「 DE DGG 135 139 ルドルフ・フィルクスニー スヴャトスラフ・リヒテル マルタ・アルゲリッチ ムソルグスキー 展覧会の絵 ラフマニノフ 6つの前奏曲 プロコフィエフ トッカータ」を通販レコードとしてご案内します。
DGG三大ピアニスト共演。
1960年代初頭のドイツ・グラモフォンの看板ピアニストだったリヒテル、アルゲリッチと同格かそれ以上の存在だった、フィルクスニー。本盤でも主役で「展覧会の絵」を鮮やかに弾き切っています。
レオシュ・ヤナーチェクの下で学び、1912年生まれのフィルスクニーが5歳の時、その演奏を初めて聴いたヤナーチェクは「百年にひとり現れるかどうかわからない才能だ」と言ったという。以来、ヤナーチェクと愛弟子は ― と書き留めると、語彙力不足で今話題の〝性加害問題〟に転じるといけないので補足すると、息子を小さい時に亡くしたヤナーチェクにとって、父親を幼少期に失ったフィルクスニーにとって、実の親子のように親愛の情で結ばれていたともいう。ヴィレーム・クルツの門下。フィルスクニーの師はヤナーチェクのほかに、ピアノのヴィレーム・クルツ、アルトゥール・シュナーベルに、作曲のスーク。10歳の1929年にプラハ交響楽団との共演でピアニスト・デビューし、20歳にならないうちに東欧を中心に有名になったが、1940年からアメリカに移住、1941年に米国に亡命。生涯、チェコの作曲家(ドヴォルザーク、スメタナ、ヤナーチェク、マルティヌーなど)の曲を得意とした。
ニューヨークでのリサイタルだったか、停電が起きて会場が真っ暗になっても最後まで弾き続けたとか。評論家に「なぜ演奏が続けられたのですか?」と聴かれ、「そういう訓練を受けています」と一言明快に答えたとか。このエピソードにも表れているように、本当のプロフェッショナルの技術を持ったピアニストです。
ただ、録音には恵まれたとは言えないです。が、フィルクスニー世代の演奏家ではありがちな不遇でもある。RCAやCOLUMBIAを始め、数々の名演を遺したフィルクスニーですが、1978年の初来日以降、度々来日し、日本録音も数枚発表しています。来日時が66歳。レパートリーは幅広がったが、スタジオでのレコード録音は少なく、レーベルも多岐に分散していること、日本では国産レーベルのオーディオ・ラボだった、《幻の巨匠》という言葉が帯に踊る分類。あまりご存じない方が多いでしょう。ぜひこれを機に知ってください。
リヒテルの演奏と比べると、ピアノはかなり華やかに響いている。
はじめてフィルクスニーの名前を覚えたのはウェストミンスター盤のドヴォルザーク(ラズロ・ショモギー指揮、ウィーン国立歌劇場管弦楽団)録音でした。ドヴォルザークの交響曲をイシュトヴァーン・ケルテス指揮ロンドン交響楽団の全曲盤を聴き、協奏曲はチェロ協奏曲だけかなと探していたとき。スプラフォン盤のヴァイオリン協奏曲を手に入れたときに出会いました。
ドヴォルザークのピアノ協奏曲は、リヒテル&カルロス・クライバー、バイエルン国立管弦楽団のEMI録音は有名らしいけれど、リヒテル自身が
慎重になりすぎた窮屈な演奏と自己批評していた。原典版を使ったリヒテルの演奏と比べると、ピアノはかなり華やかに響いている。
知名度は低いピアノ協奏曲だけど、自国の作曲家の音楽だからという誇りか、魅力を広める使命感か。この協奏曲は度々スタジオ録音している。どれも心の通ったピアノ演奏は普遍だが、伴奏次第で表情が違っていて、其々に面白く聞けます。ウェストミンスター盤以前には1954年にジョージ・セル指揮クリーブランド管弦楽団の伴奏で録音しているが、デイヴィッド・デュバルの『ピアニストとのひととき』という本のなかで、フィルスクニーがセルとのエピソードについて話している。アドルフ・ヒトラーが政権を掌握した後、シュナーベルはドイツを離れてイタリアで教えていたらしく、フィルクスニーはそのシュナーベルに師事することにした。そこでセルと会ったというが、ほとんど話すこともなく別れた後で、セルから電話があって、ドヴォルザークのピアノ協奏曲のソリストを依頼された。驚いたフィルクスニーは、自分の演奏を一度も聴いたことのないのにと、セルに理由を尋ねると、シュナーベルからフィルクスニーのことは聞いているので、その話だけで充分、と何とも割り切った回答。セルは演奏家の才能を見抜く能力は高かったらしいから、シュナーベルの話なら間違いはないと思ったようだ。
フィルクスニーは優れたピアニストだったが人柄も温厚だったせいか、セルとは相性が良かったらしく、友人にもなった。セルから演奏解釈について、彼の考えを押し付けられるようなことは一度もなかったという。
