JP ARGO SLA1027 ネヴィル・マリナー アカデミー室内管弦楽団 ヘンデル 水上の音楽 王宮の花火の音楽 THE WATER MUSIC SUITE THE ROYAL FIREWORKS MUSIC(見本盤)

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「 JP ARGO SLA1027 ネヴィル・マリナー アカデミー室内管弦楽団 ヘンデル 水上の音楽 王宮の花火の音楽 THE WATER MUSIC SUITE THE ROYAL FIREWORKS MUSIC(見本盤)」を通販レコードとしてご案内します。

34-30664

通販レコード→JP 1972年発売キングレコード社製溝無白テスト盤, 英国ARGO同一1G/1G最初期スタンパー, STEREO 130㌘重量盤。

《春休みに鑑賞しておきたい名曲》

流麗なアンサンブル、輝かしい金管の響き。 ― 一世を風靡したレーベルの名録音。

サー・ネヴィル・マリナーはフィルハーモニア管弦楽団とロンドン交響楽団、マーティン弦楽四重奏団でヴァイオリン奏者を務めた後、古楽の権威でもあったサーストン・ダートとジャコビアン・アンサンブルを結成し、その後、ピエール・モントゥーの学校で指揮を学んだのち、1959年にロンドン中心地トラファルガー広場脇にある教会を拠点とするアカデミー室内管弦楽団(Academy of St. Martin-in-the-Fields) を結成、以後、半世紀以上に渡って、得意のバロック音楽から新ウィーン楽派作品まで、室内オーケストラの多彩なレパートリーを展開しました。

サー・ネヴィル・マリナー(Sir Neville Marriner, 1924.4.15〜2016.10.2)はヴァイオリニストだけあって弦楽の扱いがとてもうまく、繊細な音も力強い音も自在であり、少人数管楽器ならではの克明な表現がそこに加わって、実に心地よい演奏を聴かせてくれます。特に最初の四半世紀の彼らの演奏は、その機動力抜群のスタイルもあり、スコアを的確に鮮やかに表現するだけでなくエネルギッシュで小気味の良い音楽を聴かせてくれるのが魅力的です。録音もバロックから英国近代ものまで多岐にわたり、優秀録音に支えられてリリースするレコードは確実にセールス枚数を消化したことからも、サー・トーマス・ビーチャムの後継者のような存在。マリナーとアカデミー室内管弦楽団(ASMF)の最初の四半世紀に録音したレーベルは「argo」レーベルが主体で、そのほか「DECCA」と「オワゾリール」、「ASV」レーベルからの発売もあります。本盤は音楽の母、ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルの有名2大管弦楽組曲。「王宮の花火の音楽」と「水上の音楽」から3つの組曲を、英LONDONレーベルからインターナショナルにリリースする際に、カップリング。「argo」と「オワゾリール」は早い段階で「DECCA」に吸収され、「ASV」も2007年にユニバーサル・ミュージックの傘下となりました。シカゴに戦後まもなく誕生していたブルース~R&Bメインのチェス「US Chess」により立ち上げられたジャズ専門レーベル「ARGO」と混同することが厄介ながら英国「argo」はDECCAグループの一角を担い、現代音楽を中心としたレーベルとして、英国だけでなく濠太剌オーストリア和蘭オランダ盤もあり一世を風靡したレーベルでした。「現代に息づく最新の音楽を捉え、それを記録として伝えよう」というコンセプトで活動。当然DECCAの録音エンジニアを有効利用して行った録音は全て秀逸。そのサウンドの指向はDECCAに通じるものがあり、明瞭でマイルドな音像が構築されています。

