「 DE DGG 2530 243 ヘルベルト・フォン・カラヤン ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 グリーグ 「ペール・ギュント」第1&第2組曲 組曲「十字軍の兵士シグール」」を通販レコードとしてご案内します。

通販レコード→DE 1972年発売 〝BLUELINE〟盤
DE DGG 2530 243 ヘルベルト・フォン・カラヤン ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 グリーグ 「ペール・ギュント」第1&第2組曲、組曲「十字軍の兵士シグール」
商品番号 34-30261
『自分探し』の人生。捨てた故郷の『愛』の中に戻ってきたのは魂だけだったのかもしれない。
カラヤン=ベルリン・フィルは20世紀クラシック界最高の組合せでした。1956年ベルリン・フィルの終身常任指揮者に就任して以来、カラヤンはこの超一流オーケストラを完全に手中に収め、素晴らしい名演を世に送りつづけます。
アルトゥール・ニキシュがベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮した。(ベルリン・フィルは1882年の創立。)ベートーヴェンの交響曲第5番の初めての全曲録音が行なわれたのは1913年。ベルリン・フィルはドイツ・グラモフォンに録音したレコードを発売して行きます。
ヴィルヘルム・フルトヴェングラーがベルリン・フィルを指揮してドイツ・グラモフォンでの初めての録音(ベートーヴェンの交響曲第5番とウェーバーの歌劇《魔弾の射手》序曲)を行なったのは1926年。ラジオ放送とレコードで、ベルリン・フィルの演奏は多くの聞き手に届くようになります。1938年、ヘルベルト・フォン・カラヤンが初めてドイツ・グラモフォンで録音した。
ドイツの優秀な技術力で、ドイツ・グラモフォンは音の大小でレコード溝の間隔を可変させるカッティング方式を発明して1950年、片面の演奏時間が9分まで収められる78回転レコードが登場。翌年、最初の33回転の長時間レコード(LPとして知られている)をリリースした。
フルトヴェングラーが没するとカラヤンは、戦後ドイツ・グラモフォンが古典派、ロマン派のレパートリーにおいて確固たる地位を確立する上で重要な役割を演じた。1959年から1989年までの30年間の間にドイツ・グラモフォンで3つのベートーヴェンの交響曲全集、ワーグナーの楽劇《ニーベルングの指環》をはじめとした330枚のレコードを制作することになる。
カラヤンが遺した演奏はレコードとして今も美しさは変わらない。
エドヴァルド・グリーグ(Edvard Hagerup Grieg, 1843.6.15〜1907.9.4)が作曲した劇音楽《ペール・ギュント》の組曲はフィルハーモニア管弦楽団、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ベルリン・フィルで録音はしているのですが、グリーグの作品はコンサートでは戦前に取り上げているきり。カラヤンのモーツァルト録音同様、カラヤンのグリーグはそのヴァルター・ギーゼキングとの「ピアノ協奏曲イ短調 作品16」を聴くと完成に至っていたと感じる。ベルリン・フィルとの2度の録音は、その完成度に磨きをかけるようだ。レコードのレパートリーとして自家薬籠中の見事な演奏。レコード再生の美しさをデモンストレーションするには持って来い、親しみやすい名曲でオーディオの醍醐味を楽しめる。
漫画家の故松本零士のお気に入りの音楽だろうと想像している《ペール・ギュント》はノルウェーの文豪ヘンリック・イプセンが創作した名作詩劇、とある男の冒険譚。魔の宮殿に居る鬼たちから美しいお姫様を救出したり、病院で自分は国王だと名乗る男にあったり、世界各国を船で駆け巡った果て、悪魔と出会いボタンに成るか、自分自身で在り続けたいかの選択に追い詰められる。この究極の選択であるボタンをネジに置き換えれば『銀河鉄道999』の最後の課題だ。
