「 US RCA LSC2362 ピエール・モントゥー ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ベルリオーズ 幻想交響曲」を通販レコードとしてご案内します。
US RCA LSC2362 ピエール・モントゥー ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ベルリオーズ「幻想交響曲」
モントゥー十八番の「幻想交響曲」、老練の技の到達点を象徴するウィーン・フィルとの名演奏。
ベルリオーズがパリ音楽院の学生だったときに、イギリスから来たシェークスピア劇団の「ハムレット」に衝撃を受けたことがそもそものきっかけ。何よりその際オフェリアを演じていたハリエット・スミッソンに激しい恋心を抱き、何通ものラブレターや面会の申し込みを一方的に送りつけたこと。
当然彼女は気味悪がって無視したわけだが、それでも一度火のついたベルリオーズの恋の炎は収まらず、ついには裏返しの「憎悪の感情」にとって代わり、作品の中でスミッソンを殺してしまうに至る。
作品の中での妄想であるのだが、スミッソンを殺そうと、すぐ近くまで馬車を走らせたが、思いとどまって帰った、というエピソードも伝わっている。そこには、対面では気持ちを伝えることが出来ない青年像にも思えるが、表現者として思いを伝えたかったのだろう。音楽に情景が読み込まれ、作曲者の心理が投影され、しかもそれが大管弦楽によって妖艶な響きをもって表現される。作品の中で、スミッソンを殺してしまうところから「幻想交響曲」の第1楽章は始まる。ここに真に「ロマン派」と呼ぶべき時代が始まった。
シューマン、ワーグナーの名をあげるまでもなかろうが、「ロマン派」は文学と直結する。文筆家としてのベルリオーズのウィットに富んだ空想的表現は、細田守監督の「未来のミライ」がアニメーションで表現し得た、幼児心理とみれることに等しい。
音楽というのはさまざまな芸術のなかでも、特におかしな情熱家やとんでもない野心家を生み出す芸術に違いない。その彼らは、かなり特徴的な偏執狂者とも言えるだろう。
近藤喜文監督の「耳をすませば」での、バロンと貴婦人の人形のくだり、その底部にあるセリフでは表現しなかったところを令和になった今の若者達には汲み取ることはできないだろう。本盤が録音されたとき、指揮者も楽団のメンバーの皆が、戦争体験を共有していた。
異形の交響曲が抱え持つ音楽のグロテスクさと最も内的な夢幻像の啓示との調和がある ― ピエール・モントゥーは5種類の「幻想交響曲」録音を残していますが、この83歳の時の「幻想交響曲」は肩の力の抜けた流麗な演奏。「超自然的」な題材をモティーフにしたロマン派の名作。演奏によっては限りなくどぎつくなってしまうところを、モントゥーは品良く丁寧にまとめています。
第1楽章冒頭の、水の滴るような柔らかな響きに惹き込まれる。ボスコフスキーがコンサートマスターをしていた時代の、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団だ。弦も管も打楽器も、何という充実した深みのある音を奏でるのだろう。恋い焦がれるベルリオーズの真実が、音符のひとつひとつも無駄にして音化される妙。
第3楽章「野の風景」における、いかにもウィーン風の柔らかい木管の調べと弦楽器の交錯する優美さは束の間の平安だ。
白眉はやはり終楽章「魔女の夜宴の夢」。どの瞬間も余裕があり、堂々たる音の風景。鐘の音と交錯する「怒りの日」のコラールの場面で思わず陶然 ― 「幻想」が「現実」に呼び戻される。
生涯に5度もの正規録音を果たしたモントゥーは、聴きてのイマジネーションを自然に美しく膨らませる。メカニックな響きはどこにもなく、細部を緻密に掘り下げるのではなく、全体の曲の雰囲気作りと大きな有機的なフレージングを信条とした演奏は、今聴いても新鮮です。
- Record Karte
-
- 1958年10月ウィーン、ゾフィエンザール録音。
- 各楽器の音を一番明瞭に捉えている録音として高名な録音です。
CDはアマゾンで
5種類の録音が、すべてCD発売されているので、購入時注意してほしい。
from 100年後でも聴いて楽しいアナログ名盤レコード https://ift.tt/SXqGbQD
via IFTTT





![ベルリオーズ:幻想交響曲[1945年録音]~モントゥー&サンフランシスコ響名演集](https://m.media-amazon.com/images/I/410EP2QEYHL._SL160_.jpg)


