DE DECCA KD11026 1-2 ロベルト・シュトルツ ルドルフ・モラルト ウィーン国立歌劇場管 ギューデン ローゼ グルンデン クメント デンヒ レハール メリー・ウィドウ

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34-17318

商品番号 34-17318

通販レコード→独ブルー黒文字盤

皆様をウィーンに誘う魅力タップリ。 ― ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏は、蓄音機時代から数多くレコードが聴かれ続けています。ブルーノ・ワルターとのベートーヴェン・田園交響曲やモーツァルト、マーラーは現代でも避けては通れない音楽遺産です。しかし、ウィーンの音楽家たちの運命が暗転する事態が起こる。1938年2月20日の昼間、ウィーン・フィルは楽友協会ホールでワルターの指揮でブルックナーの交響曲第4番を演奏していたが、その同じ時、ウィーンのラジオからはヒトラーの演説が流れていた。不安はあったが、この時点ではこれがウィーンでの最後の演奏になるとは、ワルターは思っていなかった。21日にウィーン・フィルとワルターはブダペストで演奏し、31日にアムステルダムでヒトラーによるウィーン併合のニュースを知ると、ウィーンには戻らないことを決め、スイスに逃れる。ところで今日まで続くシュトラウス・ファミリーによるコンサートも、このナチス時代に始まった。ワルターがいなくなった穴を埋める、クレメンス・クラウスがウィーン国立歌劇場の音楽総監督に就任したのは、36歳の時。1歳下のカール・ベームが1回目のウィーン国立歌劇場の音楽総監督に就いたのは49歳の時、ヘルベルト・フォン・カラヤンが就任した時には48歳ですから、クラウスが生粋のウィーンっ子とは言え、いかに才能が高く評価されていたかの現れでしょう。しかも、クラウスが辞任した1933年をもって、ウィーン・フィルが常任指揮者制度を廃止しています。余談ながら、1930年からはヴィルヘルム・フルトヴェングラーの後任としてウィーン・フィルの常任指揮者となったクラウスは、ベルリン国立歌劇場の音楽総監督、そして1937年から終戦までバイエルン国立歌劇場の音楽総監督を務めて、1941年から1944年までザルツブルク音楽祭の音楽総監督を務めるなど、映画「サウンド・オブ・ミュージック」が描くような、ワルターやカラヤンら多くの音楽家が翻弄している渦中にあって、これでもかというくらい独墺圏のポストを広く席巻してます。

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