シュワルツコップ、セルのモーツァルト、R.シュトラウス/歌曲集 GB EMI ASD2493 STEREO

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「 シュワルツコップ、セルのモーツァルト、R.シュトラウス/歌曲集 GB EMI ASD2493 STEREO」を通販レコードとしてご案内します。

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GB EMI ASD2493 エリーザベト・シュヴァルツコップ ジョージ・セル ロンドン交響楽団 エディト・パイネマン アルフレート・ブレンデル モーツァルト リヒャルト・シュトラウス 歌曲集

GB 赤地にカラースタンプニッパー, 1968年の優秀録音。
パイネマンが、「明日」でヴァイオリン、またブレンデルも共演という、豪華なアルバムです!

  • Record Karte
    • 1968年9月10〜14,18日ロンドン、キングズウェイ・ホールでのウォルター・レッグのプロデュース、ロバート・グーチによる録音。
    • どうして、あなたを忘れられよう K.505、わたしは行く、だがどこへ? K.583、大いなる魂と高貴な心 K.578、私の感謝を受け給え K.383。憩え、わが魂 作品27-1、わが子に 作品37-3、子守歌 作品41-1、あした 作品27-4、小川 作品88-1、ばらのリボン 作品36-1、冬の捧げもの 作品48-4。
  • ほんのり優しく、ほんのり悲しい、手のひらに収まるような小さな歌たち。

