「 GB EMI ALP1513 ルドルフ・ケンペ ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 ワーグナー オペラ序曲・管弦楽曲集」を通販レコードとしてご案内します。

通販レコード→GB “LARGE DOG IN SEMI-CIRCLE” WITH GOLD LETTERING ORIGINAL, MONO 150㌘重量盤 1N/1N スタンパー
GB EMI ALP1513 ルドルフ・ケンペ ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 ワーグナー オペラ序曲・管弦楽曲集
ワーグナー音楽の優しさ、潤いにこれ一枚で感動させられる。 ― 端正でオーソドックスなようでも、心意気がオーケストラの楽員みんなのすみずみまで行きわたっているので、スケールが大きく大胆な音楽が楽しめる。
ワーグナーは、特別楽器演奏に秀でていたわけではなかったが、少年時代は音楽理論を、トーマス教会のカントル(合唱長)から学んでいた。これが後の彼の作曲に大きな役割を果たすことになる。23歳の時には、マグデブルクで楽長となり、ミンナ・プラーナーという女優と結婚した。1839年ワーグナー夫妻はパリに移り、貧困生活を味わった後、彼のオペラ「リエンティ」の成功で、ザクセン宮廷の楽長となった。
しかし幸せは長く続かず、ドレスデンで起こった革命に参加した罪で、彼は亡命を余儀なくされる。スイスに逃れた彼は、友人の助けで作曲を続け、1864年、やっとドイツに帰国することが出来た。とはいえ、仕事もなく、彼は借金まみれになってしまった。
そのときバイエルンの国王で彼の熱烈な崇拝者だったルートヴィヒ2世が救いの手を差し伸べてくれた。彼らの友情は長続きしなかったが、その後ワーグナーはスイスに居を構え、1870年フランツ・リストの娘であるコジマと再婚し(ミンナは少し前に死去)、バイロイト音楽祭を開くなど世界的な名声を得た。
彼のオペラはそれまで付録のようについていた台詞を音楽と一体化させるという革命的なもので、多くの作曲家に影響を与えた。しかし、第2次大戦中ナチスによって彼の作品が使用されたため、戦中戦後は正当な評価を受けることが出来なかった。
端正でオーソドックス。ケンペ自身の人柄の良さから来ている音楽の深みを感じる。人間味と録音の良さが評判となった。
大統領夫妻が臨席した当日のコンサートは、晴れやかな雰囲気の中、ワーグナーの楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』前奏曲により堂々と開始されます。それはそれはケンペの微妙にテンポを揺らした柔軟なアプローチと、ミュンヘン・フィルの明るく充実した響きが快適です。
アメリカの会員制の通信販売会社(出版社)であったリーダーズ・ダイジェスト社は、ステレオ初期に自社企画のクラシックLPレコードも取り扱っており、数々の名盤を世に送り出したのは有名な話。
コンサート・ホール・レーベルと似ていますが、最も異なるのはその音質。クラシックのLPレコードを、高いステイタスを持つアイテムとして捉え、サウンド・クオリティを重視したリーダーズ・ダイジェスト社は、その制作を高音質で知られた米RCAに依頼したのです。ケンペの評判と人気の程は、これらのエピソードからも伺える。
ルドルフ・ケンペ(Rudolf Kempe)は1910年ドレスデン近郊ニーダーポイリッツに生まれ、1976年チューリヒで死去したドイツの指揮者。1949〜52年ドレスデン国立歌劇場の音楽総監督、1952〜54年バイエルン国立歌劇場の音楽総監督のほか、ウィーン国立歌劇場、ロイヤル・オペラ、メトロポリタン・オペラ、バイロイト音楽祭などの指揮台に数多く登場したほか、1961〜63年と1966〜75年にかけてロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者、1965〜72年にチューリヒ・トーンハレ管弦楽団、1967〜76年にはミュンヘン・フィルハーモニーの首席指揮者を歴任しました。1955〜56年に一時病気のため演奏活動を中断、病から復帰後、新たな意欲を燃やしてベルリン・フィルやウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮してイギリスEMIへの録音を盛んにおこなうようになり、精力的で一気呵成なものから、巨匠的な雄大なアプローチまで、多彩なケンペの音楽をセッション録音することになります。
