FR VSM 2701241 PM322 ヴィルヘルム・フルトヴェングラー ブラームス ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 交響曲1番

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34-11795

商品番号 34-11795

通販レコード→仏フレッシュ黒文字盤

気迫と凄絶な表現で決定版。 ― 令和元年も残すところ3ヶ月となりました。8月の蓄音器で聴くSPレコード鑑賞会ではアルトゥーロ・トスカニーニ指揮でベートーヴェンの田園交響曲を聴き、次回はヴィルヘルム・フルトヴェングラーでベートーヴェンの交響曲第7番へと聴き進めます。彼ら、トスカニーニとフルトヴェングラーは、ともに後世に多大な影響を与えた二人の偉大な音楽家であり、第2次世界大戦中に活躍して、戦後にLPレコードも残したライヴァルであった。1930年の中頃、政治と音楽の関係をめぐり、はげしく衝突し、そして別れて行った。しかし、二人は最初から仲が悪かった訳ではない。トスカニーニは、当初、音楽家としてのフルトヴェングラーに敬意をもっていた。ヨーロッパでの活躍を考えて、常任指揮者を務めていたニューヨーク・フィルハーモニックをやめた時、自身の後任に推薦したほどである。しかし、その任をフルトヴェングラーが断わった際、宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッペルスらの巧みな策謀によって、あたかもフルトヴェングラーがナチのお抱え指揮者のような印象をアメリカ中に与えてしまったという事件が起きた。これが二人の間に影を落とすこととなった。それでも、その数カ月後に、フルトヴェングラーがパリでトスカニーニと会食した際には、二人の間はそれほど険悪な雰囲気ではなかったようだ。フルトヴェングラーによると私は、トスカニーニと一時間半、一緒にすごした。彼は、アメリカの話を断わったことで、厳しく私をなじった。しかし、それ以外では、とても楽しい会話をかわした。人々がよく話していた彼の人となりについて、よく理解できる。と回想している。しかし、この後、二人の関係は極端に悪化してしまう。1937年夏(おそらく8月27日)、ザルツブルグでの激論にはじまり、その後、決定的な決裂へと向かう。トスカニーニとブルーノ・ワルターが中心になって行う予定だったザルツブルグ音楽祭において、フルトヴェングラーが急遽参加したことに端を発する。これは、フルトヴェングラーの参加に当局の意向が関わっていた上、その決定がトスカニーニの預かり知らぬところでなされたことが、トスカニーニを激怒させた。この時のトスカニーニとフルトヴェングラーとの会話は二通り伝わっている。

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