  • ― モーツァルトのアリアを歌ったリサイタル盤は数多いが、これはその最高の演奏だと言い切ることができる。イダマンテ、ルチッラ夫人、ラウラ、そしてモーツァルトがアロイジアのために作曲したアリアの見事な歌い分けは、彼女の幅広い対応力を見せつけるような凄いものです。これは挙げておきたい深い表現力と正確な歌唱、そして美声の見事な融合だ。それにリヒャルト・シュトラウスはモーツァルトやシューマン、シューベルトと並んでエリーザベト・シュヴァルツコップの最も重要な、また得意なレパートリーでした。本盤はジョージ・セルの精緻でありながら伸びやかなサポートと相まって、深い感動に誘われます。蕩けそうなくらいに甘く優しく、そして気品あるシュヴァルツコップの声には聴き惚れるばかり。この柔らかく暖かい歌を聴いていると、現代の歌手たちの歌が如何に正確で整い過ぎているかということを思わずにはいられない。かつてヨーロッパ第一の美女でありドイツ・オペラ界最高のプリマと称えられたシュヴァルツコップの至芸がここには凝縮されている。可憐な花の一輪一輪のような歌に、何と深い愛情をシュヴァルツコップは注いでいる。詩の核心を完全に把握し自分のものとした歌だからこそ説得力がある。その上手さなど、声色を自在に変化させる女優そのものだ。手のひらに収まるような小さな歌たちだけれど、ほんのり優しく、ほんのり悲しい、こんなにも素敵な盤があることをぜひ多くの人に知って頂きたいと思い紹介致します。一生の宝として座右に置きたいほどの名盤であると断言致します。余談ですが、表紙の写真、知的で美しい。一歩も二歩もより高い次元に止揚したシュヴァルツコップが写っている。おそらく90歳の亡くなる寸前まで、この気品のある伯爵夫人であったのだろうと想像しています。エディト・パイネマンが「明日」でヴァイオリン、またアルフレート・ブレンデルのピアノも共演という豪華なアルバムです。1968年録音です。
  • アルフレート・ブレンデルのピアノ独奏がアリアの伴奏でかけあうという特色を持つオペラ「イドメネオ」からアリア「どうして、あなたを忘れられよう」K.505は、この地を離れるクレタの王子イダマンテが、ここに残る恋人・トロイの王女イリアのために歌うという内容で1786年の12月、「フィガロの結婚」初演のときにスザンナ役を歌ったソプラノ歌手ナンシー・ストーラスが故郷の英国に帰るための告別演奏会のために作曲された。歌詞は「イドメネオ」をウィーンで上演した時のアリアK.490 が再び使われている。アリア「わたしは行く、だがどこへ? 」K.583はイ・ソレールのオペラ「お人好しな気むずかし屋」の第2幕第5場で歌われる二重唱の替わりに、1789年11月9日にウィーンのウィーン・ブルク劇場で再演のときにルイーズ・ヴィルヌーヴ嬢の求めに応じて作曲した。このアリアは夫の破産に直面したルチッラ夫人が歌うもので、アインシュタインは「きわめて繊細で抒情的なカンタービレ的性格のテンポ・ディ・メヌエットに流れ込む」と解説し、「ルイーズ嬢は魅惑的な歌いぶりと趣味のよいコロラトゥーラの円熟した技倆をそなえた、魅惑的な人だったにちがいない」と述べている。
  • アリア「大いなる魂と高貴な心」K.578は、チマローザのオペラ・ブッファ「ロッカ・アッズッラ(青砦)の二人の男爵」の挿入歌として、これもルイーズ・ヴィルヌーヴ嬢のために作曲された。ルイーズ・ヴィルヌーヴ(19歳)はこの1789年の6月にウィーンでデビューしたばかりの若いソプラノ歌手だったが、「皇帝ヨーゼフ2世はこの美しい歌手をたいそうお気に入りだったのではないかと思われる」(ブレッチャッハー)というので、その当時のアイドル歌手だったのかもしれない。 よく知られているように、彼女は1790年1月26日ブルク劇場での「コシ・ファン・トゥッテ」K.588の初演で妹ドラベラ役を歌った。トタロ男爵には美しい婚約者ドンナ・ラウラがいるが、彼はまだ彼女と会ったことがない。そこへ付け込んだのがフランケットで、彼はかねてから好きであったラウラを横取りしようと彼女からの使いと偽り、妹のサンドリーナの肖像画を届ける。男爵がすっかりこれを信じてしまうことから、ブッファにおさだまりの取り違えやドタバタの人生模様が展開される。そのような劇の第1幕第8場で決然と歌われる、「若い貴婦人の憤怒の息吹を持った、魅力的なアリア」(アインシュタイン)。そして最後に置かれたアリア「私の感謝を受け給え」K.383は、作者詞不詳のドイツ語によるアリア。 旋律は「後宮からの誘拐」K.384の第2幕フィナーレの四重唱(第16曲)と同じであり、アロイジアのために作曲されたと言われている。「アーロイージアが1782年4月に、ヴィーンの舞台のうちの一つへの最後の登場に際して歌ったものにちがいないが、モーツァルトには稀にしか、それもドイツ語の声楽曲の場合にしか見られないほど、感傷的で偏狭なものである。」とアインシュタインは断じているが、それはアロイジアに対するアインシュタインの個人的な感情の故に発せられたのであろう。
  • アルフレート・ブレンデル(Alfred Brendel)はオーストリアのピアニスト。第一次大戦後なので、既にチェコスロヴァキア領になっていた北モラヴィア地方のヴィーゼンベルクで1931年1月5日に生まれた。ホテル経営をする両親の元で、幼少の間は楽器に触れることはなかったそうだが、音楽への興味はレコードやラジオを通して育まれた。6歳からピアノを弾き始め両親とともにザグレブに移った後、ソフィア・デゼリチェというピアニストから正式なレッスンを受けるようになり、1943年にグラーツに移り、グラーツ音楽院でルドヴィカ・フォン・カーンにピアノを、アルトゥール・ミクルに音楽理論を師事している。音楽教員の資格を取得するために1947年にウィーンへ行き、ウィーン音楽院でパウル・バウムガルトナーやエドゥアルト・シュトイエルマンに短期間学び音楽教員免許を取得した。しかし、実はピアノに関してはこの時期ほぼ独学であった。1948年、グラーツで初めてのリサイタルを開催すと、1949年ブゾーニ・コンクールに4位入賞し、順調にそのキャリアを積み上げ、ウィーンでのコンサート・デビューを飾った。また、この頃、毎年夏にルツェルンで行われていたエドヴィン・フィッシャーのマスター・クラスに参加して多大な影響を受けたと後に本人がインタビューで答えている。1960年代以降、しだいに国際的な名声を得るようになるが、1970年にオランダ・フィリップスと専属契約を結びリリースしたレコードでその名声を決定づける。特に、録音に関してはベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集の2度の録音で評価を上げた。現代最高の知性派ピアニストといわれ華麗さや派手さはないものの、ウィーン古典派、シューベルトなどオーストリア・ドイツ系の音楽を特に得意としている。室内楽にも積極的で、歌曲の伴奏でも多くの演奏を生み出しており、近年では息子でチェリストのエイドリアン・ブレンデルと共演したベートーヴェンのチェロ・ソナタ全集を発表し話題となった。文才にも恵まれ著書も多く行い、ロンドン大学からは博士号も送られている。何度も来日しており、日本でも人気の高いピアニストであった。2008年12月19日、 ウィーン・フィルとのモーツァルト:ピアノ協奏曲第9番の演奏を最後に全てのコンサート活動から引退した。現在は後進の指導にあたっている。
  • ジョージ・セル(George Szell)は1897年6月7日にブダペストで生まれたが3歳からヴィーンに移り住み、ヴィーンの音楽を身に受けて育った。11歳でピアニストとしてヴィーン交響楽団と共演、16歳で指揮者として同響を指揮し、17歳でベルリン・フィルを指揮して自作を発表した。1915年にはリヒャルト・シュトラウスに認められてベルリン国立歌劇場で練習指揮者を務める。事実、セルの様式感はヴィーンの伝統を受け継いでいる。このことはクリーヴランド管弦楽団の浮世離れした美感ゆえなかなか気づかれなかったようであるがハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトの解釈にはヴィーンの流れをくむセルの揺るぎない様式感が打ち出されている。そうした古典様式の美学を踏まえて、セルはメンデルスゾーンやシューマンやブラームス、ワーグナーやブルックナーやマーラー、ドヴォルザークやチャイコフスキーなど、いわゆるロマン派の世界に乗り出していったのであり、そこにセルの神髄が見いだせる。1917年にシュトラスブルク市立歌劇場の指揮者としてスタート。1919年プラハ・ドイツ歌劇場、21年ダルムシュタット歌劇場、22年デュッセルドルフ市立歌劇場を経て、24年にはベルリン国立歌劇場の第1指揮者となった。29年にはプラハ・ドイツ歌劇場の音楽総監督に就任。一方で欧米のオーケストラにも活躍を始めた。1939年にオーストラリアに客演したが、その帰途、第2次世界大戦が勃発。そのままアメリカに留まる。アメリカでは最初、音楽院の教授を務め、トスカニーニの要請でNBC交響楽団に客演。42年にはメトロポリタン歌劇場に登場。46年にクリーヴランド管弦楽団の音楽監督に就任し、この楽団を世界最高の水準に高めた。
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  2. ASD2493

