「 スウィトナーのヒンデミット/ウェーバーの主題による交響的変容、交響曲変ホ調 東独 ETERNA 8 27 924 STEREO」を通販レコードとしてご案内します。
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20世紀ドイツの作曲家、パウル・ヒンデミットが生まれた日(1895年)。ヴィオラ奏者、音楽理論家、教育者としての顔を持つ。生涯で作曲した数は600以上とも言われ、中でも、交響曲《画家マチス》、《ウェーバーの主題による交響的変容》などが知られる。また、オーケストラに出てくるほぼ全ての楽器の独奏曲を書き残した。
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フルトヴェングラーが音楽監督の地位を追われた男
- ヴィルヘルム・フルトヴェングラーが、ベルリンの音楽監督の地位を追われることになってまでも応援した作曲家が居た。「音楽が存在する限り、長三和音から出発し、再び戻る」と説いた作曲の手引きを書いている生粋のドイツ人作曲家だったパウル・ヒンデミット、11月16日はその作曲指導を実践するが如く、ヴァイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバスといった弦楽器。フルート、オーボエ、イングリッシュ・ホルン、クラリネット、ファゴット、アルト・サクソフォンなどの木管楽器。ホルン、トランペット、トロンボーン、チューバなどの金管楽器。つまり、オーケストラに含まれる楽器のすべてといっていい独奏楽器の為のソナタを作曲しているヒンデミットの誕生日です。
- ヒンデミットの誕生日だから、今日はヒンデミットのソナタを練習すると日付の変わった頃にTwitterに書き込まれたツイートは、夕方になった今では「帰宅したら僕も」と反響が続いています。
- みんなそれぞれ練習楽器は違うのだろうけど、同じオーケストラの楽員が全員、今日はヒンデミットの練習をしているかもしれない。と、想像しただけで愉快だ。
- パウル・ヒンデミット、名前も容姿も生粋のドイツ人らしい。当初はナチスの粛清の対象とならなかったが、ヒンデミットはナチスへの非難を隠そうとせず、1934年には作品の上演が禁じられた。これに意義抗議文を新聞に投稿してフルトヴェングラーも粛清されることになったのだけど、ヒンデミットはさっさとアメリカに渡ってしまった。二度とドイツに戻ろうとしなかったそうだけど、心中はどうだったのでしょう。応援してくれた仲間をほっぽり出して一人アメリカ人になった形だ。しかし、いかにもドイツ人らしい容姿のために戦時中のアメリカでの生活は苦労もあったのでは無いでしょうか。
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アマチュアでも演奏が容易な「実用音楽」を提唱
- 少年のころヴァイオリンの神童として名を上げ、作曲を学んだのち、フランクフルト歌劇場のコンサート・マスターから指揮者に転向した。1922年にアマール弦楽四重奏団を組織してみずからヴィオラを奏き、自作品も演奏して作曲家としての名声を築いていった。彼の名を決定的にしたのは、1934年、フルトヴェングラーの指揮で初演された交響曲「画家マチス」の大成功だった。しかし、ナチスによる圧迫が激しくなり、1939年、アメリカに移住。エール大学、ハーバード大学、チューリッヒ大学で教鞭をとる傍ら、作曲、指揮の両面で活躍した。1956年には指揮、講演のためにウィーン・フィルとともに来日した。
ヒンデミットの作品はあらゆる分野にわたり数も多いが、特に前記「画家マチス」をはじめ、「ウェーバーの主題による交響的変容」(1943年)、「ヴァイオリン協奏曲」(1925年)が名高い。 -
ヒンデミットは現代の数少ない真のフーガの名手である
― グレン・グールド - ドイツの作曲家、指揮者、ヴィオラ奏者。はじめヴァイオリンを弾き、1915年にフランクフルト歌劇場管弦楽団のコンサート・マスターに就任。21年、アマール弦楽四重奏団を結成し、ヴィオラを担当した。27年、ベルリン国立高等音楽院の作曲科教授に就任。その後、ゴルトベルク、フォイアマンと弦楽三重奏の演奏活動を行う。34年ベルリン・フィルを初めて指揮する。同年ナチの政権となり、「ヒンデミット事件」が起き、40年アメリカに移住。翌年、エール大学教授に就任。53年にスイスに移った。56年ウィーン・フィルとともに来日し、古典派音楽や自作などを指揮した。指揮者としての録音は自作が多い。ベルリン・フィルを振っての交響曲「画家マチス」(34年)での快適なテンポ感やリズム感、キッパリとした表現は、彼の音楽観をよく表現している。ハスキル、バイエルン放送交響楽団との「4つの気質」でも指揮者としての優れた表現力を聴くことができる。他にもベルリン・フィルやフィルハーモニア管弦楽団を指揮した録音がある。自作を弛緩なく再現する能力は、指揮者としての適性を充分に示している。ヴィオラ奏者としての録音もある。
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パウル・ヒンデミット略歴
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1895年ドイツのハーナウに生まれる
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1906年フランクフルトのホッホ音楽院でヴァイオリンと作曲を学ぶ
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1915年フランクフルト・ムゼウム管弦楽団(フランクフルト歌劇場管弦楽団)のコンサートマスターを務める
