好音質盤と知られる〝ボールトのスッペ〟 ― ジャック・オッフェンバックのオペレッタに触れ、ウィーンで初めてオペレッタを手掛けた。このことからスッペは「ウィンナ・オペレッタの父」と呼ばれることもある。スッペのオペレッタのうち、《ボッカチオ》と「ドンナ・フアニータ」の2曲がニューヨークのメトロポリタン歌劇場でも上演されたが、レパートリーに定着することはできなかった。しかしヨーロッパでは一定の頻度で上演が続いており、生涯イタリア・オペラとカルメンに徹し、ドイツ物はほとんど歌わなかった大歌手マリア・カラスのデビュー演目が、《ボッカチオ》であったことは忘れてはいけない。フランツ・フォン・スッペは、オーストリアの作曲家。本名はイタリア語風のフランチェスコ・エゼキエーレ・エルメネジルド・スッペ=デメッリと長い名前で、ウィーン在住中に氏名をドイツ語風に簡略化し、さらにイタリア語で騎士階級を示す〝Cavaliere〟に代えて〝von〟を用いるようになった。遠戚にガエターノ・ドニゼッティがいる。18世紀にダルマチア地方スプリトに移住したベルギー系貴族の生まれ。郷里のダルマチアとの縁を守り続け、フヴァル島で起こった事件に基づいているオペラ『水夫の帰国』がある。指揮活動を引退してからもオペラの作曲を続けたが、宗教音楽に傾向している。スッペは30曲のオペレッタのほか、バレエ音楽など多数の舞台音楽を作曲した。それらの大部分が忘却に追いやられている中で、《軽騎兵》や《詩人と農夫》の序曲は起伏を大きくとって豪快にオーケストラを鳴らす傾向があり、ヘルベルト・フォン・カラヤン、ゲオルク・ショルティ、オトマール・スウィトナーといった重厚長大系のレパートリーを得意とする大指揮者が好んでスッペの序曲だけを集めてレコード録音している。英PYE・NIXAとひとくくりで呼ばれることが多いレーベルですが、1950年にDECCAに次ぐ英国レーベル会社として設立されたNIXA。その後テレビやラジオの販売会社であったPYEにより買収され、1956年にPYE・NIXAとなり、1959年にPYE RECORDSと名前を替え、最終的にPYEグループごとEMIに買収されることになります。買収により、録音技術陣にロバート・オージェとEMIからデレク・ムーアを迎える。後者は秀でた才能を発揮して、カッティングルームに多くのイノヴェーションを引起こし、このレーベルの再生音の水準を引き上げている。この頃のPYE盤はたしかに好音質盤が連なる。EMI、Decca、英Philipsとともに英国4大レーベルで括られるが、大資本の他3社に比べると比較的小規模なレーベルだった。でも、なんといっても、NIXAの独自録音はこのレーベルの最大の魅力でサー・エイドリアン・ボールト指揮によるレコードは今でも人気があります。なんとも英国の風情を感じさせるレーベルで、コレクターの根強い支持を得ています。本盤のフィルハーモニア・プロムナード管弦楽団の実態は、フィルハーモニア管弦楽団と大きな違いはないらしい。契約的な理由でこの名前が使われるようだ。特にロンドンでコンサートとして実演されるプロムナード・コンサートに出演の際の名称ではないかと思われる。〝ボールトのスッペ〟は好音質盤と知られる。この時期、ボールトは録音の最盛期を迎えていた。ミドルネイムにセドリックという名をいただく高貴な生まれであり、彼の口から発せられる英語は誰が聞いても上流階級の抑揚で流れる。ただ、音楽となると、べらんめえ。音楽となると人が変わってしまう。練習中に怒ると、ものすごい剣幕で怒鳴り散らして、すごかったらしい。第一級の演奏と言って間違いないものの、アカデミー筋からは軽くみられる傾向があることは事実。折り目正しく運んでいた音楽が、クライマックスでは芯からすさまじい力でドライヴする爆発がある。また、その逆の運び。野蛮な暴力的音楽から、其の直後にふわりとした響きなど出せる指揮者はそうはいないし、そこがボールトの面白さ。あ・うんで呼吸するオーケストラの反応。そして楽しい音楽は誰もが安心して耳を傾ける事が出来るだろう。
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