ペール・ギュントのまわり道の人生は、故郷のソルヴェーグのもとに戻ってくる。年老いたソルヴェーグの哀しげな歌は待っていた。捨てた故郷の『愛』の中に戻ってきたのは魂だけだったのかもしれない。録音は1971年9月。もはやカラヤンが新しい録音をすることはないが、その演奏はレコードとして今も美しさは変わらない。
ある対談の中でカラヤンは、『自分が指示を出さない時にオーケストラが群れをなす鳥のように天空を羽ばたく瞬間がある』と言っています。このレコードでも命令に従う集団以上の自発性がベルリン・フィルにはあり、指揮者もある程度それを楽しんでいる。
ただ、カラヤンの理想の振り幅の中にあるから、カラヤンの音楽になっている。カリスマ的芸術性と器用な職人気質を併せ持ったカラヤンは、一回性の熱情と、それに相反する録音芸術としての綿密な音楽設計を両立できた指揮者でした。
ある録音でホルン奏者の音の上ずりに気がついたエンジニアが、録り直しを確認したらカラヤンは、その自然さを良しとした話が象徴している。
〝北欧のショパン〟グリーグの詩情を存分に満喫できる誠に楽しいレコード。
ノルウェーの生んだ大作曲家グリーグの代表作《ペール・ギュント》付随音楽は、同じくノルウェーの世界的な文豪ヘンリック・イプセン(Henrik Johan Ibsen, 1828.3.20〜1906.5.23)の名作詩劇「ペール・ギュント」の上演のために、イプセン自身からの依頼によって作曲したもので、1875年(32歳)の夏完成された。
イプセンは、戯曲「人形の家」や「幽霊」「野鴨」「ヘッダ・ガブラー」「民衆の敵」といった一連の社会問題と取り組んだ作品で有名な劇作家であるが、この「ペール・ギュント」の内容は、それらとはまったく性格を異にするもので、ノルウェーに古くから伝わる伝説的な人物ペール・ギュントを主人公とし、冒険好きなノルウェー人の国民性が象徴的に描かれている。
〝十字軍の兵士シグール(シーグル)〟で題材になっている、こちらは実在の人物。ノルウェー十字軍を率いたノルウェー国王シーグル1世がイェルサレム遠征で戦果を上げて、帰還する英雄譚。長身で赤髪だったと伝えられる若き王は、1110年頃、十字軍として遠征に旅立つ。
途中イベリア半島では食事を充分に準備できなかった領主から糧食を強奪したり、攻撃してきたイスラム教徒の海賊船団と戦って打ち破り、8隻を拿捕。さながらシグルズ王の遠征はヴァイキングそのものでした。55隻の大艦隊となってヤッフォ(イスラエル北西部の港)に上陸した。
イェルサレム遠征の後ミクラガルズ(コンスタンティノープル)を訪問します。そこで船団を皇帝アレクシオス1世に寄贈、多数の馬を返礼で贈られ、陸路でノルウェーに帰国。部下の多くは帝都に留まり、ヴァリャーギ親衛隊に服務したそうです。ペール・ギュントが憧れそうな活躍ではありますまいか。
組曲《十字軍の兵士シグール》あるいは『シグール・ヨルサルファル』はカラヤン唯一の録音。第3曲「忠誠行進曲」はよく聞かれている有名曲なのでいらぬことだろうが〝海賊王の遠征譚〟とでもしたら、より注目されて人気曲となるだろう。
「ペール・ギュント」の作者イプセンの友でありライバルでもあったビョルンスティエルネ・ビョルンソン(Bjørnstjerne Bjørnson, 1832.12.8〜1910.4.26)が書いた戯曲に同じくグリーグが付随音楽として作曲したもの。イプセン、ヨナス・リー、アレクサンダー・ヒェランとともにノルウェー人作家の「偉大な4人」とされる。代表作は詩集『詩と歌』である。ノルウェーの国歌『我らこの国を愛す』の作詞者であり、また長らく50クローネ紙幣に肖像が描かれていた。
作曲家のエドヴァルド・グリーグとは親密な関係にあり、ビョルンソンのテクストに基づく歌曲「王女」「呼び声」や合唱曲「南の修道院の前で 作品20」「故郷への帰還 作品31」、オペラ「オーラヴ・トリグヴァーソン 作品50」(未完)、メロドラマ「ベルグリオット 作品42」など多くの作品を作曲している。
組曲の出版は相前後していますが、王立劇場での上演は1872年。全3幕の詩劇で、グリーグは8曲の音楽をつけた。「第1幕への前奏曲」「ボルグヒルの夢(間奏曲)」「力比べ(王の広間にて、第2幕への前奏曲)」「北国の民」「忠誠行進曲(第3幕への前奏曲)」「間奏Ⅰ」「間奏Ⅱ」「王の歌」。うち、独唱と男声合唱が加わる「北国の民」と「王の歌」の2曲のみが組曲とは別に、『十字軍の王シーグル』(Sigurd Jorsalfar)作品22として出版された。