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1920年第一次世界大戦に従軍、除隊後、アマール弦楽四重奏団を結成
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1927年ベルリン音楽大学の作曲家の教授を務める
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1934年代表作のオペラ『画家マチス』を作曲。ヒンデミット事件に発展する
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1938年スイスへ亡命
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1940年アメリカに亡命し、市民権を得て、イェール大学の教授に就任
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1953年スイスへ帰還
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1963年フランクフルトにて死去
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- 熊本地震の復興支援に、エサ=ペッカ・サロネン指揮フィルハーモニア管弦楽団が用意してくれたのが、ベートーヴェンの交響曲第7番。4楽章すべてが、リズムだけで出来ている交響曲はヨーロッパの音楽を聞くのに欠かせない宗教観も民謡もなくて、復興支援に相応しい。それに先立っての諏訪内晶子さん独奏のメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は、息の長い旋律美の音楽で、一小節足らずのオーケストラの前奏に導かれて独奏ヴァイオリンがショッキングに登場する。熊本地震を体験したものは、あの日の衝撃と似た戦慄を覚えるでしょう。
- 近代、現代の管弦楽曲をレパートリーとするエサ=ペッカ・サロネンが、古典音楽中のスタンダード、ベートーヴェンの交響曲第7番を聴かせてくれる。カラヤンやクレンペラーとのレコード録音を歴史的体験に持つ、フィルハーモニア管弦楽団が期待に答えてくれます。そして、ヒンデミットの《画家マチス〜交響的スケッチ》、《ウェーバーの主題による交響的変容》はエサ=ペッカ・サロネン指揮ロサンジェルス・フィルハーモニックのCDの素晴らしさも思い出す。ヒンデミットの作風は、ストラヴィンスキーらと同時代にあって、初期は新古典派を先導するが、無調音楽に至った時点で離反。旋律美を忘れませんでした。
DE ETERNA 8 25 843 オトマール・スウィトナー シュターツカペレ・ドレスデン シュターツカペレ・ベルリン ヒンデミット ウェーバーの主題による交響的変容、交響曲変ホ調
- Record Karte
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- 1967年録音。
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近代管弦楽曲の傑作
- ― エサ=ペッカ・サロネンが面白く聴かせたこの曲は、ヒンデミット事件の果てに、問題渦中のこのヒンデミットがアメリカに逃れて作曲した題材とは、そのヒトラーのお気に入りの作曲家絡みだった。
- ガルミッシュ・パルテンキルヒェンのシュトラウスハウスには『グントラムの墓』がある。シュトラウスハウスは観光客が押し寄せ、シュトラウスの子孫が静かに暮らせなくなったため子孫は他に移り、今はもう見ることはできない。「シュトラウスさんの家は誰も死んでいないのに、あれは誰の墓だろう」と近所から思われていた、その墓標には「ここに尊敬し誇り高き若者が眠る、グントラム(ミンネゼンガー)。彼の父のシンフォニーオーケストラによって打ちのめされた。安らかに眠れ…」と言うような事が書いてある。この〝父〟はシュトラウス自身で、〝若者〟はグントラム。グントラムとは、若きシュトラウスの最初のオペラで、台本も彼自身が手がけました。しかし、上演は大失敗に終わり、存命中は二度と上演される事がなかったそうです。そのためシュトラウスは自宅の庭の片隅にお墓を作って葬ったのです。そうしたシュトラウスのユーモアや作品に対する思いやりがわかります。ナチスが台頭しつつあったドイツ。ヒトラーはヒンデミットの歌劇「その日のニュース」の中で女性歌手のヌードシーンがあることを心よく思っておらず、ユダヤ人音楽家と演奏活動をしていたヒンデミットを排除したいと考えていました。当時ヒンデミットは帝室音楽院の顧問。さらに歌劇「画家マティス」の準備を進めており、劇中の間奏曲を集めたものを構成して交響曲「画家マティス」を1934年3月12日にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、指揮をヴィルヘルム・フルトヴェングラーで初演し大成功を収めます。しかし排除を決定していたナチスはこの最終的な歌劇上演を認めず、ヒンデミットの作品はナチスから演奏禁止の処分を受け〝ヒンデミット事件〟の発端となった。当時もっともリベラルな新聞「ドイチェ・アルゲマイネ・ツァイトゥング」にヒンデミットを擁護するフルトヴェングラーが論考を発表。その論考のタイトルが「ヒンデミット事件」。著書『音と言葉』にこの文章が載っています。
