JP 東芝音楽工業 TA56011-12 巌本真理 鷲見五郎 坪田昭二 決定盤ヴァイオリン抒情名曲25曲選 タイスの瞑想曲

投稿日:

「 JP 東芝音楽工業 TA56011-12 巌本真理 鷲見五郎 坪田昭二 決定盤ヴァイオリン抒情名曲25曲選 タイスの瞑想曲」を通販レコードとしてご案内します。

34-26003

通販レコード→JP 東芝音楽工業製, STEREO 2枚組, 140㌘重量盤

巌本真理の奏でるメロディは人の温もりを感じさせ、ヴァイオリンが持つ哀切が遥かに大きく越えていく。

日本が生んだ偉大なヴァイオリニスト、巌本真理いわもとまりの「ヴァイオリン小曲集」。ヴァイオリンの抒情的名曲を25曲選んだ決定盤。戦前、戦中、戦後。昭和の日本では、こうした音楽が望まれていた。今では往年の音楽好きたちのレコード鑑賞会で懐かしさを誘うのみ。ヴァイオリニストの演奏会でも選曲されないものも多い。
40歳のときに結成した巌本真理弦楽四重奏団は、高度成長時代に日本のクラシック音楽愛好の裾野を広げた。フルトヴェングラーやトスカニーニは尊敬を受けるほどであったが、来日することはなかった。クラシック音楽のレコードとなれば、そうした大指揮者の交響曲がよく聴かれた。オーケストラの実際の演奏を地方で聞くことは難しい。巌本真理弦楽四重奏団はラジオのクラシック音楽番組に、たびたび出演して弦楽四重奏曲の素晴しさをリスナーに伝えました。巌本真理弦楽四重奏団のベートーヴェンは評判高い。エネルギーと推進力に満ちた初期作品も魅力ながら、内省的で未来的とさえ言える後期四重奏曲の深さも申し分なし。半世紀前にこれほど大人の音楽を奏した室内楽団体が日本にいたことを再認識させてくれます。弦楽四重奏団とソリストを兼ねたヴァイオリニストというと、アドルフ・ブッシュや巌本真理を思い出すが、ソロでは骨太で表情の大きな演奏をする一方、室内楽ではアンサンブルの求心力を高めるあり方で彼女ひとりが飛び出さない。巌本真理は東芝レコードに多く録音を残しましたが、日本の作曲家の作品もレパートリーにし、教材レコード(EP,LP)も録音した。同じ頃このヴァイオリニストが室内楽団を率いて全国の学園を回って精力的に活動していた。巌本真理の敬虔な修道女のような風貌と、肉厚で叙情性豊かだが、飽食することのないストイックで堅牢な室内楽のアンサンブルは自然脳裏に残り、弦楽四重奏の、クラシック音楽の、退屈さなどは微塵もなく、戦中派にもしられた有名ヴァイオリニストとしか知らなかった田舎学生にとっても実に豊かなひとときを思い出として残しただろう。

iwamoto-mari

伝説の名演/日本室内楽演奏史に燦然と輝く巌本真理。

巌本真理は戦前、天才少女ヴァイオリニストとして諏訪根自子と人気を二分した日本ヴァイオリン界の先駆者的存在。1926年1月19日、日本人の父とアメリカ人の母の間に生まれた。出生時の戸籍名は巖本メリー・エステル、後に巖本真理と改名。教育者巌本善治と若松賤子の長男である巌本荘民とアメリカ人マーグリトの間の長女として東京西巣鴨に生まれ、ハーフとして差別を受けながら戦前から戦後への時代をヴァイオリンの天才少女として生きた。