ドイツ人たちの英国クラシック音楽の礎。水上の音楽。

「水上の音楽」は名前の通り、1715年のテムズ川でのイギリス国王の舟遊びの際にこの曲を演奏した、というエピソードが一般的には有名です。こういう音楽は「機会音楽」と呼ばれます。機会音楽とは、演奏会のために作曲されるのではなく、何かの行事のために作曲される音楽のことをいいます。それは純粋に音楽を楽しむ目的のために作られるのではなく、それが作られるきっかけとなった行事を華やかに彩ることが目的となります。ですから、一般的には演奏会のための音楽と比べると一段低く見られる傾向がありますが、顧客のニーズにあわせて作られるわけですから、独りよがりな音楽になることはありません。しかしながら、例え機会音楽であっても、その創作のきっかけが何であれ、出来上がった作品が素晴らしい音楽になることはあります。大部分の凡庸な作曲にあっては、そのような内的衝動に基づいた音楽というのは聞くに堪えない代物であることが少なくありません。それに対して、モーツァルトやヘンデルのようなすぐ入れた才能の手にかかると、顧客のニーズに合わせながら、音楽はそのニーズを超えた高みへと駆け上がっていきます。国王陛下はこの曲をたいそうお気に召され、行き帰りの間に3回もその演奏を所望された。と、1717年7月19日付のデイリー・クラント紙上で書かれたところに根拠がありそうですが、この音楽が今日伝えられる「水上の音楽」であるのかどうかはわからない。そして、1736年4月26日に行われたテムズ川の舟遊びの際にも、ヘンデルの「水上の音楽」が演奏された記録も残り、19曲の楽譜が伝えられている。「水上の音楽」は楽譜は出版されず、自筆譜もほとんどが消失しているために、曲の配列や演奏形態も確定されていません。アイルランドの作曲家、ハミルトン・ハーティは6曲を選び、「エア」「ブーレ」「ホーンパイプ」「アラ・ホーンパイプ」の4楽章に似た構成にまとめ、楽器編成を大幅に強化して、それは慎ましやかなバロック音楽ではなくて、標準的な2管編成のオーケストラ曲に仕上げている。さらに、テンポ設定やダイナミクスに関しても細かく指定して、完全にバロック音楽とは全く違う音楽に仕上げています。今日でも、「水上の音楽」と言えば、このハーティ版の演奏によってイメージが作られているという人が多いのです。サー・ネヴィル・マリナーは若き音楽仲間たちとの研究成果を演奏。グループの音楽研究家、古楽の権威でもあったサーストン・ダートとの成果が「ト長調」、「ニ長調」、「ヘ長調」の3タイプに整頓した「水上の音楽」です。国王の船遊びは数回開催されたので、どれがいつのときの、という確証はありませんが、国王が乗った船が通過する岸辺から、あるいは、国王が乗っている船に付き添って楽員が乗り込んだ船から演奏したと想像できます。トレヴァー・ピノック盤が初めてこの曲のオリジナル演奏で、わたしを夢中にさせてくれましたが。そこから、数々の名録音の録音時代を遡って、サーストン・ダートの活動に魅了されています。有名なこの作品の演奏が多数ある中で、生命の躍動感が宿る解釈と演奏。マリナーが指揮する演奏は、テンポの設定が絶妙で、これ以上早くても遅くても、この優美な旋律の輪郭は顕すことができなかったという、優れた音楽見識であると、感服しながら聴いています。ドイツ生まれのイギリス国王にために、ドイツ出身の作曲家が、イギリスで大成するチャンスとなった「水上の音楽」を、イギリスで育った若者たちが、本来の演奏スタイルを蘇らせた。このレコードはそういう記念的背景も持っています。アカデミー室内管弦楽団と一緒にビートルズ世代の音楽家たちのアイデアと試みは、古楽演奏への関心を盛んに促すことになります。

指揮界のビートルズ。

イギリスの名指揮者サー・ネヴィル・マリナーは2016年4月、手兵アカデミー室内管弦楽団と来日公演を行ったのが最後となった。1924年4月15日、イングランド中部のリンカーン生まれ。ロンドン王立音楽院でヴァイオリンを学び、パリ音楽院でルネ・ベネデッティに師事。マリナーはヴァイオリニストだけあって弦楽の扱いがとてもうまく、繊細な音も力強い音も自在であり、少人数管楽器ならではの克明な表現がそこに加わって、実に心地よい演奏を聴かせてくれます。当初は弦楽器だけのアンサンブルで、バロック音楽をレパートリーの中心としていましたが、次第に管楽器も加えて古典派交響曲の演奏を行うようになりました。特に最初の四半世紀の彼らの演奏は、その機動力抜群のスタイルもあり、スコアを的確に鮮やかに表現するだけでなくエネルギッシュで小気味の良い音楽を聴かせてくれるのが魅力的です。録音もバロックから英国近代ものまで多岐にわたり、優秀録音に支えられてリリースするレコードは確実にセールス枚数を消化したことからも、トーマス・ビーチャムの後継者のような存在。