プロダクト・ディテール(ヴィンテージ盤)

  1. 演奏者
    • エリーザベト・シュワルツコップ(ソプラノ)
    • エディット・パイネマン(ヴァイオリン)
    • アルフレッド・ブレンデル(ピアノ)
  2. オーケストラ
    ロンドン交響楽団
  3. 指揮者
    ジョージ・セル
  4. 作曲家
    1. ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
    2. リヒャルト・シュトラウス
  5. 曲目
      1. 「心配しなくともよいのです、愛する人よ」
      2. 「私は行く、しかしどこへ」
      3. 「偉大な魂と高貴な心」
      4. 「わが感謝を受けたまえ、やさしい保護者を」
      1. 「憩え、我が魂」 
      2. 「わが子に」
      3. 「子守唄」
      4. 「明日」
      5. 「小川」
      6. 「ばらの花環」
      7. 「冬の愛」
  6. 録音年月
    1968年9月10〜14,18日
  7. 録音場所
    ロンドン、キングズウェイ・ホール
  8. 録音チーム
    ウォルター・レッグのプロデュース、ロバート・グーチによる録音
  9. 録音レーベル
    EMI
  10. レコード番号
    ASD2493
  11. 録音種別
    STEREO
  12. 製盤国
    GB(イギリス)盤
  13. レーベル世代
    赤地にカラースタンプニッパー
CDの購入はアマゾンからできます。

ショップ・インフォメーション(このヴィンテージ盤はショップサイトの扱いがあります。)

  1. 商品番号
    369692
  2. 盤コンディション
    良好です(MINT~NEAR MINT)
  3. ジャケットコンディション
    良好です
  4. 価格
    7,700円(税込)
  5. 商品リンク
  6. ショップ名
    輸入クラシックLP専門店 ベーレンプラッテ
  7. ショップ所在地
    〒157-0066 東京都世田谷区成城8-4-21 成城クローチェ11号室
  8. ショップアナウンス
    べーレンプラッテからお客様へ
    当店のレコードは、店主金子やスタッフたちが、おもにヨーロッパに直接出向き、実際の目と耳で厳選した、コンディション優秀な名盤ばかりです。国内で入手したものや、オークション品、委託商品はございませんので、安心してお求めになれます。

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