読書ヴァイオリン/譜面台には楽譜の代わりに「ジェーン・エア」「嵐が丘」「風と共に去りぬ」「古今和歌集」までも。真理の手は楽器を奏で、目は活字を追う。

1935(昭和10)年、九歳の夏、巌本メリー・エステル、のちの巌本真理は、通っていた小学校を退学し家庭教育に入った。入学以来続いたいじめに耐えられなくなったことが大きな原因だった。
真理の両親は、学校生活を免ずる代わりに自宅での勉強とヴァイオリンの厳しい練習を課す。父も母も娘には厳格な態度を通し、しかも音楽の才能には強い確信を持っていたのである。父は多忙な母に代わって真理に1日6時間の練習を課し、帰宅すると必ず女中に実行したかを確認した。逃げることはできなかった。
部屋に閉じこもった真理は、父の居間に多くの本があることを発見する。
気の向くままに読むことで、彼女は読書の喜びを知る。6時間のヴァイオリン練習をやめることはできず、しかし読書を後回しにすることもできなかった。
そこで一計を案じる。課された練習曲をすべて暗譜し、譜面台には楽譜の代わりに書庫から持ち出した本を置く。真理の手は楽器を奏で、目は活字を追う。練習時間を測って報告するよう父に命じられた女中は、6時間間違いなく練習しておられましたと伝える。一方真理は「ジェーン・エア」「嵐が丘」「風と共に去りぬ」トーマス・マンやO・ヘンリーの短編など、翻訳書だけでなく英語の原書も見つけ出しては読破した。「古今和歌集」までも。
両親は安心し、真理は叱られず、まことにあっぱれな「切り抜け方」であった。
この時期に読んで特に好きだったのは有島武郎の「或る女」だった。この晦渋な小説のどこが九歳の少女の琴線に触れたのか。「主人公が自分の愛を貫くところ」だったとのちの巌本真理は述懐している。やがて真理は、ヴァイオリン指導の第一人者であった小野アンナの門下に入ることになる。
美貌の天才少女と呼ばれ、以降何かというと比較された諏訪根自子とは同門である。初めて出会ったとき、真理の演奏を聴いて、小野は「せめて、毎日3時間の練習は必要です」と話した。「読書ヴァイオリン」は即座に見抜かれたのである。

ヴァイオリンは好きではない。しかし学校へ行くよりはよい

「真理は世間でいわれるような天才とは思っていない。しかし、異常な才能をもっているということは親馬鹿でなくともいえる」。これは今から十年ほど前、彼女の父親が語ったことばである。その異常な才能というのはどんなあらわれ方をしたのだろうか。やはり父親の言葉だが、四歳ごろから、ラジオのヴァイオリン音楽に興味をもち、メロディをすぐ覚えてしまう。そしてやや長じてからは指づかいの批判をした。
両親は天才….はともかくとして娘の才能を認め、これをなんとか伸ばしてみようとしたことはたしかだ。それは父親自身が、ヴァイオリンを志し、家庭の反対にあって断念したからだともいわれているが、父親のその方針は彼女の記憶のなかに生きている。数え年六歳で小野アンナ(1879-1979)のもとへ入門させられた時、父親からの諏訪根自子みたいになるんだよという一句を今日でも印象深く覚えている。それは諏訪が小野門下の先輩として、すでに〝天才少女〟という形容詞で紹介され、今日でいえばマスコミの世界で華やかに活動していたからだろう。エルマンやジンバリストの演奏会にも連れてゆかれた。
このような両親の教育を彼女自身は相反する心理で受けとめていた。一つは「諏訪根自子みたいになるのは大変だぞ」「なるためには、今でさえいやでたまらない練習をこれ以上やらなければならない」という嫌悪感であり、もう一つは「諏訪根自子みたいになってみたいな」といういわば少女的なあこがれである。このあこがれは一般的な少女のスター崇拝熱の一種にはちがいない。だが彼女の場合にはもう一つ別な感情がからみつく。それは混血児の悲しみと、それに対する猛烈な反発心である。今にみろ、という感情だ。
後年、バスのなかで女性が彼女に挨拶をした。「ざまあみろ」と思ったそうである。その女性は小学校で彼女をもっとも苦しめた同級生だったからだという。ともかく小学校は三年で中退した。病気もあってか、ちょっと想像に難いような激しい圧迫(同級生からの)に耐えられなくなったためでもある。学校へ行かれなくなった時、ヴァイオリンを選ぶ決心をした。ヴァイオリンは好きではない。しかし学校へ行くよりはよいという消極的な意味であったらしい。
昭和十二年、第六回毎日音楽コンクールに第一位入賞。決心はここから積極的になる。当然うれしい。それと、友だちをみかえすことができたという高揚した感情が方向を決めさせたのだといえる。〝絶対負けられない〟というその反発心は今日まで支えになっている。― 『藝術新潮』1959年8月号より

6歳からヴァイオリンを始め、小野アンナに師事。1937年、12歳で第6回日本音楽コンクール第1位。20歳で東京音楽学校(現:芸大)の教授に迎えられましたが、1959年渡米してジュリアード音楽院でパーシンガーとエネスコに師事し研鑚を積みました。