ネヴィル・マリナーはマーティン弦楽四重奏団でヴァイオリン奏者を務めた後、古楽の権威でもあったサーストン・ダートとジャコビアン・アンサンブルを結成し、バロック音楽に主眼を置いて活動しました。当初、イートン校でヴァイオリンを教えていましたが、そのかたわらで大指揮者ピエール・モントゥーの学校で指揮を学んだのち、1952年フィルハーモニア管弦楽団に入団、その後1956年から1968年まで、ロンドン交響楽団の第2ヴァイオリン首席奏者を務めました。この間、アルトゥーロ・トスカニーニ、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、ヘルベルト・フォン・カラヤン、モントゥーなどの名指揮者のもとで経験を積みました。ほどなくロンドン交響楽団在籍中の1959年にロンドン中心地トラファルガー広場脇にある教会を拠点とするアカデミー室内管弦楽団(Academy of St. Martin-in-the-Fields) を結成、以後、半世紀以上に渡って得意のバロック音楽から新ウィーン楽派作品まで、室内オーケストラの多彩なレパートリーを展開しました。マリナーとアカデミー室内管の最初の四半世紀に録音したレーベルは argoレーベルが主体で、そのほかDECCAとオワゾリール、ASVレーベルからの発売もあります。argoとオワゾリールは早い段階でDECCAに吸収され、ASVも2007年にユニバーサル・ミュージックの傘下となりました。アカデミー室内管との膨大な録音により、マリナーの指揮者としての名声が高まると世界各地への演奏活動も本格化しました。マリナーが音楽監督を務めた1984年制作の映画「アマデウス」ではサウンドトラックの指揮も務め、3部門のグラミー賞を獲得したほか、サウンドトラック盤はベストセラーとなりました。1970年代に旧フィリップス(現DECCA)にモーツァルトの初期交響曲集を録音し、高い評価を得たことから後期交響曲集も録音してマリナー&アカデミー単独による交響曲全集を完成しました。これは当初はクリップス指揮の後期交響曲集とともに全集を構成していた企画で、アルフレッド・ブレンデルとのモーツァルト協奏曲全集録音も、当初は有名作品のみの録音だったものが好評により15年をかけて全集に発展したものです。

デジタル録音の軌道をマリナーとプレヴィンが先導した。

ピエール・ブーレーズは現代音楽の作曲家として知られるようになり、ジョージ・セルが指揮できない状態のときには駆けつけて代役をする、助ける存在としてクリーヴランド管弦楽団の首席客演指揮者に就任。古典作品に慣例や、思い入れの解釈を持たない、作曲家としての譜読みをする指揮者姿勢が買われてのセルのカバーとなった。そのブーレーズも2016年1月5日に世を去った。最早最高齢巨匠グループか。と感慨を抱いていた指揮者も、ズービン・メータだけが残った。ブーレーズは電子音響を得意とする現代音楽の作曲家として登場して、自作の録音をレコード会社に売り込んでレコード発売に結び付けるとともに近代、現代音楽を指揮したレコードは新鮮でよく売れた。ズービン・メータはインド生まれを武器に、東洋人で最大の成功者。1960年代から2人は欧米のメイン・レーベルから売れるレコードを世に出し続けた。気が付くと前衛と言われた彼らが最高齢マエストロとして君臨している現代だ。これに指揮者としての活動が今ではメインのピンカス・ズーカーマンがベートーヴェンの協奏曲で独奏したが、ソロが登場するより前から第1ヴァイオリンのパートを弾いて音楽を先導していた。メータ指揮イスラエル・フィルの活動は長く、その記念演奏会でオール・ベートーヴェン・プログラム。ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲はズーカーマン、メータ、イスラエル・フィルみんなの掌中のスコアだ。ズーカーマンは本来ソロが入るところより早く最初からオーケストラと一緒にヴァイオリンパートを演奏している。コンマスが二人いる感じでメンバーが両方に視線をやっているのが面白い。誰も動じない安心した音楽が奏でられた30分ほどだが、録音だけで聴いたら定位の不思議な録音に感じたろう。デジタル録音盤が登場してきた1980年代初頭は、ネヴィル・マリナーとアンドレ・プレヴィンのレコーディング活動は傑出していた。そのレパートリーは過去のオーケストラレパートリーを網羅する勢いだった。マリナー指揮フィルハーモニア管弦楽団のレコードは、セッションを用意するためのレコード会社の方策でもあったと思う。録音に編成されたオーケストラという印象が色濃かった。ブーレーズは90歳で。マリナーは2016年10月2日(92歳)、プレヴィンは2019年2月28日(89歳)に亡くなった。2021年3月4日にヘルムート・ヴィンシャーマンが100歳で死去。 2021年10月21日にベルナルト・ハイティンク(92歳)の訃報が続き、2024年3月27日時点。96歳のヘルベルト・ブロムシュテットが最高齢の現役指揮者だ。セルジュ・ボド(96歳)、クリストフ・フォン・ドホナーニ(94歳)、リチャード・ボニング(93歳)が最高齢巨匠グループ。