ステレオ録音では、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との有名なベートーヴェンの交響曲3番『英雄』やベルリオーズの『幻想交響曲』、ドヴォルザークの交響曲9番『新世界より』、リヒャルト・シュトラウスの『ドン・キホーテ』、などなど。 ケンペ独特の語りかけるようなフレージング、アーティキュレーションは、時として「あれっ?」と思うものの、それが人間味なのでしょう。
その音楽の優しさ、潤いに感動。端正でオーソドックスなようでスケールが大きく大胆、心意気がオーケストラの楽員みんなのすみずみまで行きわたっているのが手に取るようにわかります。
ケンペといえば、渋い、地味、本格派、といったイメージで見てきた。はたしてそれであっているかしら。
堅固な構成感、優れたバランス感覚、そして作品の深い読み、どれをとっても抜群で、しかも表現力豊かなのがわかる。また各声部の透明で豊かな響きは、もともとオーボエ奏者であった感性から来るものだ。
ラファエル・クーベリック、ヴォルフガング・サヴァリッシュ、ケンペがヨハン・ゼバスティアン・バッハの4台のピアノのための協奏曲で共演するリハーサル映像は、片手に屈指したいほど良い。
繰り返されるフレーズにメリハリを付けて退屈した音楽にならないように全体を見晴らすクーベリックに、サヴァリッシュは脇にいるコンサートマスターと何度もひそひそ話を繰り返していたが、4人のピアノの配分を変更することを提案する。
それをクーベリックが同意すると、サヴァリッシュはケンペに丁寧に説明していた。ずっとケンペは周りに従うようで、30分のリハーサルは終わるのかと思ったら最後の最後、みんなに語りかけて「本番もこれで行こう」と場のムードが整う如くみんなが散開してリハーサルは終わった。
普段ピアノを弾く姿を見ないであろう大指揮者たちの共演だから、握手ぐらいするかと思ったが個性が良く出ていると思った。表面から感じる印象はごく一部の彼しか捉えたとしか云えず、ケンペの持つ本質は、堅固な構成感、優れたバランス感覚、そして作品の深い読み、どれをとっても抜群で、しかも表現力豊かなのがわかる。また各声部の透明で豊かな響きは、もともとオーボエ奏者であった感性から来るものだ。
ピアニストとしてモーツァルトの協奏曲のレコードがヒットしていたり、名歌手たちのピアノ伴奏を務めたリサイタル盤もある指揮者、元ヴァイオリニスト、ヴィオリスト出身の指揮者が居たくらいに、当時の演奏家の凄さを思い知らされるのは、1929年、ケンペはライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のオーボエ奏者で、同時にブルーノ・ワルターが指揮者、シャルル・ミュンシュがコンサートマスター、フランツ・コンヴィチュニーが首席ヴィオラ奏者だった、今から思えば雰囲気はどうだったのだろうかと妄想広がるという事実からである。
客演・録音したオーケストラは多数にわたり、初期のフィルハーモニア管弦楽団、その後のロイヤル・フィルハーモニーやBBC交響楽団、ロンドン交響楽団、さらにはベルリン・フィル、バンベルク交響楽団、バイエルン放送交響楽団、そしてシュトゥットガルト放送交響楽団、ミュンヘン・フィルと数えしれない。他にもウィーン・フィルやアムステルダム・コンセルトヘボウ交響楽団にも客演した。
そしてなんといってもシュターカペレ・ドレスデンとは特に頻繁に客演、録音も多く残した。渋く派手さはないが醸し出す音楽は、十分に思考を重ねられたうえでの音の発露であり、聴けば聴くほど感銘に値する。あらゆる人から尊敬され愛された人であったらしく、さらなる音楽の深みはケンペ自身の人柄の良さから来ているのだろう。
- 演奏:ルドルフ・ケンペ指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
- 録音:1956年のセッション録音。
- 曲目
- 歌劇「タンホイザー」から序曲とヴェーヌスベルクの場面
- 歌劇「さまよえるオランダ人」序曲
- 楽劇「神々の黄昏」序幕からジークフリートのラインへの旅
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