曲へと引き上げた歴史的名盤です。今更、〝戦う精神のドキュメント〟そのものである。
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- ゲーザ・アンダは1921年11月19日にハンガリーのブダペストで生まれ、1976年6月14日にスイスのチューリッヒで世を去ったピアニストです。アンダはフランツ・リスト音楽院でエルンスト・フォン・ドホナーニとゾルターン・コダーイに師事し、1940年にリスト賞を受賞しました。1943年1月10日にはヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と共演しセザール・フランクの交響的変奏曲を演奏。フルトヴェングラーはアンダを「ピアノの吟遊詩人(Troubadour)」と讃えました。1943年5月にはエドゥアルト・ファン・ベイヌム指揮コンセルトヘボウ管弦楽団とフランクの交響的変奏曲をSPレコードに録音しています。
- 同年、アンダは第二次世界大戦の戦火を避けてスイスに亡命し、1955年にスイス国籍を得ました。演奏活動では1952年から1974年まで、毎年ザルツブルク音楽祭に出演して、リサイタルに、協奏曲に活躍。アメリカにも1955年以来、17回もツアーを行っています。レコーディングでは1950~51年にはドイツ・テレフンケンに、1953~58年は英コロムビアと契約し、10数枚のモノラルLPレコードを作っています。録音レパートリーはバッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューマン、ブラームスという独墺系作品が中心で、そこにショパンとお国物のリストとバルトークが加わるというオーソドックスなものでした。
- 1959年にドイツ・グラモフォンの専属になると、折しも実用化されたばかりのステレオLPレコードのために多くの基本的レパートリーを録音します。フェレンツ・フリッチャイ指揮によるバルトークのピアノ協奏曲全集を皮切りに、ベートーヴェンの三重協奏曲、ブラームスのピアノ協奏曲第2番、モーツァルトのピアノ協奏曲全集などが次々にリリースされました。
- その強靭なテクニックは、バルトークだけでなく、ドイツ・ロマンティークのピアノ曲でも発揮され、ピアノを強く激しく打ちつけることで自分の証を刻むよりも、手の平で掬って愛おしむように愛撫することで、音楽への愛情が込み上げてくる。1950年代から1970年代にかけてのドイツ・グラモフォンの看板アーティストとして声望を集め、晩年はモーツァルトのピアノ協奏曲全集の弾き振りをこなし、単なる名技主義に陥らない芸風を確立した。
- このうちバルトークの第2&3番とベートーヴェンの三重協奏曲、モーツァルトの第21番&第17番はフランス・ディスク大賞を受賞しています。また、アンダが録音したモーツァルトのピアノ協奏曲第21番が、1967年のスウェーデン映画「みじかくも美しく燃え(Elvira Madigan)」(ボー・ヴィーデルベリ監督)で使用されたことで、一躍アンダの録音とモーツァルトのこの作品が世界的にヒットする、という出来事もありました。
- 1975年に食道がんと診断され、手術は成功して一時回復しましたが、翌年6月14日に亡くなりました。54歳の若さでした。彼が1964年に再婚した二度目の妻オルタンス・アンダ=ビュールレ(1926~2014)は、「ビュールレ・コレクション」で名高い美術収集家のエミール・ゲオルク・ビュールレ(1890~1956)の娘で、その遺産の相続人にあたります。彼女はアンダの死後、1978年に若手ピアニストの育成を目的としたゲザ・アンダ財団を創設。プレジデントに就きました。同財団は1979年より「ゲザ・アンダ国際ピアノ・コンクール」を主催し、3年に1度開催。世界的ピアニストへの登竜門として有名なコンクールとなっています。
プロダクト・ディテール(オリジナル盤)
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レーベルDeutsche Grammophon
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レコード番号138 111
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作曲家バルトーク・ベラ
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楽曲
- Side-A
- ピアノ協奏曲第2番
- Side-B
- ピアノ協奏曲第3番
- Side-A
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演奏者
- アンダ・ゲーザ(ピアノ)
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オーケストラベルリン放送交響楽団
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指揮者フェレンツ・フリッチャイ
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録音年月日1959年9月10日
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録音場所ベルリン、イエス・キリスト教会
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録音種別STEREO
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発売年ジャケットは1961年11月印刷です。
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製盤国DE(ドイツ)盤
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レーベル世代チューリップレーベル(ALLE)
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