「 GB EMI SLS821 オットー・クレンペラー フィルハーモニア管 シュヴァルツコップ フィッシャー=ディースカウ ルートヴィヒ ブラームス ドイツ・レクイエム」を通販レコードとしてご案内します。
GB EMI SLS821 オットー・クレンペラー エリーザベト・シュヴァルツコップ ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ クリスタ・ルートヴィヒ フィルハーモニア管弦楽団 ブラームス「ドイツ・レクイエム」
商品番号 34-26841
通販レコード→GB WHITE & BLACK STAMP DOG
クレンペラーの磨き抜かれた目が、ひたすらブラームスを凝視しているのではと思えてならない。 ― オットー・クレンペラーは他の多くのドイツ系指揮者同様、オペラ指揮者として様々な歌劇場で指揮をしている。そして、欧米の音楽家が演奏を解釈する時に宗教の有り様は大きいと思われる。クレンペラーは声楽大作も得意にしていましたが、そのアプローチは交響曲のときと基本的に同じで、晩年のものなどではときに肺が心配になるような演奏も行っていました。多くの指揮者がこの素晴らしい名曲を1つの音の〝塊り〟として聴き手にぶつけてくるのに対して、クレンペラーは違う。あたかも作品をまず微分して見せてくれて、それを改めて積分(組み立て)して見せてくれている。この「ドイツ・レクィエム」ではテンポはまっとうであり、各フレーズへの厳格な対応、形の維持によって、フーガの見事な捌き方、及び拍節感の強い抽出は印象的な演奏に仕上がっており、全体構成のシンメトリーなど様式美も感じられ、ブラームスらしいシリアスな感触に満ちているのがポイントとなっています。遠くでひっそりと鳴らされ殆ど聞き取れていなかったような音までが、一音一音を大切に丁寧に奏され、それらを積み重ねて私たちに届けてくれる。それは感傷を排した無愛想ながら、そこはかとなく湧き上がってくる温かみには感銘させられる。〝ドイツ・レクイエム Ein deutsches Requiem〟と誰が名付けたか知りませんが、クレンペラーの磨き抜かれた目が、ひたすらブラームスを凝視しているのではと思えてならなくて、レクイエムとクレンペラーのイメージが重なり合って仕方ありません。ユダヤ人であることでブルーノ・ワルターは命からがら渡米している。一方、クレンペラーはユダヤ教から改宗している。そのことを問われて「いやいや、私たちには子供が二人います。アメリカで俳優をしているブルーノと、ここにいるロッテです」と言葉を濁しているので、カトリック教を選んだ本位はわからない。しかし、祖国イスラエルへの想いは強かったことも伝わっている。この「ドイツ・レクイエム」のタイトルには第2次世界大戦中には意味合いが変わったのだろうが、ブラームスが母親の死を悼んで作曲したラテン語の鎮魂歌の歌詞を借りた私的な思慕の想いで生まれた名曲。葬儀のための音楽ではなく、死、喪失感といったことよりも再生を予兆させる、どこか慰めに満ちた音楽です。ここでクレンペラーは、その歌詞に重ねて「死は勝利にのまれた。死よ、おまえの勝利はどこにあるのか。死よ、おまえのとげはどこにあるのか。」と戦争や紛争の虚しさを説いていると感じられてならない。ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」とともに、その真の姿を現した「ドイツ・レクイエム」。重厚にして速めのテンポという、この時期のクレンペラーの奇跡の前に言葉なし。この時代はモノラルテイクとステレオテイクでの録音が同時進行していました。モノラルはダグラス・ラター、ステレオはクリストファー・パーカーと違うプロデューサーが其々担当していました。本盤は「ドイツ・レクイエム」に、クレンペラーが得意としたブラームスの管弦楽曲「悲劇的序曲」、「アルト・ラプソディ」を収録したお得なセット。収録会場はすべてロンドンのキングズウェイ・ホールです。クレンペラーの代表的な作品、「ドイツ・レクィエム」は当然良いのですが、クリスタ・ルートヴィヒのほの暗い美声が映える「アルト・ラプソディ」は聴きものです。
- 「ドイツ・レクイエム」エリーザベト・シュヴァルツコップ(ソプラノ)、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)、ラルフ・ダウンズ(オルガン)。1961年1月2日、3月21、23、25日、4月26日ロンドン、キングズウェイ・ホール録音、名演、名盤。
- 「アルト・ラプソディ」クリスタ・ルートヴィヒ(メゾ・ソプラノ)。1962年3月21、23日ロンドン、キングズウェイ・ホール録音、名演、名盤。
- 「悲劇的序曲」1957年3月ロンドン、キングズウェイ・ホール録音。
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