- ヒンデミット事件のきっかけにもなった交響的スケッチ《画家マチス》は、同名のオペラと並行して作曲され、オペラと共通の素材も登場するものの独り立ちしている作品。マティアス・グリューネヴァルト(Matthias Grünewald, 1470/1475頃〜1528)のイーゼンハイム祭壇画から「天使の合奏」「埋葬」「聖アントニウスの誘惑」を題材にした曲。「聖アントニウスの火」と呼ばれた、中世3大疫病のひとつに罹患した者たちが奇跡をもとめて聖アントニウス修道会へ殺到した。異様な磔刑図が描かれた祭壇画は、観音開きになっていて当時は「復活」の図が現われる仕掛けになっていたらしい。音楽も祭壇画と同じように、苛烈な闘いを経てアントニウスは信仰の力で幻想を打ち負かす。
- 政治による芸術への干渉を非難したフルトヴェングラーの尽力もむなしくバッシングの標的にされた作曲家は、1938年にドイツを去ってスイスに移住し、1940年にアメリカへ渡る。そして振付師レオニード・マシーンから、ウェーバーのピアノ作品をバレエ用に編曲してほしい、と依頼されたのをきっかけに『ウェーバーの主題による交響的変容』を書き上げた。
- 《ウェーバーの主題による交響的変容(Symphonic Metamorphoses On Themes Of Weber)》はヒンデミットの作品でも、最も有名なひとつ。カール・マリア・フォン・ウェーバーのピアノ連弾、4手ピアノのための作品(「8つの小品」、「6つのやさしい小品」)と、劇付随音楽『トゥーランドット』からの主題を引用し、アレグロ、スケルツォ、アンダンティーノ、行進曲という各楽章に割り当てた交響曲風の構成をもった変奏形式の曲で、前半冒頭は土俗的なティンパニーから勢いついてパワーフルに進めて少々の管楽器の危うさも何のその。一息ついて後半は、スピード感溢れたテンションをぐんぐん引き上げていく、全体に明瞭な爽快さ溢れる冴えに魅力される作品。
- オトマール・スウィトナーの明るく軽快で躍動感溢れる音楽作りが、の世界に誘ってくれる。シルクのようなシュターツカペレ・ドレスデンの美しい響きも絶品。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とよく似た格調高い響きだけれど、音符を完璧に弾き切るシュターツカペレ・ドレスデンのオーケストラの実力には凄みすら感じさせ、ウィーン・フィルよりもやや落ち着いた輝きが全体によく溶け合ってとてもいい。緩徐部分ではじっくりと落ち着きをみせて、ソロ奏者の妙技がじっくり味わえます。音楽が息づいているというのはこんな感じを指すのであろう。
プロダクト・ディテール(ヴィンテージ盤)
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作曲家パウル・ヒンデミット
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曲目
- ウェーバーの主題による交響的変容
- 交響曲変ホ調
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オーケストラ
- シュターツカペレ・ドレスデン
- シュターツカペレ・ベルリン
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指揮者オトマール・スウィトナー
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録音年1967
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録音レーベルETERNA/DECCA
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レコード番号8 27 924
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録音種別STEREO DIGITAL
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製盤国DE(ドイツ)盤
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レーベル世代ブラックレーベル
CDの購入はアマゾンからできます。
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ヴィルヘルム・フルトヴェングラーUniversal Music2024-10-02
ショップ・インフォメーション(このヴィンテージ盤はショップサイトの扱いがあります。)
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商品番号370885
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盤コンディション良好です(MINT~NEAR MINT)
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ジャケットコンディション良好です
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価格6,600円(税込)
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商品リンク
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ショップ名輸入クラシックLP専門店 ベーレンプラッテ
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