FR RCA 630.446 シャルル・ミュンシュ ボストン交響楽団 ドビュッシー・海、イベール・寄港地

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34-12379

商品番号 34-12379

通販レコード→仏ダーク・レッド銀文字 LIVING STEREO 盤

ロマン的な香りを色濃く残す「海」 ― ミュンシュはクロード・ドビュッシーの交響詩《海》の録音を幾つか残しているが、音質的にも内容的にも本盤がベストといえる。近代フランス音楽の華麗な音響でこそミュンシュとボストン交響楽団の真価は発揮されたが、そして何よりも作曲者の破天荒な発想を現実の音としている点においてボストン・シンフォニー・ホールの空気感までをも伝えるハイファイ・ステレオの威力を味わえる優秀録音盤の価値は揺るぎ無い。1958年の録音。この頃のボストン響のサウンドは後年の小澤時代のようにインターナショナル化しておらず、ミュンシュの前任者だったセルゲイ・クーセヴィツキー時代のロマン的な香りを色濃く残していた。だから現代の優等生指揮者が機能的オーケストラを振ったようなパステルカラー調の《海》とは比較にならないほど強烈なサウンドカラーが表出される。ドビュッシーが思い描いていたサウンドはこのようなものだったのではないか。彼が愛した地中海は、いわば原色の海だったのだろう。第2次大戦後のボストン響に黄金時代をもたらし、小澤征爾の師としても知られ、3回の来日歴もある〝フランスの名指揮者シャルル・ミュンシュ〟は、ゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートマスターをつとめてミュンヒの音楽家としてのルーツであるドイツ音楽の演奏においても本領を発揮し、その一方で、ピエール・モントゥーが確立したフランス式の演奏様式の伝統を継承し、ボストン響をフランス音楽の演奏にかけては類のないアンサンブルに仕立て上げました。〝ドイツ系の名指揮者カール・ミュンヒ〟にとって、フランス音楽も重要なレパートリーだった。生涯のほぼ半分ずつを、それぞれドイツ人とフランス人として送ったミュンシュは、両国の音楽を共に得意とした。ドイツ音楽ではベートーヴェン、シューベルト、メンデルスゾーンなど、フランス音楽ではベルリオーズ、フランク、サン=サーンス、ショーソン、ドビュッシー、ラヴェルなどに名盤を遺した。ミュンシュは自国の音楽に先天的共感を以って、この効果の難しい難曲を実に巧みに演奏し妙に現代風なダイナミックを強調しない点はさすがである。彼が〝チャールズ・マンチ〟と呼ばれていたアメリカとアルザス人は関わりが少なくない。アメリカに自由の女神像を贈ったのはフランスで、その製作者フレデリック・オーギュスト・バルトルディは、コルマール市出身の正真正銘アルザス人でした。1886年にアメリカ独立戦争を記念にアメリカ政府に寄贈。女神の顔は彼の母親をモデルにしていると言われている。ハリウッド映画黄金期に活躍して「嵐が丘」、「ローマの休日」、「ベン・ハー」など有名作品を世に送り出して、アカデミー監督賞を3回受賞した「巨匠の中の巨匠」と呼ばれる名監督ウィリアム・ワイラーもアルザス人だ。有名なドーデ作「最後の授業」の舞台となった19世紀末から第二次世界大戦終了までの75年間にアルザス人の国籍は4度変更になりました。斯くもフランスとドイツの間を行き来したアルザスは、ジブリの漫画映画「ハウルの動く城」に描かれている。魔法使いの弟子が扉を開く度に異なる支配下の街が現れますが、アルザスの街並みは、フランスというよりドイツの景色。街の名前もゲルマンに根ざした地名が多い。20世紀半ば、第二次世界大戦が勃発し、ドイツに併合されたこの地方の人々はドイツ語を強制され、待ちに待った解放が実現してフランスに復帰すると、こんどはナチスと同様の偏狭なナショナリズムのもと、二流市民扱いされ、フランス政府によるフランス語強要で、ドイツ語のみならずアルザス語も禁止し、図書館にあったゲーテやシーラーなどドイツ語の書物は焼かれた。ミュンシュは第二次世界大戦の頃には、パリ音楽院管弦楽団の指揮者として活躍しており、ナチス・ドイツのパリ進攻時にも、パリにとどまり、有名な抵抗映画「天井桟敷の人々」では伴奏音楽の指揮者としても名を連ねている。やがてフランスの指揮者として認知されるに至ったのは、ナチスの台頭と無縁ではないはずだ。戦後、一転して、アメリカのボストン響の音楽監督に迎えられた。ミュンシュは、ボストン響と出会ったことで大きく変わった。そして、自身の音楽を大きく花開かせたのは、幾度もの侵攻や動乱のなかで、独自の文化性を確立してきたアルザス人としての誇りの現れのように感じられます。→コンディション、詳細を確認する

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