ステレオはロンドン

ステレオ録音黎明期1958年から、FFSS(Full Frequency Stereophonic Sound)と呼ばれる先進技術を武器にアナログ盤時代の高音質録音の代名詞的存在として君臨しつづけた英国DECCAレーベル。第2次世界大戦勃発直後の1941年頃に潜水艦ソナー開発の一翼を担い、その際に、潜水艦の音を聞き分ける目的として開発された技術が、当時としては画期的な高音質録音方式として貢献して、レコード好きを増やした。繰り返し再生をしてもノイズのないレコードはステレオへ。レコードのステレオ録音は、英国DECCAが先頭を走っていた。1958年より始まったステレオ・レコードのカッティングは、世界初のハーフ・スピードカッティング。
この技術は1968年ノイマンSX-68を導入するまで続けられた。英DECCAは、1941年頃に開発した高音質録音ffrrの技術を用いて、1945年には高音質SPレコードを、1949年には高音質LPレコードを発表した。1945年には高域周波数特性を12KHzまで伸ばしたffrr仕様のSPレコード盤を発売し、1950年6月には、ffrr仕様の初のLPレコード盤を発売する。特にLP時代には、この仕様のLPレコードの音質の素晴らしさは他のLPと比べて群を抜く程素晴らしく、その高音質の素晴らしさはあっという間に、当時のハイファイ・マニアやレコード・マニアに大いに喜ばれ、「英デッカ=ロンドンのffrrレコードは音がいい」と定着させた。日本では1954年1月にキングレコードから初めて、ffrr仕様のLP盤が発売された。その後、1950年頃から、欧米ではテープによるステレオ録音熱が高まり、英DECCAはLP・EPにて一本溝のステレオレコードを制作、発売するプロジェクトをエンジニア、アーサー・ハディーが1952年頃から立ち上げ、1953年にはロイ・ウォーレスがディスク・カッターを使った同社初のステレオ実験録音をマントヴァーニ楽団のレコーディングで試み、1954年にはテープによるステレオの実用化試験録音を開始。この時にスタジオにセッティングされたのが、エルネスト・アンセルメ指揮、スイス・ロマンド管弦楽団の演奏によるリムスキー=コルサコフの交響曲第2番「アンタール」。その第1楽章のリハーサルにてステレオの試験録音を行う。アンセルメがそのプレイバックを聞き、「文句なし。まるで自分が指揮台に立っているようだ。」の一声で、5月13日の実用化試験録音の開始が決定する。この日から行われた同ホールでの録音セッションは、最低でもLPレコード3枚分の録音が同月28日まで続いた。そしてついに1958年7月に、同社初のステレオレコードを発売。その際に、高音質ステレオ録音レコードのネーミングとしてFFSSが使われた。以来、数多くの優秀なステレオ録音のレコードを発売。そのハイファイ録音にステレオ感が加わり、「ステレオはロンドン」というイメージを決定づけた。Hi-Fiレコードの名盤が多い。

アメリカ経由の原盤供給が普通だった日本で、キングレコードは英国から輸入した金属原盤を使って国内プレスを行いました。したがってカッティングは英国盤と同じ、音質について差が出るのはレコードの盤質だけです。1950年代の初期日本プレスはノイズが多いなど問題があったようですが、1960年代からは英国盤より高い品質を達成します。レコードの金属原盤やスタンパーは消耗品なので、販売を続けるうちにどうしてもカッティングなどを更新する必要があります。聞くところによると、1スタンパー500枚程度が優良。このときに音質の変化が起こります。国内販売数が高まる度に、英国から金属原盤の輸入が必要になる。マスターテープを使って、日本国内で原盤を作成することに優位な点があるとなりますが、このカッティングのもとになるマスターテープの音質が経年変化で徐々に低下すると言われていますが、1960年代マスターが新しい時代に製作された重量盤は音が良い。

  • Record Karte
    • ネヴィル・マリナー指揮、アカデミー室内管弦楽団。
    • Side-1
      1. 王宮の花火の音楽
      2. 水上の音楽 組曲ト長調
    • Side-2
      1. 水上の音楽 組曲ニ長調
      2. 水上の音楽 組曲ヘ長調
    • 1971年9月、ロンドン録音。
    • 1972年日本初発。キングレコード社製「溝無白テスト盤」英国同一最初期スタンパー。最初期盤「白テスト盤」のためオリジナルジャケット添付無、当時テスト盤用白ジャケット添付。

CDはアマゾンで

Fireworks & Water Music
Academy of St Martin in the Fields
Decca
1990-10-25


Orchestral Works
Marriner
Decca
2002-10-08


Concerto Grossi
Marriner
Decca
2007-10-09


Handel: Messiah / Marriner, Academy of St. Martin-in-the-Fields
Academy of St Martin in the Fields
Decca
1999-02-12


Handel: Fireworks Music
Amf
Polygram Records
1990-10-25


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