「力比べ(王の広間にて)」「ボルグヒルの夢(間奏曲)」「忠誠行進曲」の3曲からなる組曲《十字軍の兵士シグール》は約30分の小作品ながら、壮大で、北欧の気分もみちあふれており、たいへん印象的です。
このレコードの録音時点でカラヤンは、63歳。名実ともに〝ヨーロッパ音楽界の帝王〟としてヨーロッパ音楽界に君臨していた存在だった。その彼が、ブルックナー(1970年10月に交響曲4番、7番を録音)やワーグナー(1970年11月に楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」、1971年12月に楽劇「トリスタンとイゾルデ」を録音)のような大曲と取り組むかたわら、こうしたポピュラー名曲の録音にもたいへん力をそそぎ、手兵ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮して彼の得意のレパートリーをつぎつぎと録音しなおしている。
このなかの《ペール・ギュント》も、ステレオではこれが2度目の録音である。彼のような大指揮者が、音楽の底辺を拡大することを自分の使命と感じ、これと真剣に取り組んでいるのは、実に見上げたもので、このへんが他の有名な指揮者と違うところである。
本盤の録音セッションは1971年9月22日、ドイツ・グラモフォンのチームで行われた。この前日(9月16日〜21日)までチャイコフスキーの後期交響曲集(交響曲第4番ヘ短調作品36、交響曲第5番ホ短調作品64、交響曲第6番ロ短調作品74《悲愴》)をEMIのチームがダーレムにあるイエス・キリスト教会に乗り込んでの録音を済ませたばかり。同日から(1971年9月22日〜24日)は、ドイツ、フランス、東欧の多様な舞曲(ウェーバー(ベルリオーズ編):《舞踏への勧誘》作品65、ベルリオーズ:劇的物語《ファウストの劫罰》作品24より〈妖精の踊り〉、〈鬼火のメヌエット〉、リスト:メフィスト・ワルツ第1番より〈村の居酒屋の踊り〉、スメタナ:歌劇《売られた花嫁》よりポルカ、フリアント、〈道化師の踊り〉、ドヴォルザーク:スケルツォ・カプリチオーソ変ニ長調作品66)の録音にかかっている。
カラヤンは、ロシアや北欧の音楽をたいへんに得意にしている人である。彼の演奏を聴くと、本場の演奏よりさらに本場に聞こえる。
たとえば、ここで演奏している《ペール・ギュント》組曲でも、その「オーセの死」や「イングリッドの嘆き」、「ソルヴェーグの歌」など、どれをとってみても、北欧の気分が隅々にまでみちあふれており、北欧の詩情というものを、実に美しく、巧緻に描き出している。カラヤンがわれわれに贈ってくれた素晴らしい贈り物です。このレコードの演奏を心ゆくまで味わってほしい。
- Record Karte
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- 演奏:ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
- 録音:1971年9月22日ダーレム、イエス・キリスト教会におけるセッション録音。
- プロデューサー:ハンス・ヒルシュ
- ディレクター:ハンス・ウェーバー
- エンジニア:ギュンター・ヘルマンス
- 曲目
Side-1- 劇音楽《ペール・ギュント》第1組曲作品46
- 朝
- オーセの死
- アニトラの踊り
- 山の魔王の宮殿にて
- 劇音楽《ペール・ギュント》第2組曲作品55
- イングリッドの嘆き
- アラビアの踊り
Side-2
- 劇音楽《ペール・ギュント》第2組曲作品55
- ペール・ギュントの帰還
- ソルヴェイグの歌
- 組曲《十字軍兵士シグール》作品56
- 力比べ(王の広間にて)
- ボルグヒルの夢(間奏曲)
- 忠誠行進曲
- 劇音楽《ペール・ギュント》第1組曲作品46
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