GB NIXA WLP5117 ジャン・フルニエ アントニオ・ヤニグロ ヘルマン・シェルヘン ウィーン国立歌劇場管 ブラームス 二重協奏曲

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34-22581
音楽は、誰もが抱く、こういう人生を送りたいというような夢やあこがれを象徴しています。 ― 夕暮れは、昼から暗い夜に変わる転換点。夜になっていないが、そう長くは続かないとき。つまり時間の経過や年齢を想起させます。登場人物は、夢や信じていた可能性と、現実やあきらめのはざまで揺れていますが、それは現実の自分をあざむいていることでもあるわけです。舞台はイタリア。ハンガリー出身の若いチェロ奏者ティボールの前に、謎の〝チェロの大家〟エロイーズが現れ、自信過剰の彼のチェロ演奏を一言で粉砕、個人指導することになる。彼女の指導はたいそう的確で、ティボールは腕を上げていく。エロイーズは彼の前で決してチェロを弾かない。それどころか楽器を持っている様子もない。なぜなのか?やがてティポールに、ホテルで演奏する室内アンサンブルへの就職話が持ち上がる。芸術家としての上達を自覚していたティボールには、これを受け入れることに躊躇するのだが、エロイーズの「秘密」を知った彼は動揺する。晩年のブラームスが作品に込めた多くの要素が、聴き手にやや難しさを感じさせるだけではなく、実際の演奏でもアンサンブルの正確さに必死になる余り、力任せに演奏してしまって、音楽的な面白さを表現しきれないことがよくある。技法的にも優れ枯淡の味を滲ませた《二重協奏曲》は晩年の名作として知られています。これは作曲の年にトゥーンに到着してから、すぐに友人の音楽研究家フェルディナント・ポールが死去した知らせを受けて大いにブラームスが落胆したことと、また外科医で友人のビルロートが肺炎で危篤になり幸いにも一命は取り留めたが、ブラームスに人生の無情を感じさせたことなどと関係がありそうです。クララ・シューマンは、この曲をブラームスとヨアヒムの「和解の協奏曲」と評したことがあったが、この和解は実はヨアヒムと、その夫人のことも指していた。《二重協奏曲》は元来、第5番の交響曲として設計されたものだったが、当時ブラームスが年来の親友だった大ヴァイオリニストのヨアヒムと不和になっていて、その相互に硬化した感情を、この際ヨアヒムに意見を求めながら書いて軟化させようと考えたことが大きな原因だった。そしてチェロのパートについては、ヨアヒム弦楽四重奏団のメンバーである優れたチェロ奏者のハウスマンに何回となく意見を求めた。ブラームスはヨアヒムとの不和の原因がヨアヒム夫人のことにあったため、ここでヴァイオリンを優れた歌手である夫人に例え、チェロをヨアヒムに見立てて ― 2人のソリストは時に寄り添い、時に激しくぶつかり合い、と実際の夫婦の縮図 ― 両者が仲良く進んでゆくように設計した。ブラームスはこの曲に「夫婦」の意味を込めて書いたとも言われています。このヨアヒムの役回りを、本盤で演奏するのが、11歳でパブロ・カザルスに認められフランスに留学したアントニオ・ヤニグロ(1918〜1989)は、世界恐慌と戦争の影響から、近代都市ザグレブでキャリアを構築。世代的にピエール・フルニエとムスティスラフ・ロストロポーヴィチのちょうど間に位置するチェリストであるが、ヤニグロのチェリストとして演奏活動を行った時期が第二次世界大戦を間に挟んでいるために脚光を浴び難かった、ということもいえなくもないようであった。このイタリアが生んだ名チェリストには、ユーゴスラヴィア軍によるアメリカ軍機撃墜の影響とも考えられる〝謎のジュネーヴ国際コンクール2位判定〟という物語が隠れている。然し乍ら、この事件で西側キャリアをスタート、その後は資本主義と社会主義、北半球と南半球も縦横に行き来するなど世界規模で活躍することとなります。 ヴァンガードとウェストミンスター、RCAに残したレコードは、感情と形式が鬩ぎ合って絶妙にバランスされた名演と、彼のチェロの美しい音色が、コレクターの間で話題となりました。そして、フルニエと聞いたら、まず百パーセントのクラシック・ファンが思い浮かべるだろう有名なチェロ奏者のピエール・フルニエの陰に隠れがちな弟、ジャン・フルニエ(1911~2003)が相方を務める。フランス国内はもとより、広く世界中でソリストとして注目された。その自然な演奏法と柔軟性に富んだ豊かな音色は、知的な解釈と相まって極めて仕上げの美しい演奏を生みだしました。この曲にはほかに内容的・音質的に優れた名盤があるが、チェロのヤニグロともども、抒情的な美しさが楽しめる個所も多く、聴いて損はない。

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