ウェストミンスター盤のあとには、ワルター・ジュスキント指揮セントルイス交響楽団と1975年に録音。60歳くらいのフィルクスニーのピアノの音が瑞々しくて綺麗。80歳前後の1990年には、ヴァーツラフ・ノイマン指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の伴奏で最後のスタジオ録音をしている。齢から来る力感は後退しているが、音楽の流れが滑らかでしっとりとした叙情が流れるドヴォルザーク。フィルクスニー独特のちょっと甘くて可愛らしいリリカルな音色は、高齢になっても全く変わっていない。ピアノに品があって、特に高音の美しさは格別。
イリーナ・メジューエワが推薦するフィルクスニー演奏する、《展覧会の絵》。
大げさな表現は皆無ですが、それぞれの絵画が持つ喜びと悲哀を描いて余すところがない。
さてムソルグスキーの《展覧会の絵》は1958年のザルツブルグ・ライヴや、1980年ロンドン・ライヴなどでも演奏を聴くことも出来ますが、このドイツ・グラモフォン盤は、ハノーファー、ベートーヴェンザールに於けるセッション・レコーディングで、フィルクスニーの絶妙なタッチから繰り広げられる《展覧会の絵》の新たな一面を聴かせる演奏です。豊かな音で伸びやかに歌う。クリアなタッチと明瞭な解釈が心地よい。フィルクスニーのピアノはメカニックの正確さに加え、タッチに無限のニュアンスを込めながら、それぞれの曲では音色の変化を利かせます。「プロムナード」の最初の一小節から、引き込まれる。4回再現する「プロムナード」の楽曲全体における音楽的重みが感じられる。雰囲気の良さに聞き入ってしまう「古城」、「ブイドロ」は特に秀逸。曲想の豊かさやテンポ変化の工夫。大きくタメを作って緊張感を演出する場面もあり、決して一本調子には陥りません。そして切迫した感情表現が、最後の曲では至上の愉悦を表現し尽くします。「キエフの大きな門」の終盤で、コラール後にワルツ風のプロムナードが奏でられるのは、なかなかチャーミングなアレンジ。歌うようなリズムの取り方がいい。ピアノ組曲《展覧会の絵》(Pictures at an exhibition)は、ムソルグスキーの言葉の無い歌曲なのかと、今後新たな聴き方ができそうだ。おすすめしたい。
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Record Karte
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- ルドルフ・フィルクスニー ムソルグスキー 展覧会の絵 1960年11月14、15日 ハノーファー、ベートーヴェンザール録音。
Side-1- プロムナード
- 小人
- プロムナード
- 古城
- プロムナード
- チュイルリーの庭
- ブイドロ
- プロムナード
- 殻をつけたひなの踊り
- サミュエル・ゴールデンベルクとシュミュイレ
- プロムナード
- リモージュの市場
- カタコンブ:ローマ時代の墓
- 死せる言葉による死者への呼びかけ
Side-2
- 鶏の足の上に建つバーバ・ヤーガの小屋
- キエフの大きな門
- スヴャトスラフ・リヒテル ラフマニノフ 6つのプレリュード 1959年4月28日 ワルシャワ、フィルハーモニック・ホール録音。
- Prelude in B-Flat Major, Op. 23, No. 2
- Prelude in D Major, Op. 23, No. 4
- Prelude in G Minor, Op. 23, No. 5
- Prelude in C Minor, Op. 23, No. 7
- Prelude in C Major, Op. 32, No. 1
- Prelude in B-Flat Minor, Op. 32, No. 2
- マルタ・アルゲリッチ プロコフィエフ トッカータニ短調作品11 1960年6月4〜8日 ハノーファー、ベートーヴェンザール録音。
- フィルクスニー、リヒテル、アルゲリッチの演奏を併せた贅沢な一枚。ジャケットは有名なカンディンスキーの「キエフの大門」だが、これほど大きく美しく印刷されたジャケットは他に例がない。
- ルドルフ・フィルクスニー ムソルグスキー 展覧会の絵 1960年11月14、15日 ハノーファー、ベートーヴェンザール録音。
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