君ならいつでもリサイタルができる。― ジョルジュ・エネスコ

1946(昭和21)年、二十歳の巌本真理は、東京音楽学校教授に就任。
この若さで異例の抜擢は、小宮豊隆学長の推挙によるものだった。最年少の教授である。ここで真理は、初めて同年配の友というものを持つことができた。彼女の生徒たちである。
黛敏郎、千葉馨、園田高弘の名前もあった。周囲には大胆奔放な生活と映り、ゴシップ、中傷もささやかれた。門限を過ぎての、垣根を乗り越えての侵入事件、などの武勇伝もあったようだ。
この時期、厳格な父と初めて衝突し、戸籍名のメリー・エステルの名前を抹消する。遅れてやってきた真理の青春時代であった。
1949年、音楽学校が東京芸術大学となり、小宮学長が退任すると、真理は教授を辞任する。その理由としたのは、アメリカのプロモーターから持ち掛けられたアメリカ演奏旅行の話だった。
お膳立ては両親によって進められ、この時点でも、相変わらず真理は父の掌中にあったが、この話は実は詐欺であり、渡米してはじめてそれに気づかされることになる。
真理は、アメリカに踏みとどまった。
到着後1回だけセッティングされていたイリノイ州立大学での演奏会に、69歳のジョルジュ・エネスコが来ていて、短いレッスンを施したうえ「君ならいつでもリサイタルができる」と称賛したのである。この、メニューインの師でもある老巨匠に勇気づけられた真理は、このままアメリカに滞在することを決心する。シカゴからニューヨークに出て、知人の伝手で入居したアパート暮らしをしながら、ジュリアード音楽院の教授にレッスンを受ける生活に踏み出した。しかし、コンサートの機会はなかなか訪れず、1年4か月の滞在中にタウン・ホールで開催した一度のみ。新聞評は好評だったが、次の話はこなかった。
アパート生活では、手動エレベータの運転係と手紙の配達で生活費を補った。気持ちの張りつめた孤独な日々を送ってきた真理にとって、アパートに生活する市井の人々との触れ合いの持つ意味は大きく、アパート住民の中国人の勧めでアナウンサーの試験を受け、合格したことも、音楽しか知らなかった真理にとって大きな自信となった。
帰国後、真理は両親の許へは帰らず、プロの音楽家として精力的な演奏活動を開始していくのである。

1959年芸術選奨文部大臣賞、芸術祭奨励賞受賞。1964年民放祭最優秀賞受賞。帰国後1966年2月に結成した巌本真理弦楽四重奏団は常設クヮルテットとして日本の団体としては初めての試みで、わが国のカルテットの草分け的存在となり、毎日芸術賞受賞、1970年レコード・アカデミー賞受賞。1971年再度芸術選奨受賞。1974年モービル音楽賞受賞。 1979年5月11日乳がんのため逝去。享年54歳。

収録曲

  1. Side-1
    1. マスネ 《タイス》の瞑想曲
    2. ラフ カヴァティーナ
    3. シューマン トロイメライ
    4. クライスラー 愛の悲しみ
    5. クライスラー ロンドンデリーの歌
    6. バッハ G線上のアリア
  2. Side-2
    1. シューベルト アヴェ・マリア
    2. ラフマニノフ ヴォカリーズ
    3. グノー アヴェ・マリア
    4. シューベルト 子守歌
    5. ブラームス ワルツ
    6. ブラーガ 天使のセレナード
  3. Side-3
    1. リムスキー=コルサコフ インドの歌
    2. ドヴォルザーク インディアン・ラメント
    3. マルティーニ 愛の喜び
    4. マスネ エレジー
    5. リスト 愛の夢
    6. メンデルスゾーン 歌の翼に
    7. グルック メロディ
  4. Side-4
    1. ゴダール 《ジョスラン》の子守歌
    2. シューベルト 《ロザムンデ》よりバレエ音楽
    3. ポンセ エストレリータ
    4. ペルゴレージ ニーナ
    5. モーツァルト メヌエット
    6. ドルドラ セレナード
  • Record Karte
    • 演奏者
      • 巌本真理(ヴァイオリン)
      • 鷲見五郎(ピアノ:Side-1, Side-2(1,2))
      • 坪田昭二(ピアノ:Side-2(3,4,5,6), Side-3, Side-4)。
    • 見開きジャケット。
    • 1958年頃録音の25cmモノラル録音とは別のステレオオリジナル録音。

続きを読む

from 100年後でも聴いて楽しいアナログ名盤レコード https://ift.tt/ArsU2EK
via IFTTT