GB DGG SLPM138 684 ロリン・マゼール メンデルスゾーン・交響曲4番「イタリア」、交響曲5番「宗教改革」
商品番号 34-19824
通販レコード→英 TULIP MADE IN ENGLAND 盤
マゼールの指揮は、まるでスコアに記されたひとつひとつの音を慈しんでいるかのように響く ― 南国イタリアで受けた印象をもとにした、眩いまでに潑剌とした晴朗で快活な《イタリア》。ルターのコラールや宗教的な素材が数多く採り入れられた、宗教改革300年祭で演奏するために作曲された《宗教改革》。メンデルスゾーンの2曲の交響曲をカップリングしたアルバムです。デビュー当初から鬼才として旺盛な指揮活動を展開したロリン・マゼール。1960年のマゼールは30歳代になったばかり、まだ若い若い新進指揮者だった。その彼が、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮して、颯爽とした、素晴らしいメンデルスゾーンを録音した。《イタリア》の第1楽章から快調なテンポを繰り出しつつ、オーケストラがよく鳴っている。速く感じてもオーケストラの力量に余裕があるのだ。それをわかってての、天才的なテンポ設定だ。明快で輝かしい響きに満ちた演奏でお聴きください。標題音楽を見事に表現するマゼールの《イタリア》が面白いだろうとは、容易に想像つくが、歴史まで見事に響きにして聴かせてしまった。《宗教改革》という標題にふさわしいのかどうかは、作曲の背景にある《とある人類が引き起こした悲しい歴史》の生々しい記憶を平然と演奏できるかというところに係るだろう。血塗られた歴史を表したいのか、寒気を感じるほど、改革の嵐が吹きあれているように聴こえる。それまではMeldelと名乗っていた、祖父モーゼスは「ドイツのソクラテス」と言われた哲学者で、「Mendelssohn(メンデルの息子)」という姓は彼自身が名付けたものです。父アブラハムは銀行家、母レーアも銀行家の出身で、ヨーロッパでも有名な家族の一つだった。ユダヤ人だったことを除けば、メンデルスゾーン(Jakob Ludwig Felix Mendelssohn-Bartholdy)ほど裕福な出身の音楽家はいません。しかし、メンデルスゾーン一族にも多々の受難がありました。時代の中心的階層(=ブルジョワ)であった彼らが生き延びるためにとった選択、それが「改宗」です。ユダヤ教徒であることをやめ、ルター派のプロテスタントになることによって迫害を逃れようとしたのです。その際に2番目の姓として付けたのが「-Bartholdy」の部分なのです。父アブラハムは、息子に向かってこう言っています。「メンデルスゾーンという名のキリスト教徒は存在しないのだ。メンデルスゾーンと名乗ることは自動的にユダヤ教徒であると言っているのと同じだから、これからは十分気を付け、〝Mendelssohn-Bartholdy〟と名乗ること!」と、斯くも、長い名前の裏には、ユダヤ人であることへの配慮が隠されています。もっとも、改宗し名前を改めた以後も見えないところで差別が続いていたのは事実です。ユダヤ人だった差別から公立の学校へ通うことができず、しかし、公立学校に通えなかったことがむしろ幸運だったと言えるかも知れません。教育熱心だった父は、超一流の家庭教師を招いて、4人の子供たちに一日びっしりと組まれたさまざまな勉学をさせました。ドイツ語にドイツ文学、ラテン語にギリシャ語、フランス語に英語、算数と数学、図画、舞踏、体操、水泳、乗馬、そして人間形成のためと考えられていた音楽と。メンデルスゾーンは幼少のころから、モーツァルト同様にヨーロッパ各地へ頻繁に旅行していましたが、ロマン主義文学の先駆けであるゲーテとの出会いなど、旅は様々な様式、人間性、民族性に触れる絶好の機会となったようです。これもまた父が計画したことでした。やがて1827年にはベルリン大学に籍を置き、ヒューマニズム教育を完成し、目もくらむほどの知性を身につけていました。このような様々な教育が土壌となって、メンデルスゾーンは9歳でピアニスト・デビューするなど、音楽面で早くからすぐれた才能を発揮していきました。が、ベルリンで、メンデルスゾーンはユダヤ人というだけの理由で本来就任するはずの職から排除されてしまったことがありました。ただ、メンデルスゾーン本人は自分がユダヤ人であるとかそのようなことは全く気に留めておらず、信仰心の篤いキリスト教徒であり、ドイツの民族主義的な音楽家だったと言われています。彼の暗い予感どおり、ドイツでは社会不安を背景にアーリア主義が拡大し、ユダヤ人排斥が強化され、ミュンヘンにファシズム政党ナチスが生まれ、その党首ヒトラーが政権をとると、ユダヤ人への迫害は公然のものとなり、メンデルスゾーン銀行は解体されてしまう。音楽も例外ではなかった。メンデルスゾーンの名前は教科書から消され、ゲヴァントハウスの前に建っていた彼の銅像は破壊され、彼の名がついていた通りの名称は変更され、彼の作品の出版は禁止された。メンデルスゾーンへの評価は、死後、時代の波にもまれて下降していった。1945年、戦争は終結し、ナチスは崩壊したが、いったん傷つけられたメンデルスゾーンの名誉回復は大変だった。メンデルスゾーン作品の大きな特徴である貴族的優雅さ、明朗で知的な美しさ、類稀なメロディの豊かさといったものが、あたかも短所であるかのように論じられさえした。長い間、「軽い曲を作った幸せな音楽家」「サロン的音楽家」といった侮蔑的扱いを受けてきた影響はあなどれない。今でこそ芸術性・創造性の高さを認めない者は少なくなったものの、この曲は曲への深い共感と、自然な息づかいで精神的な余裕が感じられる演奏である必要がある。そこが課題だが、平然と演奏できるようになるには、第二次世界大戦の生々しい記憶が遠いものと成ってからのことかもしれない。メンデルスゾーンが「マタイ受難曲」を再演し、蘇らせるまで、バッハは古臭いカビのはえた音楽とされていたことを思い出してみよう。メンデルスゾーンも同じこと。「弦楽四重奏曲へ短調」の凄まじい絶望の描写、オラトリオ「エリア」のオペラ的スケール感など、彼の多面性が徐々に知られつつある。単純な幸せなだけの人生ではなかったことも、彼の芸術をとおして認識されつつある。ある意味、メンデルスゾーン研究はようやく始まったばかりといっていいのかもしれない。
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